真意は霧の中
小鳥の朝は早い・・・雄鶏の朝は更に早い。
「・・・・煩いわね・・・まだ、空が白け始めたばかりじゃない・・・・もう!」
ベーゼンは、ベットから足を延ばし置き場を探す。
積まれた本の山をいつも通りそーっと・・・
しかし、彼女の視線などそこには無い。
重く瞑った瞳は、鈍い騒音に反応し開かれる。
けたたましい音は、部屋の外からは聞きなれた使用人達の声を呼び寄せた。
「お嬢様! 何事ですか! 入りますよ!」
「大丈夫よ・・・いつもの事だから・・・うぅ・・・・ハァ」
返答空しく開かれる扉。
そこには分かりやすい落胆の表情と共に優しいため息。
「いつもの事なら、改めていただけますか?
これでは、私共がお仕えしている意味がございません・・・
旦那様にどう顔向けしてよいものか‥‥婆やは・・」
「”悲しい”でしょ? それもいつもの事じゃない?
お父様には、私から伝えてるじゃん・・・ね、オルガ?」
上目使いの視線の先には、死んだ目の壮年女性。
繰り返されたため息の後、死んだ目に炎が灯る。
瞬間、少し身じろぐベーゼンの瞳は閉じられ衝撃に備えていた。
「お嬢様!! 昔はあんなに”素直”なお子でしたのに・・・
パトリックめの所で魔法の授業なんか行ってから・・・・
あぁ、あの”素直”お子は、あの老人めに洗脳されてしまわれた ──── 」
永遠と続く悲壮感漂う小言。
聴くベーゼンはそれを観察する。
時間が進むにつれ演技染みた動作へと変わる侍女長。
ベーゼンはそのいつもの行動を確認し、近くに転がる本を手に取る。
窓の外では、鶏の声は無く、代わりに二つの樋鳴り。
先程迄は薄暗く、侍女長の持つランタンの光だけの空間だった。
だが、今では陽がうっすらと差し込み文字の認識ができる程になっている。
暫く経ち文字列に飽きたベーゼンは、パタンと本を閉じ口角を少し上げた。
まだ続いているオルガの言葉。
ベーゼンは本をそっと置き、彼女の言葉を遮る。
「婆や、わかったわ。 でもね、今も自分には”素直”よ」
「ベーゼン様・・・ハァ、もう知りません。 私は疲れました」
背を向け天を仰ぐオルガの後方でクスクスといつもの様に弾んだ笑み。
「婆や、私は貴方のお陰でこんなに健康だし、"素直"な娘に育ったじゃん。
フフッ、神と婆やに感謝ね
さぁ、今日の予定をお願い出来る?」
これもいつもの事なのだろう。
オルガはため息と共に振り変えるも小言を続ける理由は無い。
そこには、身支度を整えたベーゼンの姿。
一見、淑女然とした姿だが、足元は兄アイネスと変わらない。
ベーゼンは、彼女の視線を確認し一瞬目を細める。
「何よ・・・いいじゃない。 私、おと・・殿方に媚を売る気は無いわ」
「媚だなんて・・・昔から女性はスカートと決まってい」
ため息すら無くなったオルガの小言は再燃するかに思われた。
しかし、それを止める様にベーゼンは被せる。
「婆や、伝統には守るべきモノと改めるべきモノがあるの
服装なんて時代が変われば変化するの・・・私は無駄なことは嫌い。
・・・そうね、じゃあ婆やが言う伝統が過去を受け継ぐことなら・・・
フフッ、婆やは"獣"の様に裸で過ごすのが正しいと?」
「お嬢様・・・」
残念そうな視線に笑みを返すベーゼン。
気休めでしかないその視線に、オルガはいつも通りの悲しみめいたため息を返す。
「フフッ冗談よ、私、婆やの言ってる事を判るわ・・・私のためよね。
ほら、私のためなら今日の予定を教えて、婆や」
オルガは、シルエットこそ男性染みているベーゼンの姿に小さくため息。
気分を改める様に綺麗に洗われたエプロンを手で整える。
「はい、お嬢様。 本日は ─── 」
オルガが喋り終えると、ベーゼンは一呼吸を置き彼女に笑みを投げかける。
