第6章 第6部『線』其ノ二
第6部『線』其ノ二
夜は、長かった。
長い夜の中で、白凪は、観測壕の手前に、立っていた。
立っていた位置の脇で、夜の温度が、低くなっていった。
低くなっていく温度の中で、九番の中の五人は、それぞれの位置に、いた。
観測壕の上に、桐生。
観測壕の手前に、白凪。
本陣の脇に、荒瀬。
副線の脇に、緒方。
本陣の奥に、瀬名。
もう一人、というのが、本陣の奥に、横たわっていた鷹見だった。
鷹見は、薄い色の布の下に、いた。
いるが、動かない。
動かないまま、鷹見は、九番に、いた。
夜の半ばに、副線の応答音が、半拍、出た。
出た音の先で、緒方の右手が、応答機の脇に、置かれた。
置かれた手の動きの中で、緒方は、受信の動きに、入った。
入った動きの脇で、緒方は、口を、開いた。
「白凪二等兵」
「読め」
「後方からの返信、来ました」
「内容は」
「後送便、明け方の到着/輸送兵、綾瀬と、葉室/鷹見軍曹の遺体運搬、了解/指揮系統の正式承認の依頼、受理/白凪二等兵を、九番の指揮者として、正式に、承認します/署名、澪原中尉」
緒方は、それだけ答えた。
答えた声は、低かった。
低いが、揺れなかった。
揺れない声の中で、緒方は、応答機の脇に、視線を、戻した。
戻した視線の中で、応答音は、半拍ずつ、止まっていった。
止まっていく音の中で、後方からの返信は、完了した。
「了解」
白凪は、答えた。
答えた声は、低かった。
低いが、揺れなかった。
揺れない声の中で、白凪は、視線を、断尾嶺の方向に、戻した。
戻した視線の先に、敵主力の退却の動きが、続いていた。
続いていた動きは、もう、九番の方向には、向いていなかった。
向いていないが、消えてはいなかった。
消えていない動きの中で、白凪は、判断者として、立っていた。
立っているのは、観測壕の手前、だった。
観測壕の手前の位置で、白凪は、夜のあいだ、立ち続けた。
立ち続けるのは、保たせるため、だった。
保たせる相手は、九番の兵、だった。
九番の兵の中に、桐生と、緒方が、いた。
二人は、九番の兵、として、半夜のあいだに、定着していた。
夜の終わりに、空の灰の上に、薄い橙が、伸び始めた。
伸び始める速度は、ゆっくりだった。
ゆっくりな速度の中で、九番の地面の上に、夜の温度が、まだ、残っていた。
残った温度の上に、薄い橙の光が、半拍ずつ、置かれていった。
置かれた光の中で、九番の中の温度が、半拍ずつ、戻り始めた。
戻る温度の中で、白凪は、観測壕の手前から、半歩、本陣の方向に、戻った。
戻った位置で、視線を、本陣の奥に、向けた。
本陣の奥には、鷹見の身体が、横たわっていた。
横たわっている身体の脇に、薄い橙の光が、伸びてきていた。
伸びてきていた光の中で、鷹見の身体の上の、薄い色の布の縁が、わずかに、見えた。
見えた縁の脇に、夜のあいだに、薄く、霜が、置かれていた。
置かれた霜は、薄い橙の光の中で、半拍ずつ、消えていった。
「白凪二等兵」
桐生の声が、観測壕の上から、来た。
「読め」
「後送便、確認」
「位置は」
「街道の北側/距離、まだ遠い/だが、速度は、最大」
「了解」
桐生は、それだけ答えた。
答えた声は、低かった。
低いが、揺れなかった。
揺れない声の中で、桐生は、双眼鏡を、構え直した。
構え直した角度の先に、街道の北側の方向が、あった。
北側の方向に、後送便の輸送車輌の、車輪の音が、半拍ずつ、近づいていた。
近づいてくる音の中で、白凪は、本陣の入口の脇の方向に、動き始めた。
動く速度は、急がなかった。
急がない速度の中で、白凪は、本陣の入口の脇に、立った。
