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 「はい…………はい。ご安心下さい。神の名の元に、安らぎを与えるだけですから」


 かつて少女であった女は、小さな籠を抱えて小屋へ入った。

 血の匂いが充満した室内では、一人の男がムシロに寝かされていた。


 女は男の包帯を解き、傷口を拭いて、煎じた薬草を塗ってから新しい包帯を巻き直す。

 長く戦い続けてきたのだろう彼は右目を失っており、左目もぼやけた景色を見せるばかりだという。左腕は先日切り落した。右脚の指も二つしかなく、このまま腐り続けるのであれば足首から切り落すしかなくなるだろう。他にも傷痕を探せばキリが無い。

 肉体的にも生きているのが不思議なほど。

 すぐに死なないというだけで、次の冬を越せるかは怪しい。


「身を起こしますよ。乳粥です。少しでも食べて、体力を付けて下さい」


 ふらつく男の腰後ろに巻いた衣服を詰めて、楽になるよう支える。

 粥へ手を伸ばそうとした女だったが、ふと男の背中に二つの矢傷を見付け、そっと指先で触れた。


「全く……馬鹿な人」


 男は何かを言おうとしたようだ。

 けれど音にもならず、空虚な吐息が漏れるのみ。


「食べなさい。しっかり、噛み締めて食べるのですよ」


 咳き込む力すら弱々しく、女も慣れない様子で懸命に食べられる速度を見極めつつ、ゆっくりと粥を口へ運んでいった。 


「また明日来ます。今日はゆっくりと休んで下さい」


 食事を終えた後、女は帰っていった。


    ※   ※   ※


 修道院の敷地には湧き水があって、修道女らは毎日汲んだ水を用いて院内を拭き清めている。

 夏場には涼を得られる素晴らしいものだが、冬では手が凍りつかんばかりに冷えてアカギレを起こすものが絶えない。


「では、行って来るのよ」


 誰よりも早く起き、一日分の修行を負えた女は包帯と薬草、汲んだ湧き水などを抱えて山を降りる。

 山道は危険とされているが、彼女の故郷を思えば散歩へ行くようなものだ。

 急斜面をひょいひょいと駆け下りていけば、いつものあぜ道へ辿り着く。

 いい加減慣れてきたらしい老婆が持っていってやりなと芋をくれた。


 焼けばふっくら美味しく出来上がるのだが、彼はどうだろうと考えて首を振る。


 外傷も酷いが、内臓は信じられないくらい弱り切っている。

 おそらく幾度も毒殺を受け、奇跡的に生き残ってきたのだろう。

 身体を治そうにも内臓が死に掛けているのだから、回復は絶望的だった。


 ましてや、消化の悪い焼き芋など食べられそうに無い。


 村長の下へ修道院で手作りされているシンボルを収め、変わりに貴重なヤギの乳や余ったパンを頂く。広場の脇へ行けば火の番をしている中年の女がおり、共用の鍋を借りてパン粥を作った。これも入れてやりなよ、と差し出された鶏の卵を落として、しっかり火を通す。貴重な塩を少量振り、半分だけ掬って器へ盛る。


