第70話 また始まりだ
朝、村の入り口に、全員が、集まっていた。
ミリアが、大きな荷物を、背負っている。中には、あの、農業記録帳の、完全版も、入っていた。
「行ってきます」
ミリアが、一言、言った。
「気をつけて。分からないことが、あれば、連絡してください」
俺が、言うと、ラナが、横から、ぶっきらぼうに、付け加えた。
「ちゃんと、飯を、食え」
ミリアが、笑った。
◇
「二年間……ありがとう、ございました」
ミリアの声が、少し、震えた。
「農業を、教えてもらって。ここに、いさせてもらって……。私、最初、ひどいこと、言いました。『証明してください』って、突っかかって。レイム様じゃ、なかったら、きっと、怒ってたと、思います。私のこと」
「怒ることは、一度も、なかったですよ」
俺が、言うと、ミリアが、目を、丸くした。
「……嘘、ですよね」
「本当です」
ミリアが、しばらく、俺を、見て――それから、ふっと、笑った。涙を、こらえた、笑顔だった。
「……じゃあ。行ってきます」
そう言って、歩き出した。
その背中は、もう、振り返らなかった。一度も。立派な、旅立ちだった。
◇
ミリアの姿が、見えなくなった後。
俺が、振り返ると――ラナが、農地に、向かって、歩いていた。
誰も、頼んでいない。なのに、一人で、農地に、出ていく。鍬を、手にして。老いた足取りで、でも、確かに。
その姿を、俺は、ただ、見ていた。
何も、言わなかった。言う必要が、なかった。あれが、ラナの、生き方だった。ここが、ラナの、場所だった。
◇
俺は、農地に、近づいて、土に、手を、当てた。
最後に、もう一度。
スキルが、反応した。
【土壌感知】
――良好。一部、優良。
二年前、初めて、この土を、触った時。診断は、こうだった。「荒廃」「劣化」「死につつある」。
それが、今は――「良好」「優良」。
土は、生きている。人も、生きている。この場所は、続いていく。
◇
数日後の、朝。
俺は、ダールム村を、発つことに、なった。
馬に、荷を、積む。東の集落へ。次の、荒れた土地へ。
出発の前に、俺は、村を、最後に、振り返った。
ラナが、農地に、いる。アナが、記録帳を、開いている。トムが、農具を、手にしている。センが、水路のそばに、立っている。村長が、入り口に、立っている。
全員が、いる。
全員が、動いている。
俺が、いなくても――この村は、もう、回っていく。
◇
俺は、誰にも、声を、かけなかった。
声を、かけなくても、伝わっている。それだけの、二年間だった。
馬を、進めた。
ダールム村が、後ろに、遠ざかっていく。水路の音が、麦の匂いが、少しずつ、遠くなる。
胸の中で、一つの言葉が、浮かんだ。前世でも、新しい現場に、向かうたびに、呟いていた言葉だ。
でも――その意味は、あの頃とは、まるで、違っていた。
前世の「また始まりだ」は、また、失敗に、向かう始まりだった。報われない、繰り返しの、ため息だった。
今の「また始まりだ」は――。
確かに、積み上げた、ものの、上に、立つ、始まりだ。
◇
さて、また始まりだ。