立った位置は、これまで、鷹見が、立っていた位置、だった。
位置の脇に、薄い橙の光が、置かれていた。
置かれた光の中で、白凪は、後送便の音の方向を、見た。
後送便の音は、近づいてきた。
近づくにつれて、車輪の音は、二つに、分かれた。
一つは、輸送車輌の、車輪の音、だった。
もう一つは、補給用の荷車の、車輪の音、だった。
荷車の音の中に、半拍の重さは、入っていなかった。
入っていないのは、荷車が、空、だった、ということだった。
空、というのは、これから、鷹見の遺体を、運ぶための、荷車、だった。
運ぶ動きの先に、後方の地面が、あった。
後方の地面の上に、鷹見の身体が、運ばれていく。
運ばれていく先で、鷹見は、止まったまま、ある。
止まったまま、ある、というのが、鷹見の、最後の形、だった。
最後の形を、白凪は、これから、見送る。
後送便は、九番の入口の手前で、止まった。
止まった音の中で、輸送車輌の運転席から、輸送兵が、降りてきた。
輸送兵は、葉室、だった。
葉室の動きは、ゆっくりだった。
ゆっくりな動きの中で、葉室は、九番の入口の脇に、立った。
立った位置から、白凪を、見た。
「九番、白凪二等兵」
葉室は、それだけ言った。
「はい」
白凪は、答えた。
答えた声は、低かった。
低いが、揺れなかった。
揺れない声の中で、葉室は、もう一人の輸送兵に、合図を、出した。
もう一人の輸送兵は、綾瀬、だった。
綾瀬は、輸送車輌の後部から、降りてきた。
降りた位置で、後部の扉を、開けた。
開いた扉の中に、空の担架が、二つ、積まれていた。
積まれた担架の、一つを、綾瀬は、降ろした。
降ろした担架を、九番の入口の脇に、置いた。
「鷹見軍曹を、お運びします」
葉室は、それだけ言った。
「お願いします」
「お前が、九番の指揮者か」
「はい」
「了解です」
葉室は、それだけ答えた。
答えた声は、低かった。
低い中で、半拍の重さは、入っていなかった。
入っていないのは、葉室が、白凪の指揮者としての立ち位置を、半拍前から、後方の応答記録の中で、知っていた、ということだった。
知っていた葉室は、白凪の前で、確かめた。
確かめた後で、葉室は、本陣の入口の脇の方向に、動き始めた。
動く速度は、ゆっくりだった。
ゆっくりな動きの中で、葉室は、本陣の奥に、向かった。
向かう動きの脇に、綾瀬が、入った。
入った位置で、綾瀬は、担架を、抱えていた。
抱えた担架の動きは、揺れなかった。
白凪は、葉室と、綾瀬の動きに、続いた。
続いた位置で、本陣の奥に、入った。
入った先に、鷹見の身体が、横たわっていた。
横たわっている身体の脇に、瀬名と、桐生が、いた。
桐生は、観測壕の上から、降りていた。
降りた位置で、瀬名の脇に、立っていた。
立っていた二人で、鷹見の身体を、運ぶ役を、引き受けていた。
引き受ける動きの中で、瀬名の手の動きは、急がなかった。
急がない動きの中で、桐生の動きは、揺れなかった。
「葉室」
白凪は、口を、開いた。
「読め」
「鷹見軍曹の徽章を、外します」
「了解」
「外した徽章は、後方の指揮所に、引き渡してください」
「了解です」
「宛先は、澪原中尉です」
「分かりました」
葉室は、それだけ答えた。
答えた声は、低かった。
低いが、揺れなかった。
揺れない声の中で、白凪は、鷹見の身体の脇に、座った。
座った位置で、薄い色の布の縁を、半歩、外した。
外した縁の下に、鷹見の軍服が、入っていた。
入っていた軍服の、脇に、徽章が、つけられていた。
徽章は、軍曹の徽章、だった。
徽章の脇に、白凪は、自分の右手を、置いた。
置いた手は、震えなかった。
震えなかったのは、震えが、身体の中の、奥の、奥に、定着していたから、だった。