「ありがとうございました」


 陽気に笑う中年女へ言って、ようやく彼の元へ向かう。


 小屋の外では彼と年の近い青年が立っていて、パンと芋を渡すと深々と頭を下げられた。

 東国では珍しくないという黒髪の青年。

 こんな西の果てまでやってきて、結局同族の者は一人も残らなかった。


 他にも数名、様々な人種の男達の怪我を見て回り、最後に小屋の中ヘ入った。


 むわりと漂ってくる血の匂いを堪えて、いつものように包帯を交換する。

 徐々に、血の匂いが濃くなっているような気がした。

 少しずつ彼の中から滲み出していく、彼の命。


 食事を摂らせ、寝かせてから、やはり堪えきれず、呟きを落とす。


「本当に、馬鹿な人」


 涙が膝を濡らしていた。

 溢れ出る想いは冷たい床へ染み渡っていく。


「私のことなんて、放っておけば良かったのよ。皆を怖がらせて、苦しめて、本当に…………地獄へ堕ちればいいのよ」


「だって」


 掠れた声に顔をあげる。

 右目はない。左目はもう、殆ど見えないまま。


「君に、もう一度、会いたかった、から」


「っ、……!」


 馬鹿、と言いたかった。

 けれどその前に、男は力尽きて意識を失った。


    ※   ※   ※


 雪が深くなりつつある。

 暖炉の無い、本来は物置でしかない小屋には大きな壺が持ち込まれ、止め処無く火が焚かれていた。

 火鉢というらしい。

 とても温かなものだったが、熱を閉じ込めるには心許無い小屋では常に底冷えしており、触れる男の身はいつだって冷たい。


「君、は、今まで、どう、して――――」


「最初は西側でもそこそこ歓迎されたわ。山岳の民への差別が無くなる様に尽力するって……どこまで本気かは分からないけど」


「探、し、た、のに、見付か、ら」

「すぐに東側に攫われたの」


 喋る体力の消耗を心配して、女は言葉を被せていく。


「どこかの馬鹿な王子が癇癪を起こして暴れ始めたから、怖がった西側は私を差し出そうとしたの。けれど、貴方の裏切りを恐れた東側は、密かに私を攫って隠したのね。そこからは、主導権を握りたい人達の間で散々に奪い合いが行われて、大勢が死んだわ。西へ行ったり、東へ行ったり、あまりにも多くの人の手を渡ってきたから、私も自分がどこに居るのかも分からなくなっていった。挙句逃げ出した先でまた奪い合いが起きて、止める事も忘れて逃げて、逃げて、逃げて、そうしてあの修道院へ辿り着いたのよ」


