エーリヒ帰還する
基本はカイル視点です
夜遅くなって、エーリヒは宿に戻った。そのまま、宿の食堂に行くと、カウンターで酒を飲むカイルが手を上げた。
「遅かったな」
それを無視することもできず、エーリヒはカイルの隣に座って酒を頼んだ。
「……カイルは、いると思ったんだ」
エーリヒが、酒のグラスを傾けながら苦笑いで言うと、カイルが「まあな」と笑った。
「あの後、大変だったんだぞ? リーゼは機嫌が悪いし、セラとアルはずっと喧嘩してるし」
カイルの話に、エーリヒが首を傾ける。
「リーゼが怒るのはわかるけど、なんで二人が喧嘩をするの?」
さあなあ、とカイルが困った顔をした。
「セラは、アルが信用しなさすぎるって言うし、アルは、セラが鈍すぎるって言うし。二人とも要領を得ないから、何のことだか、さっぱりわからん」
エーリヒは、カウンターに額をつけて、「ごめん」と呟いた。
「自意識過剰じゃなければ、多分、俺のせい……」
「…………お前、何やったんだ?」
それがさあ、とエーリヒは額をつけたまま話し出した。
「セラを拉致……じゃない。デートに誘ったんだけどね」
「あ、うん。そこは、リーゼが怒ってたやつだけどな」
カイルが言うと、エーリヒは「うん、知ってる」と軽く流した。セラフィナを無理やり連れて行った時点で、リーゼの怒りは覚悟していたことだ。そこは、あとでしっかり叱られようと思っていた。
「セラが、あんまり可愛いことを言うもんだから、つい……」
エーリヒは、考えるように、そこで言葉を切った。カイルは、とても嫌な予感がした。ヒヤリとした胸の内に首を傾げながら、カイルはエーリヒの言葉を待った。
「つい、抱きしめて……」
エーリヒが、ノロノロと頭を上げた。顔は、変わらず下を向いている。
「キスを……」
「…………っ!?」
カイルは、危うくグラスを取り落としそうになって、膝を強かにカウンターに打ちつけた。
痛みに耐えるカイルをよそに、エーリヒは静かに続ける。
「――する寸前で、アルに怒られた」
どんよりとしたエーリヒの言葉に、カイルがそっと息を吐く。
「『セラが同意したのか』って」
「……同意、してたのか?」
エーリヒは、目だけをそろっとカイルに向けて、すぐに気まずそうに逸らした。
「………………してない」
エーリヒの額が、再びカウンターに沈む。カイルは、いつの間にか肺に溜まっていた息を、大きく吐いた。
「アルがいなかったら、取り返しが……いや、もう無理かな?」
低い声で言うエーリヒの背中をポンポンと叩きながら、カイルはようやく見えた全貌に、ほっと息をついた。これなら、すぐに元に戻るだろう。とりあえず、エーリヒを復活させるのが先だ、とカイルは口を開く。
「何が無理なんだ?」
「無理でしょ。セラ、怒ってたし……」
はあー、とため息を吐くエーリヒは、まだ顔を上げない。それに、カイルは苦笑いをした。
「心配してたぞ? お前が、いつまでも戻ってこないから」
その言葉で、エーリヒはようやくカイルを見た。
「セラとアルが喧嘩してたのも、確かにお前が原因だな。最初に言ったろ?」
カイルは、カウンターに肘をついてニヤニヤした。
「セラがお前を庇うから、アルが怒ってたんだよ」
「……え。俺を?」
エーリヒが、驚いた顔でカイルを見返した。カイルは、二ッと笑って視線を合わせる。
「アルがさ、『あいつの前で呆けるな』って言ってな。お前のことだろ? そしたら、セラのヤツ『ぼーっとしてても助けてくれるもの』ってさ」
カイルは、セラフィナの真似をしているのか、一際高い声を出した。それに、エーリヒは一瞬変な顔をして、すぐにぷっと吹き出した。
「カイル、似てないな」
うるさいな、と言いながら、カイルも笑った。
「二人の会話が、絶妙に噛み合わないんだ。理解に苦しむよ。特に、セラ」
「何で、それで通じないの? 全面的に、アルが正しいと思うんだけど」
「そこは、まあ、セラだからさ」
「……セラ、もしかして、事故か何かと解釈したんじゃないのかな」
「……ありえる」
二人は額を抑えて、揃ってため息をついた。少し間を置いて、酒のグラスに口をつけたカイルは、エーリヒを見て笑った。
「お前がセラを好きなことは、セラも知ってるんだろ?」
「知ってるけど……セラは『よくわからない』ってさ。そう言われたら、無理もできなくてさあ」
はあー、とため息を吐くエーリヒに、カイルが「複雑だな」と同情する。
「それでもお前を庇うんだから、まず嫌いってことは、ないだろ」
だといいなあ、とエーリヒの声は弱い。それを見て、カイルがまた笑った。
「前から思ってたけど。お前、セラの前と俺の前と、だいぶ違うよな」
エーリヒは、肩をすくめて笑った。
「好きな子の前では、格好良くいたいんだ」
「若いな」
「これでいいんだよ」
二人でくつくつと笑い、酒を飲む。
「――セラには、謝っておけよ」
エーリヒは、一口酒を口にしてから頷いた。
「もう、謝ったよ」
そして、肩を落として続ける。
「……アルには、殴られるかなあ」
「それはないと思うが、リーゼは、覚悟しておいた方がいいぞ」
カイルに言われて、エーリヒが青ざめた。
「まずい。明日、寝過ごしたくなってきた」
カイルが、ははは、と明るく笑う。しばらく、何も言わずにグラスを傾けていたが、ふと、エーリヒが口を開いた。