定着した震えの上で、白凪は、徽章を、外した。
外す動きは、ゆっくりだった。
ゆっくりだが、揺れなかった。
揺れない動きの中で、徽章は、白凪の手の中に、入った。
入った徽章の重さは、軽かった。
軽い徽章を、白凪は、葉室に、差し出した。
「葉室」
「はい」
「鷹見軍曹の徽章です」
「お預かりします」
葉室は、それだけ答えた。
答えた声は、低かった。
低いが、揺れなかった。
揺れない声の中で、葉室は、徽章を、両手で、受け取った。
受け取った手の中で、徽章の重さは、変わらなかった。
変わらない重さの中で、葉室は、徽章を、自分の軍服の、内側のポケットに、入れた。
入れた動きの中で、葉室の手は、揺れなかった。
揺れない手の中に、鷹見の徽章が、入った。
入った徽章は、これから、後方の指揮所に、運ばれる。
運ばれる先に、澪原中尉が、いた。
いた澪原に、徽章が、引き渡される。
引き渡された徽章は、鷹見の、これまでの動きの、終わりの場所に、置かれる。
置かれる場所は、後方の指揮所の、机の上、だった。
机の上に、徽章が、置かれた後で、鷹見の動きは、後方の記録の中に、定着する。
定着した動きの脇で、九番は、これから、白凪の指揮で、立つ。
「白凪二等兵」
葉室は、続けた。
「はい」
「鷹見軍曹を、運びます」
「お願いします」
「もう一つ、ある」
「読め」
白凪は、答えた。
答えた声は、低かった。
低い中に、確かめが、入っていた。
確かめは、葉室の言葉の、続きを、待つ確かめ、だった。
待った白凪に、葉室は、答えた。
「九番、保たせろよ」
葉室は、それだけ言った。
言った声は、低かった。
低いが、揺れなかった。
揺れない声の中で、葉室の言葉は、これまで、白凪が、葉室から、聞いてきた言葉と、同じ言葉、だった。
同じ言葉を、今、もう一度、葉室は、白凪に、置いた。
置いた言葉を、白凪は、答えた。
「保たせます」
白凪は、それだけ答えた。
答えた声は、低かった。
低いが、揺れなかった。
揺れない声の中で、葉室は、頷いた。
頷きの中で、葉室は、半歩、外側に、ずれた。
ずれた位置から、葉室は、瀬名と、桐生に、視線を、向けた。
「瀬名衛生兵、桐生一等兵」
「はい」
二人は、揃って、答えた。
「鷹見軍曹を、担架に、お乗せください」
「了解です」
瀬名と、桐生は、揃って、答えた。
答えてから、瀬名は、鷹見の両肩の脇に、自分の手を、置いた。
置いた手の動きは、急がなかった。
急がない動きの中で、桐生は、鷹見の両脚の脇に、自分の手を、置いた。
置いた手の動きは、揺れなかった。
揺れない動きの中で、二人は、鷹見の身体を、担架の上に、運んだ。
運ぶ速度は、ゆっくりだった。
ゆっくりだが、止まらなかった。
止まらない動きの中で、鷹見の身体は、担架の上に、横たわった。
横たわった身体の上に、薄い色の布が、もう一度、かけられた。
かけられた布の縁は、担架の縁の下に、入っていた。
「葉室」
白凪は、口を、開いた。
「はい」
「運んでください」
「了解です」
葉室は、それだけ答えた。
答えた後で、綾瀬に、合図を、出した。
綾瀬は、担架の片側を、抱えた。
葉室は、もう一方の側を、抱えた。
抱えた二人で、担架を、本陣の奥から、本陣の入口の方向に、運んだ。
運ぶ速度は、ゆっくりだった。
ゆっくりな速度の中で、二人は、本陣の入口の脇を、通り抜けた。
通り抜けた先に、九番の入口の脇が、あった。
脇に、薄い橙の光が、置かれていた。
置かれた光の中で、二人は、輸送車輌の後部に、担架を、運び入れた。
運び入れた瞬間、後部の扉が、半拍、開いたままだった。
