第1話 土の声と、最後の仕事
本作は全70話で完結予定です。
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「この畑は、来年も厳しいな」
膝をついて、痩せた土を指でほぐす。粒が細かすぎる。水を抱え込みすぎて、根が息をできない土だ。
東北の山あいの集落。俺の前に立っているのは、七十を過ぎた農家のじいさんだった。
「先生、もう無理かもしれん。倅も町さ行ったきりだ」
「無理じゃないですよ。この土は、まだ生きてます」
俺はそう言った。本気でそう思っていた。土が死んでいるんじゃない。続ける人がいなくなっただけだ。
農業改良普及員になって二十二年。県の農業技術センターに勤めて、過疎の農村ばかり回ってきた。土を見て、水を見て、農家の話を聞く。それだけを、ただ続けてきた。
「来週、もう一度資料を持ってきます。輪作の計画を一緒に――」
胸の奥で、何かがぐしゃりと潰れた。
声が出ない。指先が、土の温度を感じたまま動かない。空が傾く。じいさんが何か叫んでいる。遠い。
ああ、と思った。話の続きが、できなかったな。
四十二歳。独身。深夜残業続きの心筋梗塞。それが、水沢拓也という男の最後だった。
◇
目を開けると、石の天井があった。
冷たい。獣脂のろうそくの匂い。見たことのない部屋。手を持ち上げると、それは皺のない若い手だった。
「……は?」
頭の中に、別の人間の記憶が流れ込んでくる。レイム・オルドラント。十六歳。オルドラント辺境伯の三男。ただし母は側女で、家の中での扱いは薄い。継承権など、あってないようなものだ。
転生。その言葉が一番しっくりきた。魔法もスキルもある世界らしい。じいさんとの話の続きはもうできないが、頭は妙に冷えていた。混乱するより先に、状況を整理する癖がついている。それも二十二年分の仕事の癖だった。
数日後、俺は城の広間に呼び出された。
「スキルを確認する。手を置け」
家臣が示したのは、水晶のはまった魔道具だった。手を乗せると、宙に文字が浮かぶ。
【土壌感知(評価不能)】
広間がしんとして、それから小さな失笑が漏れた。
「土を、感じる……?」
「戦闘にも使えん。評価不能とはな」
「ハズレだ」
誰かがはっきりそう言った。家臣たちの目が、冷たく俺を撫でていく。
俺は浮かんだ文字を、もう一度見た。土壌感知。
――土の状態が、わかる。
胸の奥が、静かに熱くなった。それは前世で、俺が一生かけてやろうとした仕事そのものだった。
「レイム」
上座から、辺境伯――この体の父が口を開いた。感情のない、事務的な声だった。
「北端にダールムという分領がある。連続の不作で人が減り、廃村寸前だ。税収はゼロ。辺境伯領の赤字を垂れ流している。お前が管理者になれ」
厄介払いだ、と空気が言っていた。ハズレスキルの庶子を、潰れかけの村にまとめて捨てる。誰の目にもそう映っていた。
廃村。連続不作。人口流出。
俺は内心で、ふっと笑いそうになった。
――なんだ。全部、知ってる問題じゃないか。
「謹んで、お受けします」
俺は膝をついて、そう答えた。貴族らしくない所作だったらしく、家臣たちがまた眉をひそめた。かまわなかった。膝をつくのは、俺にとって一番自然な姿勢だった。
◇
城を出たのは翌朝だった。
馬を並べるのは、護衛につけられた騎士・ウォルトだ。二十六歳。生真面目そうな顔をしている。
「ダールムには、何もないと聞いています」
「それも知ってます」
「……農業の知識が要るとか。失礼ですが、私は農業のことは何も」
「いいんです。これは俺の仕事なので」
ウォルトが、不思議そうにこちらを見た。十六歳の子どもが「俺の仕事」と言ったのが、よほど奇妙に聞こえたらしい。
馬に揺られながら、俺は手のひらを見た。土を触れてもいないのに、若い手のひらが、何かを感知しようとして疼いている気がした。
四日後。この手は、本当の土を触ることになる。
死にかけの村の、まだ死んではいない土を。