「ありがと、婆や。 うん、食事が終ったらお父様の所に行くわね。
フフッ、今日はパトリックさんの所に行かないから安心ね」
「ベーゼン様!」
ベーゼンは、オルガを残し、そそくさと走り出す。
その場から逃げる様に消えるベーゼン、残るのはオルガと彼女に向けた声。
「冗談よ、何時までも元気でいてね婆や、毎日ありがと」
声に反応する壮年の女性は目元を優しく、瞳の端に涙を浮かべた。
彼女は腰を擦りながら、走り去るベーゼンの背に呟く。
「ベーゼン様、お心遣いありがとうございます・・・」
時は進み、太陽は昇り、庭から聞こえていた樋鳴りは既にない。
今は侍女たちが食器を片付ける音だけだ。
ベーゼンは、廊下の先にある父の部屋を目指す。
足取りは何時もより明らかに軽い。
足音はテンポを下げ扉の前に止まる。
部屋に響くのは温かくも硬質な打音。
「お父様、ベーゼンです」
扉の先からは、一拍置き返答には何処か上の空な声。
「入りなさい」
ベーゼンはゆっくりと丁寧に扉を開け会釈。
スカートの裾が在るかの様な所作は淑女然としている。
しかし、彼女の想定した反応は帰ってこない。
「すまないな・・・少し待っていなさい」
「・・・はい、お父様」
ベーゼンの目の前には、文を睨み書類を作成るする父の姿。
早馬の文が先ほど届けられたことは彼女も理解していた。
ベーゼンは手ごろなソファーにふんわりと静かに腰かける。
少し経つと、部屋にはベーゼンの時と同じ様に扉を叩く音。
そして続く声は、優しくも爽やかな男声。
「父上、アイネス参りました」
聞こえて来た声に、父ドワイトは先ほどより雑に入室を促す。
「あぁ、中で待て」
アイネスは、先に待つベーゼンに優しく笑みを向ける。
そして、少し空間を開けソファーに優しく腰掛け父へ問いを投げかけた。
「国からの催促ですか?」
兄アイネスの視線には良い感情は無い。
ベーゼンは視線だけを声の先へ向ける。
「・・・頭が痛い、いくら飢饉とはいえ・・・・
ウチとて飢饉の影響が無いわけではないのだ」
「国は、僕らを湧き水とでも思っているのでしょうか・・・」
二人の間に視線を交わす必要は無い。
だが、父は鼻で息を吐き捨て息子を諭す。
「フッ、アイネス、事実でも口は災いを生む・・・
肝に銘じておけよ」
「申し訳りません、父上」
兄の表情は少し浮かないが、その真意は分からない。
ベーゼンはその会話に頷きながら、机に置かれた焼き菓子を手に取る。
1つを口にし、その甘さ控えめすぎる焼き菓子をもう一つ手に。
「お兄様、美味しいですよ」
アイネスは、声の主に視線を向け表情を崩した。
そして、勧められた焼き菓子を手に取る。
「ありがと、ベーゼン・・・うん、甘くておいしいね。
町の商家の娘たちの間でも人気だというよ。
ベーゼンは好きかい?」
ベーゼンは優しい声に応え笑みを返すが、何処か違和感を残す。
兄妹の会話は静かに続き父の作業を待った。
「ヘネシィ、これを商業組合長に届けてくれ」
父ドワイトは隣に控えた執事長に手紙を渡す。
深々と頭を下げる執事長は流れる様に部屋を後にした。
ドワイトは視線を執事長の背から子供達に移す。
「二人共、待たせたね。 では、始めようか」
今日は予てより待望していた父の講義である。
数年前から兄は受けていたものだが、当時は"まだ早い"とあしらわれてしまった。
だが、今日は違う。
笑みを浮かべ父を見つめるベーゼン。
まんざらでもない表情で笑みを返す父は続ける。
「今日は、領地運営について勉強しよう。
アイネスは復習になるが、ベーゼンは初めてだな。」
ベーゼンの瞳はより強く輝く。
彼女の欲しい情報に”心身掌握術”というモノがある。
