特別なドレス
「可愛いわ……」
鏡の前で、私は思わずため息をついていた。
ふわふわと柔らかに揺れるプラチナブロンドに、長いまつげに彩られた大きな水色の瞳、通った鼻筋から唇にかけてのラインは芸術品のように完璧で、透き通るような白い肌にほんのり淡く色づく頬が愛らしい。
本当に呆れるほど美少女だわ……。
今世で記憶を取り戻したあと、ジュリエッタの姿があまりに前世の自分と違いすぎるせいで、どこか他人を見るような感覚になってしまっていた。
毎朝、身だしなみのために鏡を見ても「よし、ジュリエッタは今日も可愛い」なんて客観的に思ってしまう。
だから誰かに可愛いと言われても自分が言われたなんてさらさら思えない。
逆に『ヒロイン・ジュリエッタの可愛さ』についてその誰かと夜通し語り合いたい気持ちになるのだ。
可愛いからこそ、自分とは思えない。
たとえ鏡の中の女の子が自分だと思っても、その絶世の美少女ぶりに呆れる。
前世の記憶を取り戻したことによる齟齬というものかもしれない。
今後そんな感覚も少しずつ消えていくだろうか。
ただ今日のジュリエッタの可愛らしさはいつにも増して絶品だった。
何といっても、ミアンが作った特別なドレスを着ているのだ。
鏡を見ながら私はくるりと回って、ふわりとドレスの裾が広がるのを確認する。
淡いラベンダー色のドレスだった。
シフォンと見事なシースルーレースを重ねた少し大人っぽいAラインで、動く度に軽やかに舞う裾のラインが美しい。
レースから透ける肩や腕、高い位置に作ってあるウエスト部分に何重にも巻かれた細い紐が華奢で儚い印象を助長するようだ。
さすがヒロインだわ。
色合いや装飾の少なさに地味かなと思っていたドレスなのに、ジュリエッタが着ると何て楚々として可愛らしいのかしら。
まるで極上のお人形さんを見ているみたいだ。
本当にこれが自分だなんて……。
中身を知られたら詐欺だって言われそう。
見とれるやら、圧倒されるやら、そして呆れるやら――複雑な思いで胸がいっぱいだった。
王宮でのお茶会当日、朝早くに起こされた私とマリは午後から開催される会のために、ただいま絶賛身支度中だった。
きれいに爪を磨かれて、肌にオイルを塗り込まれる。
髪も丁寧にくしけずられて、この後ヘアセットされる予定だ。
そうして着せられたドレスにうっとりして、思わず鏡へと走ってしまった。
指先でスカートをつまんでもう一度回ってみて、風をはらむ裾の動きに見入る。
「可愛い……」
「はい。ジュリエッタお嬢さまは本当にお可愛らしいです!」
隣で力説してくれるポーラの言葉に頬が熱くなった。
「まるでお姫さまのようですわね」
マリの髪をセットしていたエリーナからもクスクスと笑い声がかけられて、私は恥ずかしくなって慌てて鏡の前から逃げ出した。
大人しく化粧台に座る。
またやってしまった。
自分が可愛いなんて、外から見るとナルシストそのものじゃない!
燃えるような頬に両手を当てて、必死で冷やそうとする。
「顔色が良くなってよろしゅうございました。今朝は心配したんですよ」
ヘアセットのために私の後ろに立ったポーラがホッとした声を上げた。
昨夜のミアンのことで、今朝はやはり寝不足気味である。
朝起こしに来たポーラが、私の顔色の悪さに悲鳴を上げてお母さまを呼びに行ったときは本当に焦った。
「お茶会が楽しみで眠れなかったなんてお可愛らしいですねえ」
「だって、お茶会なんて初めてなんですもの。それも王宮でよ? どきどきして眠れないのは仕方がないと思うの」
もっともらしい言い訳を口にしてみたけれど。
「ポーラ。おしゃべりばかりしていると、ジュリエッタお嬢さまの準備が間に合わなくなるわ。手もしっかり動かして」
先輩メイドのエリーナの声が飛び、ポーラが慌てて真面目な顔を作っている。
さっきからひとことも口を開かないマリを不思議に思ってそっと窺うと、思いっきり不機嫌顔をしていた。
私より先にドレスを着たときは、上機嫌で隣室のお母さまのところまで走って見せに行ったのに、一体どうしたんだろう。
ミアンの件で――今朝マリに、私とは別行動で王都を散策した際に工房『ギザルテ』に立ち寄ったか、さりげなく聞いてみた。
が、やはりマリは工房を訪れていなかった。
マリは何度かねだったらしいが、ソフィ伯母さまから「王都で一番のドレス工房以外はレディーとして恥ずかしい」と言われたとか何とか。
このことで、マリはやはり同人誌を読んでいないことが確定した。
ということは、ミアンが辞めさせられるのを私が救わなければならない。
身支度が済んだあと、どうにかしてポーラをお使いに出そうと決意する。
「さぁ、終わりましたよ。ご希望通りにしてみましたけれど、いかがでしょう?」
しばらくして、マリの身支度の方が先に終わった。
エリーナにいざなわれて、今度はマリが鏡の前に立つ。
マリのドレスは、原作マンガでジュリエッタが身に付けたものだ。
明るいイエローのプリンセスラインのドレスだった。
オーガンジーの細かいドレープが幾重にも重なった豪華なドレスで、まさにお姫さまな雰囲気だ。
ジュリマリのマンガで見たドレスが見事に再現されていて、胸が熱くなる。
ただマリの髪形は、マンガのジュリエッタのものとは違う。
ストレートの髪を今日はゆるく巻き、前世のギャル風盛り髪みたいな髪形だ。
サイドに大きな花の飾りをつけて、今世ではあまり見慣れない華やかすぎるヘアセットになっている。
「もう少しふわっとならないのかしら。ここの髪をもっと上に盛って、後れ毛も散らして、ゆるふわな感じにしてもらいたいの。もう一度やり直してちょうだい!」
マリはまだ不満みたいだが、エリーナは頑として頭を振る。
「出来ません。後れ毛を散らすなど淑女としてだらしないと何度も申しましたでしょう。それにこれ以上豪華になさいますと、頭だけが注目されてしまいますよ。斬新な髪形なのですから、最初は控えめが大事なのです。奥様とも何度もお話しなさいましたでしょう?」
「エリーナは誰のメイドなの? 私付きのメイドなんだから、お母さまじゃなく私の命令を聞きなさいよ。今日は大事なお茶会なんだから!」
「大事なお茶会だからです。見かけで目立つよりも内面の美しさで注目を浴びる方だ大事だと、マナーの先生もおっしゃったではありませんか。さあ、奥様にも見せに行かれてください。きっとお待ちですよ」
相手にせず手早く片付けを始めるエリーナをマリが恨みのこもった目で見る。
マリの中の『嫌なマリエッタ』が顔を出しているけれど大丈夫なのかしら?
人事ながらちょっとだけ心配になった。