23話 そんな過去もあったかもしれない
話をしよう。
一人の男の話だ。
まあ俺の事なんだけれど。
男は第三王女に連れられて怪異を探しに極東まではるばるやって来た。そこで出会った件なる妖怪が人と魔族が争う未来を確定させてしまう。男はチャブクロという失敗を一つだけ取り消せる妖怪を探し出し、件の予言を取り消すべく過去へと跳んだ。
俺の中で、取り消すべき失敗と言えば件の予言のことだった。それが一番の大きな失敗だと思っていた。
だが、辿り着いた先はさらに昔。
「ゼクスの言う通りなの。本当は、私がクリスタルアルラウネに近寄ったの。ゼクスはそれを助けようとして……それなのに、私は逃げ出して……」
「お、おい。リラ?」
いくつもの視線が、俺を突き刺していた。
この感覚は記憶に新しい。
俺が、追放されたあの日の視線だ。
「っ」
「ゼクス!? 大丈夫」
「あ、ああ」
どうして。
俺の失敗は、ここじゃないだろう?
立ち眩み、足元がおぼつかなくなる。
倒れかけた俺を支えてくれたのはリラだった。
俺が知る幼いころの、優しいままの彼女だった。
……そうだ。
もしリラが昔のままだったなら。
俺は、彼女から離れる必要なんて無かったんじゃないだろうか。
そんな事を考えていると、勇者グレインが口を開いた。
「リラ、本当、なのか?」
「……ごめんなさい」
「本当なのかと聞いている」
「……本当よ。ゼクスは助からないって思った。だから、私の罪も一緒に、持って行ってもらおうと思った。ごめん、ごめんね……ゼクス。本当に、ごめんなさい」
やめろ。
違う、今のリラはこんなんじゃない。
そりゃあ、子供のころは優しくしてくれた。
村八分に合っていた俺に、彼女だけが歩み寄ってくれた。暖かい言葉もかけてくれた。暖かい、言葉も……。
(あれ? 彼女は、なんて言ってくれたんだっけ)
何か、すごく大切だった気がする。
お守りのように、大切にしまっていた気がする。
言いようもない焦燥感。
大切な記憶がすっぽりと抜け落ちたような恐怖感。
待って、待って待って。
大切な何かを忘れている……。
「そうか、リラ。君はそういう人間だったんだな。ほとほと見下げ果てたよ」
「グレイン……ごめんなさい」
「謝罪は聞きたくない」
だけど、その大切な何かは思い出せないまま。
話が進み、グレインがあの一言を口にする。
俺ではなく、彼女の方に。
「リラ、君をパーティから追放する」
一瞬、何を言っているか分からなかった。
いや違う、分からないことだらけだ。
何がどうなってやがる。
どうして俺じゃなく、リラが追放される流れになっている。
「待てよ!」
自分自身の行動さえ分からない。
どうして俺は、彼女を庇おうとしているんだ。
「どうしてリラを追放するんだよ」
「ゼクス、君は彼女からどんな仕打ちを受けたか分かっていないのか。彼女は輪に不和を齎す」
リラは俺を見捨てて……。
でも、今は罪を罪と認識して、正直に謝ってくれていて、反省を言動で示してくれているじゃないか。
「分かってるよ! でも、こうして罪を打ち明ける優しさこそリラの美点だろ!?」
「美点だろうと、一度吐いた嘘は積み上げた全てを否定する。彼女がしでかしたのはそういうことだ」
……分かってる。分かってるんだよ。
俺だってそう感じた。
そう感じたからこそ絶縁を叩きつけた。
もう彼女とはやっていけない、そう感じたから。
でも。
「仲間の命を蔑ろにする人間は、僕のパーティにはいらない」
淡々と言い放つグレイン。
違うだろ。
そりゃ、いつからかリラは傲慢になった。
幼馴染って立場にかこつけて、俺に何かと無茶振りをしてきた。
グレインが知ってるのは、そういうリラだけだろ?
傍若無人な一面しか知らないだろ?