 俗世を捨て、主に身を捧げて祈り続ける毎日。


 故郷で信じた存在へ祈ることは許されなかった。


 あの険しいけれど、触れればとても温かい山岳の地へ、戻ることも出来ない。


「私は多くの人を不幸にしたわ。助けられる命を見捨てた。私を巡って大勢が死んだ。貴方が、大勢を巻き込んで、たくさん、殺したわ」


 冷たい風が入り込んでくる。

 寒い地方に適応していない女の手足はアカギレで一杯だった。


「私達は決して赦されてはいけない罪を犯したのよ」


「違う、僕が……君、が」


「私はずっと祈り続けてる。あの戦いで死んでいった人、今も苦しみ続けている人、すべての人達の魂が救われるように。私が、貴方が、決して救われないようにって」


 意味の無い行いだ。

 凄惨な戦いを見過ぎている女も、男も、祈りなんてものに意味があるとは思っていない。


 けれど、ならば、どうやって、この罪を忘れずに居られるのだろうか。


 この生ある限り、苦しみ続けなければならない。


「私達は、地獄に墜ちるべきなのよ」


 言って、女は膝を抱えて俯いた。

 いっそ火鉢の中ヘ飛び込んで全身を焼かれれば、奪われた者達の溜飲も少しは下がるのかもしれない。

 けれど一時的なものだ。

 目先のほんの僅かな満足の為に終わらせてしまうのは、とても楽なことのようにも思える。


 長く、長く、少しでも長く苦しみ続ける。


 その先に何があるのかは分からない。

 何も無いのだろうとも思う。


 女はそう思っていた。


「……ねえ、どうすれば貴方は私を諦めてくれたの」


 いつかの過ちを、どうすれば。


「そんなの、決まって、る」


 あの時、婚約を破棄するたった一つの方法、それは、


「君が、僕のことを、心、の、底から、嫌い……て、言って、くれ、れば」


 女はただ身を抱いて、沈黙を貫いた。

 答えてはいけない。

 答えはきっと、安らぎに触れてしまうから。


 どうにもならなかった昨日を経て、今こうしているのだから。


「本当に、馬鹿な人。馬鹿な、私……っ」


 呟きの側で、火の粉が跳ねた。


    ※   ※   ※


 その日現れた女は、頭に雪を乗せていた。

 火鉢の世話をしてくれていた従者が慌てて駆け寄り、彼女の身に積もった雪を払い落としていく。

 自分の手で出来ないことにもどかしさを感じながらも、女はいつものように火鉢の側でしゃがみ込む。


「君……この吹雪の、っ、中を、歩いてきたのかい」


 呆れた想いと、会えて嬉しい気持ちを滲ませながら言うも、彼女は半眼で言葉を制し、指を一本立てた。

 ちょっと間が空いて、ふと思い出した過去に男は腕を上げようとしたが、身を起こすことも叶わず脱力した。


「思いついたのよ」

「へぇ……何を」


 女は男の身を診て、相変わらずの状態に満足げな息を落とす。

 火鉢へ手を翳しつつ、


「私達は少しでも長く、少しでも深く、苦しみ続けなければいけないのよ」

「そう……だね」



「だから、六日間苦しんだら、七日目は安息日とするわ」



 理解するにはかなりの時間が必要だった。

 男も病んでいる。

 かつてのような明晰な思考は望めず、弱った身体に引き摺られて気力はすっかり萎えている。


 なので、救いを求める心が謎の妄言を想起してしまったのかと疑ったのだが。


「ずっと苦しみっぱなしは疲れるでしょう?」

「贖罪に、休息って、アリなの……?」

「主も六日頑張ったけど一日休んだわ。おかげで世界は不完全になったのに赦されているんだから、まあ多分大丈夫なのよ」


 いや、どうなのだろう、と男は思うが、女は血の通い始めた指先を擦り合わせつつ向き直った。


「少しでも長く苦しみ続けるには、ちょっとの休息が必要なのよ。だって貴方、そのままだとすぐ死んでしまいそうなのよ。生きなさい。もっと生きて、大勢に謝って、赦されないまま苦しみなさい」


