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32話 無貌の魔法使い

 アヴリルは歌っていた。昨日と同じ、悲しくも美しい旋律の歌を。

 近くに漂着物がごろんと転がっている。青い臼砲めいた外観のあれは。

 エールの魔導砲に間違いない。良かった。無くしてはいなかったのだ。


「アヴリルさん、おはようございます!」

「あら。起きたのね。おはよう、エール」


 アヴリルはにこりと微笑んで挨拶を返してくれた。


「見て。面白い形の壺を見つけたの。飲み水を入れておくのに使えそう」

「あっ……それはそのー……魔導砲っていう私の武器なんです」

「え。そうだったの……ごめんなさいね。気がつかなくて……」


 魔導砲を手に取って申し訳なさそうにエールに渡す。

 しかし魔導砲を壺だと解釈するとは。

 確かに知識が無ければそう見えるのかもしれない。


「アヴリルさん、この島の近くを船が通ったりはしないんですか?」

「そうね……時々見かけはしていたけれど。最近はヒュドラのせいで全く見なくなったわ」


 ヒュドラ自体は倒したが、船がまた行き来するようになるのは何日先のことか。

 まるで見通しが立たない。通りがかった船に助けてもらおうかと思ったのだが。


「アヴリル、飛べるんだからウェンディゴの近くまで送ってあげなよ」


 肩に乗ったパイロンがそう言いだした。

 たしかにセイレーンは翼を用いて空を飛ぶことができる。

 そうしてくれるのなら、エールにとっては一番良い方法ではある。


「……そうね。少し考えさせてちょうだい」


 だがアヴリルは、すぐにうんとは頷かなかった。

 それを不思議に思わなかったエールはお願いします、とだけ言って浜辺の散策を続けた。


 アヴリルが住む洞窟はどうも島の南側にあり、すぐ近くに浜辺が広がっている。

 島の外周すべてが浜辺というわけでなく、南側だけがそうで他は崖になっていた。真ん中は森で少数のミノタウロスが集落を作って暮らしている。


 エールは浜辺で面白いものを見つけた。ボロボロの釣り竿だ。

 でも糸もあれば釣り針もついているので、ちゃんと使うことができる。

 この釣り竿で魚でも釣って晩ご飯に出来やしないか、とエールは考えた。


 アヴリルにばかりご飯の調達を任せるのは悪い気がするのだ。

 釣りなんてやったこと無いが、まぁたぶん何とかなる。


「アヴリルのこと、あんまり悪く思わないで上げてくれ。アヴリルは人間の世界が怖いんだ」

「そんな。悪いなんて思ってないよ……それどころかお世話になりっぱなしで」

「その気になればアヴリルは翼を使ってどこへでも飛んでいけるんだけど」

「うん」

「島の外に出て、人間の世界に関わるのが嫌なんだ。エンリケがそうだったように、他の人間に敵対視されて嫌われると思ってるから」


 それはあり得る話だ。

 いきなり村や天蓋都市に魔物が現れたら、有無を言わさず攻撃されるだろう。

 魔物は人間たちを襲う恐ろしい敵。それが共通認識になっている。


「それに、何かの偶然でエンリケと会ってしまうのも怖いみたいだね。自分を捨てて他の誰かを愛していたとしたら……そう思うと耐えられないんだな」


 それも仕方のないことだ。アヴリルはきっとエンリケと離れたくなかった。

 他の魔物が排除しなければきっと神が許す限り、同じ時を過ごしたことだろう。


「私のことは気にしないで。みんな心配してるだろうけど、のんびり待てるもの」

「ところが、そういう訳にもいかないんだよね。この島には最近、変な奴が出入りしてるんだ」

「変な奴……? あっ!」


 今、釣り糸がぴくっと反応した。

 エールは慌てて釣り竿を握り直すと、ぐいぐい動く感触が分かる。

 力の限り釣り竿を引っ張ると、食いついた魚を見事に釣り上げた。


「や、やったぁ! これが一本釣りってやつなんだ!」


 肩に乗っていたパイロンが咳払いをした。


「話の続き、していいかな」

「あっ……ごめんなさい。どうぞどうぞ」

「ミノタウロスはそいつを『無貌の魔法使い』って呼んでた。怪しげだろ?」

「無貌って……顔が無いのっぺらぼうってこと……?」

「そうだね。魔物とも人間ともつかない、恐ろしい魔法使いなんだ」


 結局、エールはその後も3匹魚を釣ることに成功し、合計4匹を手に入れた。

