第18話 魔獣の実力
漆黒の獣――異界からの侵略者、『魔獣』が、シュオ・セーレンの前に立ちはだかる。
夕暮れのサディエル王術学院の廊下。
ステンドグラスから差し込む最後の光が、対峙する一人と一匹の間に、張り詰めた、死の匂いを漂わせる空気を描き出していた。
魔獣の低い唸り声と、シュオの荒い呼吸だけが、静寂の中で響いている。
壁際では、ガイアが負傷し、カイルとリーザは恐怖に立ち尽くしていた。
先に動いたのは、魔獣だった。その巨体を一瞬沈ませると、弾丸のように床を蹴り、シュオへと飛び掛かった。鋭い爪が、獲物を引き裂かんと煌めく。
「!」
シュオはその突進を、紙一重で身を捻ってかわした。魔獣が通り過ぎる瞬間にシュオは短剣を抜き、渾身の力を込めた持ち手を、魔獣の脇腹へと叩き込んだ。ゴッ、と鈍い音が響く。
「グォッ!?」
魔獣は短い呻き声を上げ、勢い余って横に数回転がった。しかし、ダメージは浅いようだ。すぐに体勢を立て直し、シュオを睨みつけるその瞳には、先ほどよりも強い敵意が宿っている。
(硬い…! この体では、右腕の力だけではまるで足りないか…!)
シュオは内心で舌打ちした。ラムジュとしての全力を出せないこの人間の体では、魔獣の硬い皮膚を破ることすら難しい。ならば――。
今度はシュオから動き出す。魔獣目掛けて走ると瞬間しゃがみ込み、魔獣の下顎を短剣で突いた。
しかし剣先は皮膚で弾かれ、刃がかけてしまう。
(この短剣で突き刺さらないだと...!? なら仕方ない......!)
シュオは即座に離れると左手を魔獣にかざした。そして、力強い声で魔術の詠唱を開始する。
それは第三世界の古き竜の言葉。彼の左手に、周囲のマナが急速に収束し、燃え盛る炎となって渦巻き始めた。
「な…! あの詠唱は…!?」
壁際で傷を押さえていたガイアが、シュオの詠唱を聞き、驚愕に目を見開いた。その詠唱は、第四世界の魔術体系とは異なる、しかし明らかに強力なもの。
そしてシュオの左手に宿る炎の魔力は、尋常ではない密度と熱量を放っていた。それは、第四世界における最高位の魔術――第一位魔法に匹敵する、あるいはそれ以上の力だった。
「第一位…魔法だと…? あいつが、そんなものを…!」
ガイアは信じられないという表情で呟いた。
「今のシュオはあれができてしまうんです...! 第二位の雷魔法すらも使っていました!」
ガイアの独り言に、隣にいたカイルが震える声で反応した。
(第二位の雷魔法…そして第一位の炎魔法…? 馬鹿な、属性が違う上に、位階も…あいつは一体、何者なんだ…!?)
ガイアの混乱は深まるばかりだった。シュオ・セーレンという少年に対する認識が、根底から覆されようとしていた。
詠唱を終えたシュオは、左手に渦巻く灼熱の炎を、魔獣目掛けて解き放った。
「ゴォオオオオッ!!」
巨大な火球は、唸りを上げて魔獣に直撃し、その漆黒の体を瞬時に飲み込んだ。
炎は魔獣に絡みつき、激しく燃え上がり、まるで巨大な火柱となって天井を貫くかのような勢いを見せる。
凄まじい熱波が廊下全体に広がり、壁や床が焦げ付くような音を立てた。
「す…すごい…!」
「これが…第一位魔法…!」
ガイアも、カイルも、リーザも、その圧倒的な炎の威力に、一瞬見とれてしまった。
これほどの魔法ならば、あの魔獣とて無事では済むまい、と誰もが思った。
しかし――その期待は、次の瞬間、無残に打ち砕かれた。
「グギャアアアアアアッッ!!」
燃え盛る炎の中から、甲高い咆哮と共に、漆黒の影が飛び出してきた。
全身を焦がしながらも、その勢いは衰えていない。魔獣は、シュオの第一位魔法を受けてなお、健在だったのだ。
そして、炎の中から飛び出した魔獣は、一直線に、恐るべきスピードでシュオへと突進してきた。その動きは、先ほどの比ではない。
「しまっ――!」
シュオは咄嗟に反応しようとしたが、間に合わなかった。魔獣の巨体が、猛烈な勢いでシュオの体に激突する。
ドゴォォンッ!!
凄まじい衝撃音と共に、シュオの体は壁に叩きつけられ、そのまま石造りの壁を突き破って外へと弾き飛ばされた。
「ぐ…はっ…!」
壁を突き破る衝撃と、地面のない空中へと放り出される感覚。シュオは口から血を吐き出した。
(…くそっ…! この人間の体は、脆すぎる…! ラムジュの頃ならば、この程度の衝撃、かすり傷にもならないっていうのに…!)
三階の高さから、シュオの体は重力に従って落下していく。地面が急速に近づいてくる。このままでは叩きつけられてしまう。
「…風よ!」
シュオは落下しながらも、残った意識で咄嗟に風の魔術を詠唱した。
幸い、第四世界の基本的な魔術体系は、書庫で読んだ知識で理解していた。
風がシュオの体を柔らかく包み込み、落下の衝撃を和らげる。
どうにか地面に激しく体を打ち付けることなく、受け身を取って着地することに成功した。
シュオは咳き込みながら顔を上げた。
見上げると、先ほど自分が突き破った壁の穴から、魔獣が飛び出してくるのが見えた。
漆黒の巨体が、まるで隕石のように地上目掛けて落下してくる。
シュオは即座にその場から飛び退き、距離を取った。
ズゥゥンッ!!
