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聖女じゃないです。清掃員の清城です。  作者: 荒瀬 維人


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第22話 追放

 追い出されるのは、汚れの方であるべきだった。


 だが朝一番、療養所の扉を叩いたのは、掃除当番でも配達でもなく、神殿の正式な使者だった。


 白い法衣を着た男は、前回の補佐官たちよりもよほど無表情だった。余計な威圧も侮蔑も見せない。そのぶん、読み上げる文面の冷たさがよく響いた。


「清城誠司殿。神殿の庇護下にある療養所の一室を、無資格の浄化活動および不許可の文書作成に用いた件につき、本日付で使用許可を取り消します。加えて、見習い浄化官リュシエンヌ・アベールには職務停止、謹慎処分を命じます」


 部屋の空気が乾いた。


 誠司は机の上の紙束へ目をやった。井戸用、洗い場用、寝床用、下水用。昨夜まとめたばかりの草案が、朝の光の下でやけに白く見える。


「退去期限は」


「正午です」


 誠司の問いに、使者はよどみなく答えた。


 短い。言い争いの余地を与えない時間設定だった。療養中の人間を追い出すにしては露骨だが、向こうも隠す気はないのだろう。


 ガロが舌打ちする。


「半日で病人を放り出すのが、てめえらの救済か」


「必要な薬と寝具は最低限、街道脇の旧宿舎へ届けます」


「旧宿舎?」


 リュシエンヌが眉を寄せた。


 その名は知っている。神殿の施療施設としてはすでに使われていない、王都南端の古い建物だ。手入れが薄く、人の出入りも少ない。追放先としては、じつに都合がいい。


「神殿は慈悲深いって言いたいわけですか」


 誠司がそう言うと、使者は初めてわずかに目を伏せた。


「私は命令を伝えるだけです」


 それで済むなら、現場はこんなに汚れない。


 喉まで出かけた言葉を、誠司は飲み込んだ。ここで相手を責めても、掃除の手は増えない。いま必要なのは、怒鳴ることではなく、動線を組み直すことだった。


「わかりました。正午までに出ます」


 使者は一礼し、文書だけ置いて去った。


 扉が閉まると同時に、ガロが机を拳で叩く。


「出る必要なんざねえ。ここで籠もって配り続けりゃいい」


「籠もれば、ここごと止められます」


 誠司は紙束を揃えながら言った。


「場所を失うのは痛いです。でも、やることまでは失いません」


 リュシエンヌはしばらく黙っていたが、やがて胸の前で手を組み直した。


「……職務停止は予想していました。でも、謹慎命令まで出るとは」


「戻りますか」


 誠司が確かめるように問うと、彼女は首を横に振った。


「戻りません。神殿に戻っても、現場はよくなりませんから」


 声は落ち着いていた。昨夜の決裂で腹は決まっていたのだろう。


 それでも、その横顔の硬さには失うものの重さがにじんでいた。神殿は彼女にとって、単なる勤務先ではない。育ち、学び、信じようとしてきた場所だ。その場所から切り離される痛みがないはずがない。


 誠司は立ち上がろうとして、足に鈍い痛みが走るのを感じた。まだ無理はできない。できないからこそ、今日の移動も運搬も、誰かの手を借りる前提で考えねばならなかった。


「ガロさん、荷車は」


「呼んである。こういう嫌な勘だけは当たるんでな」


「助かります」


「礼はいい。代わりに、旧宿舎を使えるようにする段取りを頭ん中で組んどけ」


「もう組んでます」


 そう答えると、ガロが一瞬だけ口の端を上げた。


 追い出されるなら、追い出された先を最初の現場にするしかない。


 午前のあいだじゅう、部屋は慌ただしかった。記録板を布で巻き、紙束を現場別に分け、赤と青の紐を小袋へ詰める。孤児院へ回すもの、宿場へ渡すもの、下水区画の班長へ先に届けるもの。リュシエンヌは几帳面な字で表紙を書き換え、ガロは荷崩れしないよう縄を締める。


 誠司は椅子に座ったまま指示を出し、必要な箇所だけ自分で赤を入れた。


 すると、正午前に予想外の来客が続いた。


 最初に来たのは孤児院の院長だった。痩せた背に毛織りの shawl をかけ、いつもより早足で部屋へ入ってくる。


「聞いたよ。あんたたちを追い出すんだってね」


「情報が早いですね」


「子どもでも知ってるさ。朝から神殿の使いが得意そうに歩いてた」


 院長は机の上の紙束を見るなり、ためらいなくその半分を抱え込んだ。


「これは持っていくよ。あたしたちの分だ」


「まだ改訂前です。使いながら直したいところもある」


「なら直せばいい。使って直すんだろう、あんたは」


 誠司は返す言葉に少し詰まった。


 その通りだった。完璧な形を待っていたら、現場は先に悪くなる。


 次に来たのは宿場の女将で、大きな籠に焼きたての平パンを詰めていた。


「追い出されるって聞いてね。あたしらの客間、あんたの紙で臭い戻りが減ったんだよ。礼くらいさせな」


 その後には下水区画の班長が二人、そして市場の洗い場を任されている女たちまで現れた。


 誰も大仰な言葉は使わない。ただ、必要だから来たという顔をしていた。


「入口で縄張る順番、助かった」


「青い桶の印、子どもにも通じた」


「魚の血水を先に分けるだけで、昨日の臭いが違った」


 報告は短い。だが短いからこそ、本当に回っていることがわかる。


 誠司は胸の奥のこわばりが、少しずつほどけていくのを感じた。自分の手が届かなくても、仕事は前へ進む。その事実は、うれしいというより静かな安堵に近かった。


 同時に、それが神殿には都合が悪いのだとも改めてわかった。


 正午きっかりに部屋を引き払った。


 旧宿舎は南門近くの外れにあり、かつて巡礼者の簡易宿として使われた建物らしい。壁はくすみ、雨樋は半分曲がり、中庭には枯れ葉が吹き溜まっている。入口をくぐった瞬間、誠司は鼻の奥にひりつく湿気を感じた。