それなのに、リラの全てを分かったように。
「俺の知ってるリラは、そんな奴じゃねえ!!」
気が付けば、声を張り上げていた。
「グレイン、お前があの場の何を知っている! B級の魔物に手足をへし折られそうになって、イバラで肌を切り裂かれ、怖くなるに決まってるだろ!」
もう、わけが分からない。
どうして俺はこんな主張をしているんだ。
「いくら剣姫なんて言われたって、リラも女の子なんだ、女の子なんだよ! そりゃ恐怖を感じる事だってあれば、逃げ出したいと思うことだってある!」
言っていて、自分で悲しくなる。
そうだよ、リラの言い分だって、全部が全部間違っているわけじゃない。ただ耐え切れなくなって、俺は逃げ出したんだ。分かり合うことを拒絶したんだ。
「それを、間違いだったと思ったから! 白い目を向けられる事を覚悟して、醜態を晒すことを受け入れて、告白してくれたんじゃないか! それを、それをッ!!」
グレインに掴みかかる。
ヒートアップしていく言動。
それをどこか、冷めた目で見ている俺がいる。
「分かったような口をきいてんじゃねぇッ!!」
どこか、夢見心地だ。
だから言いたいように言えるのかもしれない。
心の底で望んでいたのはこんな結末だったのかもしれない。
言いたいことを吐き出して。
グレインから手を離す。
グレインはしばらく下を向いていた。
だけど、そのうち顔を上げ、こう言った。
「すまなかった」
その謝罪に、どれだけの葛藤があったのか、俺には分からない。だが、何かを食いしばるように吐き出した言葉だということは分かった。
「前々から、君たち幼馴染は歪な関係だと思っていた。いくら幼馴染とはいえ、リラの言いなりになるゼクスに不安を覚えていた。危うい共依存だと思った」
だけど、と。
グレインは続ける。
「違ったんだね、君たち二人を結んでいたのは信頼だ。とても美しい絆だ。断ち切ることなんて、きっと誰にもできやしない。君たち二人を除いてね」
グレインが俺に、手を差し伸べる。
驚いて、彼の目を見る。
透き通るような、宝石のようにきれいな目だった。
「先ほどの言葉は撤回する。そして、提案だ。これからも一緒に、パーティを組んでくれるかい?」
さわやかに言うグレイン。
後顧の憂いはもうない。
だから俺は、二つ返事で頷いて。
その手を――。
『ゼクスさん! ゼクスさん!!』
瞬間、世界が停止した。
比喩でも何でもなく、時間を切り取ったかのように、一切が停止した。
鑑定眼を使うと時間の流れがゆっくりに感じられることはある。だけど、こうも凍り付いたように停止した世界を、俺は見たことが無い。
なんだ。
何か、大切なことを忘れているような。
『歎願! 当機を置いて行かないで!!』
……ドラちゃん?
ドラちゃんって、誰だっけ。
違う、大事にしていたはずだ。
とっても大事な誰かだったはず。
でも、この時間が大切なのも確かなんだ。
グレインの手を取ったら、望んだ世界が広がっている気がする。
俺もリラも勇者パーティを追放されずにさ、また、昔みたいに笑い合うんだ。時に無茶をして傷つくリラを、俺が看てあげるんだ。リラはありがとうって言って、花が咲くような笑顔を見せるんだ。
だから、グレインの手を、取るだけで。
『ゼクスさん! お願いします、帰って来てください!!』
リスチェ。
この国の第三王女。
どうしてその人が俺を呼んでいる?
なんだ。
俺は何を忘れているんだ。
何か、大事なことを忘れている。
思い出すには、これしかないよな。
「……頼むぜ、鑑定眼」
顔の前に、右手を持ってくる。
どうしようもなく震えている。
それでも、俺は知らないといけない。
俺は答えを求めるよ、だから、教えてくれ。
「鑑定」
瞬間、俺の状態を正しく把握する。
「うぐっ……あぁ。そうか」
雫が一筋。
頬を駆け下りていった。
零れ落ちてしまった。
感情の蓋を取り外すかのように。
「俺が望んだ、……ありもしない過去なのか」
思い出した。思い出したんだ。
チャブクロという妖怪の性質も、俺が抱いていた違和感の正体も、全部、思い出してしまったんだ。
(俺の知るリラは、もう、どこにもいない)
よく分かった。
ここは過去ではなく幻想だ。
これが『邪な心』を持つ者に対する反応だ。
ありもしない幻想に囚われた者は、その世界に喰い殺されるのだ。俺がこの世界に甘えた時、グレインの手を取った時、あざ笑うかのように俺を殺しにかかるのだ。
本当に、妖怪っていうのはいやらしい。
こんなの、よっぽど恵まれた人間じゃなきゃ足を掬われる。
その点俺は果報者だ。
俺には俺の帰りを待ってくれる人がいる。
今も俺を呼び続ける声がする。
「ごめん。俺がやり直したいのは、ここじゃないんだ」
どこかで聞いているはずのチャブクロ。
彼に向かって、俺は言う。
「ありがとう。自分の心が知れて、それだけで十分だ。これ以上は望まないよ」
リラが昔のままだったら、こういう過去があったかもしれない。それが分かっただけで十分だ。
「それに、リラと別れたからこそできた繋がりもあるんだ。それを無かったことにはできないよ」
だから。
「俺を信じてくれている彼女たちのために、俺の過ちを取り消させてくれ、チャブクロ!」
……なんとなく。
世界がやさしく微笑んだ気がした。





