724話 宿泊客
「「おはようございます」」
昨日は、久しぶりにゆっくりお風呂に浸かる事が出来た。
あまりの気持ちよさにウトウトしてしまったので、慌てて出たけれど。
疲れを癒すのは、お風呂と睡眠だね。
「おはよう。良く寝られたかしら?」
食堂に入ると、シャンシャさんが笑顔で出迎えてくれた。
「はい。お風呂も気持ちよかったです」
「それは良かったわ。すぐに朝食を持って来るわね」
お父さんと窓辺の席に座って、チラッと少し離れた場所にいる男性を見る。
「おはようさん」
男性もこちらを見ていたため、視線が合うと挨拶をしてくれた。
「「おはようございます」」
人によっては声を掛けられるのを嫌う人がいるので、少し様子を見てから声を掛けるつもりだった。
でも、この男性は問題ないようだ。
「話しかけても大丈夫だったかな? 私は王都に住むバンガルだ」
「はい、大丈夫です。俺はドルイドで、娘のアイビーです」
「よろしくお願いいたします」
「良かった。1人で食べる食事も良いけど、誰かと食べる食事はもっと良いからね。あぁ、そうだ。話し方だけど、普通にしてくれていいよ。こっちも、こんな話し方だから」
バンガルさんが笑うと目元の皺が深くなる。
「分かった。そうさせてもらうよ」
お父さんの返事に、嬉しそうに笑うバンガルさん。
「お待たせ。確かに、皆で食べるご飯は美味しいわよね」
シャンシャさんが、お父さんと私の朝食をテーブルに置く。
あっ、白パンだ!
「パンとスープのお替わりは言ってね。持って来るから」
宿によっては自分で取りに行くところも多いけど、ここは持って来てくれるのか。
「「いただきます」」
白パン! 白パン!
うわぁ、柔らかい。
絶対に、顔がにやけてると思う。
「ここの白パン、美味しいよね」
「はい。とっても、柔らかくて美味しいです」
バンガルさんの言葉に、力強く頷く。
私もパンを作るけど、発酵の見極めが難しい。
そのせいで、毎回柔らかさやふくらみ方が違ってしまっている。
「シャンシャさん。明日は何時から、手伝いに行ったらいいかな?」
お父さんの言葉に、シャンシャさんを見る。
今日は、旅の疲れが残っているはずだからゆっくりするようにと、バトアさんに言われた。
なので明日から、収穫の手伝いをする予定になっている。
「収穫は少し早い時間からなんだけど、本当に大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
お父さんの言葉に、頷く。
森の中では早朝から動いてる事も多いからね。
「ありがとう、本当に助かるわ。時間だけど、早朝の4時からなの」
今日は7時に起きたから、3時間早く起きたらいいのかな?
ん?
違うか、4時には農場に行っておかないと手伝いにならない。
用意の時間も考えて、3時半には起きないと駄目か。
「分かりました。明日から……あれ? 農場の場所を聞いてないな」
農場の場所?
あっ、そういえば農場の場所を知らない。
「あれ? バトアから聞いてないの?」
シャンシャさんが、呆れた表情で食堂の奥を見る。
「えぇ、まだ聞いてないな。アイビーも聞いてないよな?」
お父さんが私を見るので頷く。
「ごめんなさいね。えっと、宿を出て大通りを村の奥に向かって歩くと、広い農場に出るの。その農場を、そのまま奥に歩いてもらうと、バトアが管理している場所があるのよ」
大通りを村の奥に向かって行く所は、大丈夫。
ただ、広い農場の中からバトアさんの管理している場所を見つけられるかな?
今の説明からでは、ちょっと特定は難しいかもしれない。
「管理している場所に、看板などは無いのかな?」
お父さんの言葉にシャンシャさんは少し考えたあとに、首を横に振った。
「俺が案内をしようか?」
バンガルさんが右手を軽く上げる。
「いいのか?」
「あぁ、俺も手伝いに行くから、一緒に行ったらいいだろう」
バンガルさんも手伝いに行くんだ。
それなら皆で一緒に農場に行ったらいいかな。
「ありがとう。とても助かるよ」
お父さんの言葉に、首を横に振るバンガルさん。
「豊作でまだまだ人手が欲しいんだ。逃がさないための案内だな」
バンガルさんの言葉に、ちょっと驚く。
でも、すぐに笑ってしまう。
「頑張りますね」
「そこそこでいいよ。頑張り過ぎると、1年目の俺のように腰を痛めるよ」
そんなバンガルさんの言葉に、シャンシャさんが噴き出す。
それを見て不機嫌な表情になるバンガルさん。
「もうかなり前だけど、確かに腰を痛めて帰って来たわよね。たまたま農場の方にポーションも薬草も無くて、痛みを緩和する事も出来なくて。あれは、面白……いえ、大変そうだったわ」
絶対に面白いって言ったよね。
バンガルさんもシャンシャさんの言葉に、ため息をついて肩を竦める。
「随分と楽しそうだな、どうしたんだ?」
バトアさんが、白パンが入ったカゴを手に食堂に入ってくる。
その白パンを見て、もう1個食べたくなる。
「どうぞ」
私の視線に気付いたバトアさんが、白パンを私のお皿に置いてくれる。
「ありがとうございます」
小さくお礼を言うと、バトアさんの大きな手がポンと頭を撫でた。
「どういたしまして。俺の作ったパンを気に入ってくれて嬉しいよ」
えっ。
この白パンはバトアさんが作ってくれたんだ。
その大きな手で?
農場の手伝いが終ったら、美味しいパンの焼き方を教えてもらえるようにお願いしてみよう。
「バンガルが腰を痛めた時の話よ。それと彼が明日、ドルイドさん達を案内してくれるそうなの」
シャンシャさんの言葉に、バトアさんがバンガルさんに軽く頭を下げる。
「悪いな。そういえば、また腰が痛いと言っていたけど、収穫なんてして大丈夫か?」
えっ、バンガルさんは腰が痛いの?
収穫は全身を使うと聞いた事があるけど、大丈夫なのかな?
「今の腰の痛みは年だな。年々、あちこちが痛くなる。まぁ、今年から選別の方を手伝っているから大丈夫だ」
腰に負担のかからない手伝いがあるんだ。
それならよかった。
「まだそんな年でもないだろう?」
バトアさんが首を傾げると、バンガルさんが首を横に振る。
「何を言っているんだ? 俺は69歳だぞ。それにこの冬を越えたら70歳だ」
「「えっ!」」
お父さんと私の声が、食堂に響き渡る。
本当に69歳?
全く、そんなに年を取っているようには見えない。
確かに皺は少し深いから、50歳後半から60歳ぐらいだとは思ったけど。
まさかもうすぐ70歳だなんて。
「なんだ? 若く見えるか? それなら嬉しいね」
「見えます。50歳後半から60歳ぐらいだと思っていました」
私の言葉に、破顔するバンガルさん。
「そうか? かなり嬉しいよ、ありがとう」
年を聞いたせいかな?
バンガルさんが、可愛いお爺ちゃんに見えてしまう。
「ごちそうさま」
あっ、お父さんが食べ終わった。
私もあとは、お替わりした白パンだけ。
あ~、幸せ。
「本当に美味しそうに食べてくれるんだな」
バトアさんの言葉に、笑みを向ける。
「本当に凄く美味しいです」
私の言葉に、ちょっと恥ずかしそうな表情で頬を掻くバトアさん。
それを見たシャンシャさんが、笑っている。
この場所は、なんだかホッとする。
この宿を選んで正解だな。