「まず窓を開けます」


 追放の感傷に浸る暇はなかった。


「ガロさん、南側の雨樋。詰まりがあります。落ち葉を抜いて、水の逃げ道を作ってください。リュシエンヌさんは北の部屋を見て、使える寝台と駄目な寝台を分ける。床板が黒く浮いてるところは触る前に印を」


「着いて五秒で始めるのかよ」


「臭いますから」


 ガロは呆れたように笑い、すぐ動いた。


 リュシエンヌも裾を持ち上げ、迷いなく廊下へ向かう。


 誠司は入口に残り、空気の流れを見た。奥に滞る湿気、右手の物置から漏れる古布の臭い、使われていない井戸の蓋の脇に寄った黒ずみ。捨て置かれた建物は、放置された気配をそのまま吸って淀む。


 旧宿舎は、いまの王都そのものだった。


 一刻ほどで、最低限眠れる部屋と作業台を置く場所が決まった。追放先は、あっけないほど速く仕事場へ変わる。


 そのとき、南門から駆けてきた少年が一通の包みを持って現れた。宿場の使いで、女将から預かったという。


 中には乾いたパンのほかに、小さな古地図が入っていた。


「女将さんが、下宿してる年寄りの荷から出てきたって。昔の王都の図だそうです」


 羊皮紙は端が擦り切れていたが、線はまだ読めた。今の街路とは違う古い区画が描かれ、その一角に、封鎖済みと朱で書かれた地下通路がある。


 誠司が目を細めると、リュシエンヌが息を呑んだ。


「これ……旧王城の地下連絡路です。王家の避難経路として使われ、ずっと閉ざされたと聞いていました」


「本当に閉ざされてりゃ、こんなとこから臭いは上がってこねえ」


 ガロが地図を覗き込み、太い指で南北に伸びる線をなぞる。


「見ろ。下水区画で前に当たった古い排水路、これと繋がってる」


 誠司の中で、ばらばらだった現場が音を立てて並んだ。


 神殿、孤児院、下水、貧民街、市場。局所的な再汚染に見えたものが、もっと古い大きな流れへ吸い寄せられている。その中心が旧王城地下にあるなら、王都の汚れは単なる管理不足だけではない。長い時間をかけて、見ないことにされてきた澱みだ。


 しかも、神殿はこの追放で、こちらを王都の中枢から遠ざけた。


 近づかれたくない場所があると考える方が自然だった。


「ずいぶん、わかりやすくなりましたね」


 誠司がそう呟くと、リュシエンヌは地図を握る手に力を込めた。


「神殿は、いえ……エルミナ様は、これを知っていたのでしょうか」


「知ってるかどうかは後でいい」


 ガロが言う。


「問題は、いまそこから何が流れてるかだ」


 その通りだった。


 責任の所在を決めるのは後でもできる。だが、汚れの流れは待ってくれない。


 誠司は古地図を机代わりの板の上へ広げ、深く息を吸った。旧宿舎の空気はまだ湿っている。それでも、療養所で一人きりだった頃より、よほどましだった。ここには手がある。見てくれる目がある。


「追い出されたのは痛いです」


 二人へ向けて、誠司は静かに言った。


「でも、これで神殿の顔色を見て止まる理由はなくなりました」


 リュシエンヌが顔を上げる。


「はい」


「旧王城地下を調べます。ただし突っ込まない。まずは入口、風の流れ、繋がっている区画の確認。各現場の手順書配布も止めない。むしろ増やす」


「やっと言ったな、それ」


 ガロが笑う。


「こっちは追放された時点で、もう遠慮は要らねえと思ってた」


 誠司も少しだけ口元をゆるめた。


 遠慮は要らない。だが雑にもならない。


 相手が権威で押してくるなら、こちらは現場の積み重ねで押し返すだけだ。紙一枚、印ひとつ、順番ひとつ。そういう地味なものが街を守ると、ここまで来てわかっている。


 窓の外では、南門へ続く道を人が行き交っていた。荷を運ぶ者、桶を抱える者、早足で市場へ向かう者。その流れのどこにでも、汚れは入り込む。だから同じだけ、守る手も広げられる。


 追放は終わりではない。


 王都の中心から外されたことで、かえって見える線もあった。


 旧王城地下。


 誰も片づけなかった場所が、ようやく名前を持った。次に掃除すべき現場が、はっきりとそこにあった。


 誠司は古地図の端を押さえ、鉛筆代わりの炭で入口候補に印をつけていく。


 紙の上の黒い線は、まだただの線にすぎない。


 だが、その先にある汚れは、もう逃がさないつもりだった。

最後までありがとうございました!


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それでは次回の更新をお楽しみに

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