開いたまま、葉室は、九番の入口の脇に、戻った。
戻った位置で、白凪を、見た。
「白凪二等兵」
「はい」
「鷹見軍曹を、お預かりします」
「お願いします」
「後方で、お預けします」
「了解」
「では」
葉室は、それだけ言った。
言ってから、頷いた。
頷きは、半拍、だった。
半拍の頷きの中で、葉室は、運転席の方向に、動き始めた。
動く速度は、ゆっくりだった。
ゆっくりな速度の中で、葉室は、運転席に、戻った。
戻った位置で、エンジンを、再開した。
再開された音の中で、後部の扉は、綾瀬の手で、閉じられた。
閉じられた音は、低かった。
低い音の後で、輸送車輌は、ゆっくり、動き始めた。
動き始めた方向は、街道の北側、だった。
北側の街道の先に、後方が、あった。
後方の先に、芦森補給廠が、あった。
芦森の先に、翠槇州が、あった。
翠槇州の先に、白凪の知らない地名が、続いていた。
続いている地名の上に、住んでいる人が、いた。
いる人の中に、鷹見の知っている誰かが、いた可能性が、あった。
可能性は、白凪には、分からなかった。
分からないが、鷹見の身体は、これから、その方向に、運ばれていく。
運ばれていく先で、鷹見は、止まったまま、ある。
止まったまま、ある、というのが、鷹見の、最後の形、だった。
輸送車輌は、街道の凹みを、避けながら、進んでいった。
進んでいく速度は、来た時と、同じだった。
同じ速度の中で、車輪の音は、半拍ずつ、遠くなった。
遠くなる音を、白凪は、九番の入口の脇で、聞いた。
聞いている時間の中で、薄い橙の光が、もう少し、濃くなった。
濃くなった橙の中で、九番の地面の上に、朝の光が、半拍ずつ、伸びていった。
伸びていく光の先に、街道の北側が、あった。
北側の街道の先に、輸送車輌は、もう、見えなかった。
見えない方向の上に、薄い橙の光が、置かれていた。
置かれた光の中で、白凪は、視線を、九番の中に、戻した。
戻した先に、九番の五人が、いた。
観測壕の上に、久我。
観測壕の手前に、白凪。
本陣の脇に、荒瀬。
副線の脇に、緒方。
本陣の奥に、瀬名と、桐生。
六人だった。
六人で、九番は、立っていた。
立っている九番の中の、鷹見の場所は、もう、なかった。
なかったが、消えてはいなかった。
消えていないのは、鷹見の最後の言葉が、白凪の中に、残っていた、ということだった。
残っていた言葉は、こうだった。
合ってる。
合ってる、というのが、鷹見の、最後の承認、だった。
承認された白凪の答えは、こうだった。
責任、です。
責任を、白凪は、これから、行動に、変える。
変える行動の中で、白凪は、九番を、保たせる。
保たせる相手は、九番の兵、だった。
九番の兵の中に、まだ、生きている五人が、いた。
五人を、白凪は、保たせる。
保たせるために、ここに、立っていた。
白凪は、九番の入口の脇から、観測壕の手前の方向に、動いた。
動く速度は、急がなかった。
急がない速度の中で、白凪は、観測壕の手前に、戻った。
戻った位置で、銃の構えを、確かめた。
確かめた構えは、揺れなかった。
揺れない構えの先に、断尾嶺の方向が、あった。
断尾嶺の方向には、もう、敵主力の動きは、見えなかった。
見えなかったが、消えてはいなかった。
消えていない動きの中で、白凪は、判断者として、立っていた。
立っているのは、観測壕の手前、だった。
観測壕の手前の位置の上で、白凪は、自分の足の置き方を、確かめた。
確かめた足の重心は、土に、深く、入っていた。
入っていたのは、保たせる動きの、土台だった。
土台の上で、白凪は、立ち続ける。
立ち続ける、というのが、判断者の動きだった。
観測壕の上から、久我の声が、来た。