 妖精であるパイロンは食事の必要が無いのでアヴリルと2匹ずつ分けることができる。


 『無貌の魔法使い』に関しては、よく分からないが関わるのは止めておこうと思った。エールの目的は姉を見つけることだし、藪をつついて蛇を出すなんてこともある。


 エールは洞窟に戻って集めた薪を適当に組みはじめる。

 パイロンがふっと息を吹くとそれだけでパチパチと薪が燃え始めた。

 風を操るエリーゼにも言えるが、妖精はなんと便利なのだろうか。


 これで焼き魚を作ることができる。

 調味料は無いので素材の味を楽しむことになるが、焼いて食えるだけいい。

 そうして晩ご飯の支度をしていると、アヴリルが洞窟に帰ってきた。


「アヴリルさん! お帰りなさい!」

「ただいま。晩ご飯を作ってくれたの? ありがとうね、エール」


 小枝に突き刺した焼き魚を二人で食べながら、アヴリルは静かにこう言った。


「ねぇエール。明日の朝、あなたをウェンディゴの近くまで連れて行ってあげるわ。私は魔物だから天蓋都市の中までは行けないけれど」

「アヴリルさん……いいんですか?」

「ええ。最近、この島も危ないのよ。ずっとここにいたら、エンリケのように襲われてしまうかもしれない。そんなのは嫌だから」


 理由はどうあれ、アヴリルがそう言ってくれるのは嬉しい提案だった。

 エールとしては断る理由が無い。ありがとうございます、と感謝して深々と頭を下げる。


「そんなに感謝しなくていいわ。大したことじゃないから……」

「アヴリルさんが優しいから……です。死にかけてた私を助けてくれて、ウェンディゴまで運んでくれるなんて」


 優しいアヴリルを見ていると、なんだか姉のことを思い出してしまう。

 いつも手を握りエールを導いてくれたカノンのことを。

 せめて命を救ってくれた恩返しが何かできれば良いのだが。


 そう思っていると、洞窟の中に風が吹いた。焚火の炎が揺れ動く。

 何か――殺気めいた気配が風に乗ってくるのをエールは感じ取った。


 洞窟の外に誰かがいる。エールは口に含んでいた焼き魚を飲み込む。

 傍に置いていた魔導砲を構えると洞窟の入り口に筒先を向けて目を細めた。


「エール、急にどうしたの?」

「外に何かいます。それも一体じゃなくて複数の気配……!」


 この島には動物を除いては魔物しかいない。

 洞窟を囲めるのは、島の中心部に住むミノタウロスだけだ。


「ミノタウロスかしら……? でもエールのことは知らないはず……」


 アヴリルはそのことを不思議に思ったが、不用意にエールを表に出すわけにはいかない。連中の目的がエンリケを排除した時のように人間を追い出すこと、なんて簡単に想像がつく。


「私が様子を見てくる。パイロンとエールはここにいて」


 洞窟の外へ出ると、やはり包囲していたのはミノタウロスたちだった。

 その中心にはぼろぼろの茶色のローブを纏った、人型の何かがいた。


 気配は人間に近い。だが人間とは思えない。

 なぜなら、深く被ったフードの下は漆黒に染まっていたから。

 顔が無いのだ。その人物こそが『無貌の魔法使い』なのは一目瞭然。

 アヴリルもミノタウロスの会話を盗み聞ぎしただけで、会うのははじめてだ。


「こんばんは。君がセイレーンのアヴリルか。私はラフィーネと言う者である」


 女性の声だ。てっきり男性だと思い込んでいたので、アヴリルは内心で驚いた。

 愚鈍なミノタウロスがエールのことにすぐ気づくわけがない。

 と、いうことは無貌の魔法使い、つまりラフィーネの告げ口によるものなのか。


「人間を匿っているようだけど、魔物なのに奇特だな。人間が好きなのか?」


 声は平坦で感情を感じさせない。アヴリルは恐る恐る口を開いた。


「……そうだけど、無理に追い出す必要はないわ。明日にこの島を去るから」

「それは良かった。私の興味も人間じゃなくて君にあるからな」

「……どういうこと。セイレーンなんて珍しい魔物じゃないと思うけれど?」


 ラフィーネはローブの下から手を伸ばした。いや、それを手と呼んでいいのか。

 顔と同じ、漆黒の靄が手のような形をしている、と言った方が正しい。

 まるで幽霊だ。実体の存在しないアンデッドの類なのかとアヴリルは疑った。


「私に協力して欲しいんだ。魅惑の歌で人間を惑わす、君の力が欲しい」

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