それは、心理学がベースにある話術と言ってしまえば分かりやすい。
とはいえ、その世界の価値観、考え方で手法は変ってしまう。
物の本に記載のある知識は、その時期のソレでしかないのだ。
化石染みた知識では、その道では嘲笑以外に得る事は出来ない。
父は、本を手に取りゆっくりと歩きながら説明を続ける。
「アイネス、ベーゼン。領主とは国から土地を任された貴族のことを言う。
それは国の一部ではあり、国に従わなければならない。
だが、事が起これば全て我々の責任になる。
国は味方の様に見えて搾取だけする存在だ。ここを違えるなよ。」
父の言葉に頷く2名の生徒達。
その姿に返るのは更に強い視線。
「では領民からはどうだ? 民から見える領主は国と同義。
ではどう向き合うかだが、 ──── 」
父の講義は太陽が天辺に上るころまで続いていた。
その中でベーゼンの輝く瞳は、彼女の欲しい情報にはより強く輝く。
しかし。それ以外には静かに内の闇を見つめる。
彼女の思考の海で語る父ドワイトの領主論はこうだ。
『治水を管理し、土地を潤せば民は富む。
民が富めば金ができ、金を使えば商人を手なずけられる。
商人を得れば、情報が買える。情報を持てば国すらも動かせる』
ベーゼンは思う。
道理だろが、それを行えば大概は欲に塗れて破綻していく。
これも道理だろうし、彼女が欲しいものではない。
実際、そんなことは兄アイネスの仕事だ。
彼女の求める知識には不要な部分だが、商人との付き合い方は知りたい。
ベーゼンは、煌めく瞳で視線を講師に飛ばす。
「お父様、領主としての在り方は分かりました。
ですが、肝心の人付き合い・・・
商人達と仲良くするにはどうしたらいいのでしょうか?」
父は、いつに無く真剣なベーゼンに、未来を感じ笑みを溢す。
「ほぉ、本の蟲は人に興味を持ったか。 うむうむ、良い傾向だ。
お前の嫁ぐ先は、さぞ栄えそうだな、ハハハハッ」
頬杖を突き眉を顰める死んだ目の少女はため息。
気を取り直し父へと問を飛ばした。
「お父様、それはそれよ・・・
私の知りたいのは情報を得るための繋がり作りなの。
嫁ぐとかどうでもいいの・・・もう!」
ふくれたような表情を見せるも少女の初々しさは無い。
確かに父から見た可愛さこそ感じる。
しかしそこには妻や、侍女長の様な違和感を感じさせた。
「ハハハッ、悪かったなベーゼン。私を嫌いになってくれるなよ。
では、その質問に私なりの答えを話そう。 ──── 」
父の講義は昼食をはさみ、西の空を染め上げ紺色の帳を引く頃まで続いた。
西日の温かさに記憶を奪われた少女は未だに父の執務室。
遠くから聞こえる優しい声に意識を引き戻され視線を向けた。
「おはよう、ベーゼン。父さんあきれてたよ。ご飯だから行こうか」
そこには兄アイネスの優しい笑みがある。
彼は本を片手に彼女が起きるのを待っていたかの様にも見えた。
「うぅん・・・・えっ、もうご飯?」
「ベーゼンは興味が無い事にはホントダメだね。
母上や爺やが来なくてよかったよ」
「・・・来なかったからいいじゃん
もう、兄さまは、いつもそう。心配してる様で、意地悪なんだから」
兄アイネスは、席を立ち、ベーゼンの頭をポンポンと優しく叩く。
「フフフッ、さぁ行こう、可愛いベーゼン」
「もぉ~、また子ども扱いしてる!」
兄は妹の先を行く、それを追う様にベーゼンもまた広間へと向かった。
ベーゼンは時折兄の行動に疑問が浮かぶ。
兄とはこんなものなのだろうかと。
可愛げも可憐ささえない女を、花や蝶の様に愛でるなどあり得ない。
兄とは妹に"爽やかな優しさ"を見せつける存在なのだろうかと。
そんな事を考えながら父の執務室を後にした。