「――ねえ、カイル」
なんだ、とカイルがエーリヒを見るが、彼は手に持つグラスを眺めたまま、カイルを見ていない。何かに悩むように、じっと一点を見つめている。
「カイルは……」
カイルは、何も言わずに言葉を待った。しかし、言葉は続かず、二人の間に沈黙が落ちる。
エーリヒは、グラスに残った最後の一口を飲み切った。
「――何でもない」
いつものように穏やかな笑みを浮かべたエーリヒは、カイルと視線を合わせた。その表情に少しの違和感を感じたカイルだったが、何も言わずに笑い返す。
「――そうか。頭は冷えたか?」
エーリヒが「ああ」と答えると、カイルもグラスの酒を飲み干して席を立つ。
「明日は、朝からうるさそうだ。早く寝ておけ」
カイルはそう言って、部屋に戻って行った。振り返らない彼を、エーリヒはじっと見送る。その姿が見えなくなって、ふっと視線を手元に逸らした。
「――カイルは、格好いいなあ」
エーリヒは、空になったグラスを、目を細めて見つめて言った。
翌日の午後。カイルはフィオレイドのカフェにいた。向かいの席ではセラフィナが静かにお茶を飲んでいる。
朝、カイルが食堂に入った時には、セラフィナとリーゼが朝食を摂っていた。カイルの後に降りてきたエーリヒを見て、椅子を鳴らして立ち上がろうとしたセラフィナを、リーゼが片手で抑えたのは、見事だった。
エーリヒは、昨日の彼が嘘のようにいつも通りで、セラフィナに熱い視線を送りながら、リーゼの怒りを穏やかに受け止めていた。そうこうしている間に合流したアルベルトも、エーリヒにチラリと視線をやったものの、いつもと変わらず無言で朝食をとっていた。
ギルドとの約束までやることのない五人は、今日は自由に過ごすことにした。カイルは、フィオレイドを見て回ろうと宿を出ようとしたところで、いつの間にか防寒を済ませたセラフィナに捕まった。が、捕まり方が、酷かった。セラフィナは、宿の扉を開けたカイルの腕に、飛びついたのだ。三者三様に固まっている仲間の顔が、カイルの視界に映った。しかし、それどころではない言葉が、セラフィナの口から飛び出した。
「――カイル! でえとしましょう!」
エーリヒは目を大きく開けて見たことのない表情をし、リーゼの周囲には氷が吹き遊んでいた。アルベルトに至っては、無表情の威圧だ。
「……あ、いや、俺は……」
三人の視線に耐えられなかったカイルは、咄嗟に断ろうとしたが、セラフィナがそれを遮った。絶対に、間違ったやり方で。
「ね、カイル。お願い」
カイルの腕に自分の腕を絡めて、潤んだ瞳で上目遣いに見上げるセラフィナを直視したのが間違いだった。気づけば口から「わかった」という返事が漏れていた。カイルは、どうして了承したのか、自分でもよくわからなかった。
視界の端では、リーゼが頭を抱え、エーリヒが絶句し、アルベルトが一歩踏み出していた。そんな三人に、セラフィナが振り返ってにこりと笑う。
「そう言うわけだから、ついてこないでね」
セラフィナは、ひらひらと手を振って、カイルを宿から引っ張り出した。
カイルの腕を引くセラフィナは、大通りを逸れて中道に入り何度か曲がると、ふう、と息をついてようやく止まった。
「――カイル、疲れたわ」
それ、俺のせいじゃない、という言葉を飲み込んで、カイルは苦笑いした。
「何かあったのか?」
セラフィナは、いつも自分の好きなように行動するが、誰かを巻き込むときは、先に同意を取ることが多い。相手の意見を聞くかどうかは別として。今回のように、意図して了承を得て、強引に連れて行くのは珍しい。だから、仲間たちから離れたかったのかと、カイルは考えた。
セラフィナは、カイルの顔をじっと見て、腕を離した。少し考える素振りをすると、目に留まった喫茶店に足を進める。
「寒いから、あそこに入りましょう」
カイルの返事も待たずに歩き出したセラフィナは、やはり滑って転びそうになっている。なんとか踏みとどまってはいるが、彼女はどうやら運動がとても苦手らしい。そういえば、雪が踏み固められた場所では、よくリーゼが手を繋いでいたような。
無意識に出した手でセラフィナを支えたカイルは、そのままセラフィナの手を引いた。
「ほら、行くぞ」
色々と世話の焼けるお嬢様だ、とため息をついたカイルは、最近気がついたことがある。自分は、どうも世話焼きな傾向があるようだ、と。一人で旅をしているときはもちろん、たまに他のグループに入っても、あまり人と関わらなかったから、わからなかった。
そして、このグループは、セラフィナを筆頭に手がかかる。何より、手をかけられることを厭わない。実際、今もセラフィナは、大人しく手を引かれていた。
「ねえ、カイル。雪で転ばないようにするには、どうすればいいの?」
「んー、そうだなあ……まあ、誰かと手を繋いでればいいんじゃないか?」
「………………馬鹿にしているの?」
眉を顰めるセラフィナに、カイルは声を上げて笑った。手まで引いて歩いてしまって、戻ったら三人にどんな言い訳をしようかな、と思いながら、カイルはセラフィナを連れてカフェに入った。
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