「白凪二等兵」
「読め」
「断尾嶺の方向、変化なし/敵主力、退却、完了」
「了解」
「夜のあいだに、戻ってくる気配は、ありませんでした」
「了解です」
「だが、消えては、いません」
「分かっています」
白凪は、答えた。
答えた声は、低かった。
低いが、揺れなかった。
揺れない声の中で、白凪は、視線を、断尾嶺の方向から、九番の中に、戻した。
戻した先に、九番の中の、五人の動きが、あった。
五人の動きは、それぞれの位置で、続いていた。
観測壕の上で、久我は、双眼鏡を、構えていた。
観測壕の手前の脇に、桐生が、戻ってきていた。
戻ってきた位置で、桐生は、久我の脇に、入る半拍前だった。
本陣の脇で、荒瀬は、銃を、抱えていた。
抱えた銃は、鷹見の銃、だった。
副線の脇で、緒方は、応答機の脇に、座っていた。
座っている脚は、布の下に、入ったまま、だった。
本陣の奥で、瀬名は、新規負傷者の対応の動きに、戻っていた。
戻っている動きの脇で、瀬名の手は、急がなかった。
急がない動きの中で、瀬名は、止血の布の予備を、整え直していた。
白凪は、九番の中の、五人の動きを、見ていた。
見ていた時間の中で、頭の中の、ある場所が、再生された。
ある場所は、引き出しの、ある場所、だった。
ある場所には、配属の日から、十九日分の、白凪の動きが、入っていた。
入っていた動きの、最も、奥に、ある場所、というのが、動機の場所、だった。
動機の場所の中央に、十の言葉が、整列していた。
整列の一番上が、責任、だった。
責任を、白凪は、もう、口の外に、出していた。
出した責任の重さは、変わらなかった。
変わらないが、置かれた場所が、変わった。
変わった場所は、白凪の口の中、ではなく、九番の土の上、だった。
白凪は、自分の足の置き方を、もう一度、確かめた。
確かめた足の重心は、土に、深く、入っていた。
入っていたのは、観測壕の手前、だった。
観測壕の手前の位置の上に、白凪は、立っていた。
立っている位置の名前が、白凪の中で、半拍、変わった。
変わった名前は、こうだった。
最後の前線。
最後の前線、というのは、外から、九番が、そう呼ばれている名前、だった。
外から、というのは、後方の兵舎で、苫井が、白凪に、置いた言葉、だった。
置いた言葉を、白凪は、自分の口で、桐生と、緒方に、置いた。
置いた言葉が、今、白凪の中で、もう一度、出てきていた。
出てきていた言葉は、半拍、別の形に、変わろうとしていた。
別の形、というのを、白凪は、まだ、組み立てていなかった。
組み立てていないまま、白凪は、観測壕の手前に、立っていた。
立っている位置から、視線を、九番の外側に、向けた。
外側、というのは、九番の入口の脇から、街道の北側の方向、だった。
北側の方向に、輸送車輌は、もう、見えなかった。
見えない方向の先に、後方の地面が、続いていた。
続いていた地面の上に、芦森補給廠が、あった。
芦森の先に、翠槇州が、あった。
翠槇州の先に、白凪の知らない地名が、続いていた。
続いている地名の上に、住んでいる人が、いた。
いる人の中に、白凪の知っている誰かが、いる可能性が、あった。
可能性のために、白凪は、保たせる。
保たせる動きの中で、九番は、戦線の、南東の隅の、最後の前線、だった。
最後の前線、というのは、抜かれたら、芦森が、落ちる、ということだった。
芦森が、落ちたら、翠槇州が、抜ける、ということだった。
翠槇州が、抜けたら、後方の地面が、戦場になる、ということだった。
戦場になる先に、白凪の知らない地名が、続いていた。
続いている地名の上に、住んでいる人が、いた。
