ミモザの心苦しい恋と時戻り -05-
口付けを落とされた手が熱い。金色の瞳が優しく弧を描いたことで、ミモザはようやく我に返った。
「俺はダニエルだ。あの時は、助けてくれて本当に感謝してる。ありがとう」
「い、いえ、お元気になられて本当によかったです」
「ああ、ミモザが秘薬を飲ませてくれたから」
少しだけ、ダニエルの頬も赤く染まった気がした。
(今、ミモザって、そんなの反則だよ、それに……)
「あ、あの、もしかして、……覚えているんですか?」
口移しで飲ませたことを。その言葉は恥ずかしくて声には出せなかったけれど。
その瞬間、ダニエルは嬉しそうに笑った。
「ああ、もちろんだ」
「!?」
それを聞いたミモザは一気に顔を赤くした。キスをしたことを覚えている、ということだから。あの状況下だったから、絶対に覚えていないと思っていたのに。
「いえ、本当に良かったです。あ、教室に戻らなきゃ。お話の途中で失礼しますっ」
全身が沸騰しそうなほど恥ずかしくて、慌てて逃げるしかなかった。
教室の自分の席に着いたミモザは、先ほどのことを思い出して、机に突っ伏してしまう。
このクラスには知っている人は誰もいなかった。もちろんダニエルはA組。少しだけ残念だと思う反面、同じクラスじゃなくて良かったとも思っていた。
(あんな格好良い人とずっと一緒の教室なんて、絶対に死んじゃう。あの声を聞いただけで悶え死ねる自信がある。……もう話す機会はないだろうけどね)
だけど、その予想はあっさりと覆される。昼休みに入った途端、ダニエルに中庭に呼びだされたのだから。
「あ、あの、王太子様、わたし、何かお気に触るような事をしてしまいましたか?」
「強いて言うなら、俺のことをダニエルと呼んでくれないことかな」
「いや、それはちょっと、いや、だいぶ無理です……」
「では、俺の方を向いてくれないか?」
「え、いや、それも……」
恥ずかしすぎて無理。先ほどからずっと中庭のベンチに二人きりで座っている。距離が近い。そして、ずっと見つめられている。
(無理、無理! 無理!! 一体何なの? このご褒美、いや苦行? どうして?)
「ミモザ、どうしてこっちを向いてくれないんだい? 俺は君に会えて本当に嬉しいんだ。本当にずっと、君に会いたかったから」
「!?」
膝の上に置いていた手に、ダニエルの手が重なる。俯いていた顔を覗き込まれる。
(近いってば!! もう本当に無理!!)
息ができない。
「ミモザは、俺のことが嫌い?」
金色の瞳で真っ直ぐに問われる。嘘はつけなかった。気付いたら、頭を左右に大きく振っていた。
(嫌いなわけ、ないじゃない……)
「良かったあ」
目の前には、目も眩むほどの笑顔を浮かべたダニエルがいた。
その笑顔に、胸を鷲掴みにされてしまった気がした。
(本当に、反則だよ。そんな笑顔を見ちゃったら、もう……)
誤魔化すことなんてできない。だけど、決して口に出してはいけない。
(わたしのことなんて、本気のはずがないのに。だって、王太子様には、婚約者がいるんだから)
ダニエルに婚約者がいることは、周知の事実だった。貴族社会に疎いミモザでさえ知っているくらいに。
(入学式で初めて見たアケーシャ様は、とってもお綺麗な方だったな)
由緒正しいヴァンガード公爵家の御令嬢。
氷の姫と称されるほど、冷静沈着でいて聡明、そして完璧な所作は、誰から見ても次期王妃に相応しいと思われていた。
(そもそも、わたしなんかと比べること自体がおかしいのよ。きっと、わたしみたいなのは王太子様の周りにはいなくて珍しいから、よね……)
それなのに、ダニエルは毎日のようにミモザを誘った。ミモザを見つけては声をかけてくれ、とびきりの笑顔をくれる。
(もしかして、本気? いや、そんなはずないよね? 勘違いだよ?)
ダニエルには婚約者がいる。自分の入る隙間なんてないはずなのに。それに、二人の関係を壊すだなんて考えられない。
行き場のない想いを胸に、今はただ、流れに身を流されることしかできなかった。
一方で、ミモザとダニエルの噂は、入学初日から瞬く間に広まっていた。
故に、ミモザの存在をよく思わない女生徒から虐めの標的にされた。
「男爵令嬢ごときが、アケーシャ様の足元にも及ばないのよ」
「王太子殿下をどうやって誑かしたのかしら」
「男漁りをしたいのなら夜の街にでもいきなさい」
罵声を浴びせられることは日常茶飯事。教科書に落書きされたり、靴を隠されたり、汚い水を被せられたこともあった。
「ミモザ、どうしたんだ? まさか、アケーシャが?」
「ち、違いますっ、ちょっと、わたしの不注意で……」
不注意で二階から汚い水が降ってくるなんて、どれだけ注意していればいいのだろうか、と自分でも考えてしまう。
「わたしは大丈夫ですから、心配しないでください」
「だめだ、今すぐ着替えを用意するから!!」
「きゃあ、え、だめです!! 王太子様が汚れてしまいます!!」
「ふっ、ミモザのためなら、本望だ」
自分も汚れてしまうことにも全く厭わず、ミモザを横抱きにかかえ、歩き出した。
(だから、反則だってば……そんなに優しくされたら、本当に勘違いしちゃうよ)
ダニエルの優しさに、今だけは、と身を委ねてしまった。
(わたしって、ずるい女……)