魔獣は大地を揺るがすほどの轟音と共に着地した。
その四肢は地面に深くめり込み、周囲に土煙が舞い上がる。
魔獣は低く唸りながら、ゆっくりと顔を上げ、その凶暴な瞳でシュオを睨みつけた。
その体からは、先ほどの炎で負った火傷が、既に急速に再生し始めているのが見えた。驚異的な再生能力。これも魔獣の特徴なのか。
――――――
一方、学院の三階の廊下では。
「シュオ!」
「シュオ君!」
壁に開いた大穴から外の様子を見たカイルとリーザは、シュオが魔獣と共に地上に落下したのを確認し、顔面蒼白になった。
「早く下に降りるぞ!」
「ええ!」
二人は、壁際で負傷しているガイアを気遣う余裕もなく、慌てて階段を目指して走り出した。
「…待て…!」
ガイアもまた、ふらつく足取りで、必死に二人を追う。
生徒会長としての責任感と、シュオに対する複雑な感情が、彼を突き動かしていた。
カイルとリーザが息を切らして階段を駆け下り、学院の中庭に出ると、そこでは既にシュオと魔獣の激しい攻防戦が繰り広げられていた。
シュオは、魔獣の素早い爪や牙による攻撃を必死にかわしながら、隙を見て蹴りや拳を叩き込んでいる。
しかし、その打撃は魔獣の硬い皮膚に阻まれ、ほとんど効果がないように見えた。
逆に、魔獣の攻撃は一撃一撃が致命的で、シュオは常に危険と隣り合わせの状態だった。
体力も、魔力も、徐々に消耗していくのが見て取れた。
「グオオオオオオオオッッ!!」
なかなかシュオを捉えられないことに苛立ったのか、魔獣は天に向かって巨大な咆哮を上げた。
その咆哮は、空気を震わせ、大地を揺るがすほどの威力を持っていた。
単なる威嚇ではない。それは、聞く者の精神を直接揺さぶるような、恐怖を植え付ける力を持っていた。
「ひぃっ…!」
「きゃっ…!」
カイルとリーザは、その咆哮を浴びて、体が金縛りにあったかのように動けなくなった。
今まで感じたことのない、根源的な恐怖が、二人の体を支配する。手足が震え、呼吸が浅くなる。
「…くっ…!」
遅れて中庭にたどり着いたガイアも、その咆哮の影響を受け、膝をつきそうになった。
だが、彼は気力でそれをこらえ、震える二人を見た。そして、リーザに向かって叫んだ。
「リーザ! 私を回復しろ! 風の第四位、『ヒール・ウィンド』だ!」
ガイアの強い声に、リーザははっと我に返った。恐怖で震える手を必死に抑えながら、ガイアに向けて回復魔法の詠唱を開始する。
「…癒しの風よ、彼の者に力を…!」
リーザの詠唱に応え、優しい緑色の光がガイアの体を包み込む。
傷の痛みが和らぎ、消耗していた体力が少し回復した。
完全にではないが、それでも、再び剣を握る力は戻ってきた。
「…よし!」
ガイアは自分の剣を抜き、再びその刀身に炎の魔力を流し込んだ。そして、決意を込めた目で魔獣を見据えると、一直線に駆け出した。
「会長!?」
カイルが驚きの声を上げる。
ガイアの突然の乱入に、魔獣は気づくのが一瞬遅れた。シュオとの戦闘に集中していた意識が、ガイアへと向かう。
「うおおおおっ!」
ガイアは雄叫びを上げ、燃え盛る魔法剣を魔獣の背中目掛けて振り下ろした。
先ほどは弾かれた攻撃だったが、今回は違う。
おそらく、シュオの第一位魔法によるダメージが完全には回復していなかったのだろう。
あるいは、ガイアの覚悟が剣に更なる力を与えたのか。
ザシュッ!
鈍い手応えと共に、魔法剣は魔獣の硬い皮膚を切り裂き、その背中に深い傷をつけた! 黒い血が噴き出す。
「ギャウッ!」
魔獣は苦痛の声を上げ、一瞬ひるんだ。だが、すぐに反撃に転じる。自身の太く強靭な尻尾を、鞭のようにしならせ、ガイアを薙ぎ払おうとした。
「させるか!」
ガイアはその尻尾を、剣の腹で受け止める。ギリギリと音を立てて押し返されるが、なんとか耐えきった。
ガイアが魔獣の注意を引きつけている、その一瞬の隙。それを見逃すシュオではなかった。
「今だ!」
シュオは残された力を振り絞って駆け寄り、左腕にありったけの魔力を込めた。
そして、がら空きになった魔獣の顔面目掛けて、渾身の左ストレートを叩き込んだ。
ゴッッ!!!
先ほどの右拳とは比べ物にならない衝撃。シュオの左腕から放たれた力は、魔獣の顎を砕き、その巨体を後方へと吹き飛ばした。
魔獣は数メートル転がり、地面に叩きつけられた。
「グ…グォ…」
魔獣は苦しげに呻きながら起き上がると、憎悪に満ちた目でシュオとガイアを交互に睨みつけ、再び咆哮を上げた。
これまでに相手にした事のない強力なモンスターを前にガイアとシュオは焦りを感じていた。
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