いる人の上に、戦争の湿気が、入る。
入れば、住んでいる人は、削れる。
削れる相手の中に、白凪の知っている誰かが、いる可能性が、あった。
可能性のために、白凪は、立つ。
立つ場所は、九番、だった。
九番、というのは、最後の前線、だった。
最後の前線、というのは、保たせる動きの、根元、だった。
根元から、芦森が、保たれる。
芦森から、翠槇州が、保たれる。
翠槇州から、後方の地面が、保たれる。
後方の地面の上に、住んでいる人が、保たれる。
保たれる先に、白凪の知っている誰かが、いた。
いた誰かのために、白凪は、立つ。
立つために、ここに、いた。
白凪は、観測壕の手前に、立っていた。
立っていた位置の名前が、白凪の中で、もう一度、変わった。
変わった名前は、こうだった。
生存戦線。
生存戦線、というのは、九番から、芦森補給廠まで、芦森から、翠槇州まで、翠槇州から、後方の地面まで、すべてが、繋がっている線、だった。
線の根元に、九番が、あった。
九番の上に、白凪が、立っていた。
立っているのは、判断者として、だった。
判断者の脇に、五人の兵が、いた。
久我、荒瀬、桐生、緒方、瀬名、だった。
五人で、九番は、立っていた。
立っているのが、生存戦線の、根元、だった。
根元の上に、白凪は、立っていた。
「白凪二等兵」
久我の声が、観測壕の上から、来た。
「読め」
「断尾嶺の方向、変化なし」
「了解」
「だが、消えては、いません」
「分かっています」
白凪は、答えた。
答えた声は、低かった。
低いが、揺れなかった。
揺れない声の中で、白凪は、銃を、構え直した。
構え直した銃は、揺れなかった。
揺れない銃の先に、断尾嶺の方向が、あった。
断尾嶺の方向には、敵主力の動きが、消えていなかった。
消えていない動きの中で、白凪は、判断者として、立っていた。
立っているのは、生存戦線の、根元、だった。
根元の上で、白凪は、これから、判断者の動きを、続ける。
続ける動きの中で、白凪は、十の言葉を、束ねていた。
束ねている動きが、白凪の、責任、だった。
責任を、白凪は、行動に、変える。
変える行動の中で、白凪は、九番を、保たせる。
保たせる動きが、生存戦線、だった。
責任は、言葉になった。
言葉になっただけでは、まだ、十分では、なかった。
口に、出した。
出したことで、初めて、形が、決まった。
決まった形を、鷹見が、承認した。
承認した鷹見は、止まった。
止まった鷹見の脇で、白凪は、責任を、引き受け切った。
引き受け切ったものを、白凪は、九番の土の上に、置いた。
置いた場所は、観測壕の手前だった。
手前の土の上に、白凪は、立っていた。
立っている場所が、生存戦線、だった。
生存戦線の上で、白凪は、これからも、判断者として、動く。
動くために、ここに、立っている。
ここに、立っているのは、保たせるため、だった。
保たせる相手は、九番の兵、だった。
九番の兵の先に、芦森が、あった。
芦森の先に、翠槇州が、あった。
翠槇州の先に、白凪の知らない地名が、続いていた。
続いている地名の上に、人が、住んでいた。
住んでいる人の中に、白凪の知っている誰かが、いる可能性が、あった。
可能性のために、白凪は、保たせる。
保たせる動きの名前が、責任、だった。
責任を、白凪は、鷹見の前で、口に、出した。
出した責任を、行動に、変える。
変えた行動が、生存戦線、だった。
生存戦線の上で、白凪澄は、判断者として、立つ。
無数の選択の中で、白凪は、最善を、選び続ける、と信じている。
信じている、というのが、白凪の、最後の、選択だった。
選択を、白凪は、続ける。
続けるために、ここに、いる。