「……………………君は、っ、ごほっ、ごほっ、っっ!」


 咳き込みはすぐ激しくなり、強張る肌からまた血が滲み出してきた。

 喋る機会が増えて喉がマシになってきているとはいえ、中身は泥を詰めたように重く、痛みは常に沁み出してくる。


 ようやく咳が収まった時、男は力無くムシロへ転がり、何かを諦めたみたいに言った。


「君はいつも、僕の想像を超えてくる」


 少しでも長く苦しみなさい。


 そんなことを言う為に、吹雪の山道を駆け下りて来たなんて、笑ってしまう。

 罪人にあるまじき笑みだ、と男もまた口を引き結ぶ。


 彼女を求め、周囲など(かえり)みず大勢を巻き込んだ、後に西側で恐怖の代名詞とさえ言われる悪行を男は重ねてきた。


 その果てで再び会えた、言葉を交わせた、それは確かに求めた幸福だ。

 けれど同時に、果たしたからこそ、立ち止まった彼の元に今まで犠牲にしてきた者達が追いついてきた。


 毎日夢に見る。

 死者達はいつも無言で男を見詰めている。

 詫びろ、とも、お前も死ね、とも言われない。


 そして死者達の一番前には、いつも弟が居た。


 真っ先に殺したのは弟だった。

 本国を纏める為に父は生かしたが、彼の権力基盤は全て始末し、ただ椅子へ座らせているだけの毎日。

 東側の軍勢をゴミのように扱い、使い捨て、その数十倍数百倍の敵……西側の者達を殺戮してきた。

 最初は罪を背負うのだと犠牲者の全てを記憶していたが、万を越えた辺りで止めてしまった。

 現地で徴発されたような者まで仔細に調べて覚えようとするので、調査の負担が大きくなり過ぎて問題となったのだ。

 加えて、調査していた者の半数以上が心を病んだ。

 死者が数字に変わり、名は役職に置き換わった。

 その内適当な数字を伝えているだけだと気付いても、最早咎めようとはしなかった。


 男の引き起こした戦いでどれだけの人が死んだのか、もう誰も分からない。


 顔も名前も知らない者達への謝罪が意味を持つのかも分からない。


 後悔はしている。

 苦しんでもいる。

 ただ死を見過ぎていて、与え過ぎていて、自分が本当に贖罪を求めているのかが分からない。


「でも……駄目だ。僕は、もっと、君の言う罪に、向き合わなきゃ」


 甘えていられるほど時間が残っているとは思えない。

 何の答えも出せないままただ苦しんで死んでは、犠牲にした人々が納得出来る筈もないだろう。


 意味があるのかどうかもわからない。


 分からない事を尋ねられる人は、当の昔に失ってしまっていた。


「いいのよ。貴方の罪の半分は、私が背負ってあげるんだから」


 なのに女は事も無げに言う。


「貴方が途中で力尽きたら、残りも拾っていってあげるのよ。それで貴方が長生きしてくれれば、倍の速度で贖罪が進むわ」


「贖罪、っ、て、そういうものじゃ、ないよね」


「とりあえずそういうものでいいのよ。お金を払って札を買えば罪が赦されると本気で信じているような人より、ずっと誠実じゃない?」


 比較の問題でもない、言い掛けた言葉は血となって吐き出され、女の手が背中をさする。

 ほら、こんなことで幸せを感じてしまうのに、と。


「生きて」


 確かに言葉はそこで途切れ、けれども、


「苦しみ続けるのよ」


 長い時間を掛けて、ようやく男が頷いた時、女の目から小さな涙が流れ落ちた。


    ※   ※   ※


 大王の最後は味方からの暗殺であったと多くは語る。

 侵攻を受けていた西側の書物には、ある日突然東側の軍勢が撤退を始め、津波が引くように戦争が終結したとされている。

 恐怖に脅える西側のとある宗教の法王が大規模な祈りの儀式を行っていたのもあり、一時的に多くの信者を獲得した。


 件の村で発見された大王の墓石が本物であるか、今以って決着を見ない。

 修道女がまるで大王の伴侶であるかのように書かれていた事で、例の宗教組織が怒り狂って抗議したことも影響している。


 まともな特産品も無く、修道院からの施しが無ければ掻き消えていただろう小さな村。冬は厳しく冷え込み、長く続く。実りは薄く、その為か小柄な者が多い。年に一度、春になると行われる祭りで、村民が中心にある大きな樹へ祈りを捧げるという奇態な行事がある以外はよくある寂れた村だ。


 噂が広がると、程無くして大王の墓は他のモノ同様に砕かれた。

 女の名が欠片も残らぬよう、入念に磨り潰されていたのだという。


 当時は村民が怒りを見せるものだと思われていた。

 中の者が誰であるかはともかく、村の人々の眠る墓だ。

 なのに取材に応じた一人は大口を開けて笑ったという。


『言い伝えられてた通りになって、いっそ痛快って所なのさ。石なんざいつか砕ける。大切なのは、何を遺したかってことじゃないかい?』


 では、それは何なのか。


『私達は同じものを背負って生きている。一人で抱えるには重た過ぎるけど、分け合ってやれば何とかなる。駄目ならまあ、次に頼むよって、受け継いでいく。迷惑に感じたこともあるけどさ、頼んでくれる人が居て、頼める人が居るってのは、結構嬉しいものなのさ』


 村民達は行事以外でも時折、中央の樹へ祈りに行く。

 そこには彼女らにとって、とても重たいけれど、大切なものが埋まっているのだという。


 結局、大王の没した場所は分からなかった。

 彼が望んでいたことも、何を思って死んでいったのかも。


 彼は恐怖の化身だったのか、無類の英雄であったのか。


 この先もずっと、語られ続けるのだろう。


    ※   ※   ※











































 因みに。


「あれ……立ち上がれるの?」

「うん? 壮健さは、僕ら草原の民の特性だからね」


 結構長生きしたという説もある。






最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。

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