アケーシャの叶わぬ恋と時戻り -12-
「もう少しで会えるわ。ふふ、とっても楽しみ」
そんなアケーシャにも、ダニエルと婚約したことで、たった一つだけ、心から嬉しいと思うことがあった。
エイデンをヴァンガード公爵家に迎え入れ、また、家族になれる。それだけが今のアケーシャの存在意義だった。
「エイデンが来てくれるのよ。とても楽しみだわ。……だけど、きっとまたエイデンは傷付いてしまうのね」
祠の前でエイデンを思い、涙した。ふわりとそよぐ風が「大丈夫だよ」と勇気づけてくれた気がして、涙を拭う。
「そうよね、お姉ちゃんなんだから、私がしっかりしなければならないわね、ふふ、いつも本当にありがとう」
きっと大丈夫、不思議とそう思えた。
そして、エイデンをヴァンガード公爵家に迎え入れる日がやって来た。
前の人生の時と全く同じ会話をして、全く同じように部屋を飛び出して行ったエイデンを、あの祠の前で見つけた。
そして、聞こえてきたエイデンの言葉に、再び約束を告げる。
「私が家族になるわ。私の一番を、エイデンにあげる」と。
違う言葉をかけようかとも思った。だけど、この言葉だけは、譲れなかった。
何も変わらない、そう思っていたけれど、少しだけ前の人生と変わったことがあった。それは、二度目の人生だからこその変化。
頭が爆発しそうになるほど大変だった王妃教育が、前の人生の時に学んだものと全く同じ内容だったから。
一度目の人生で、身体に染みつくほど叩き込んでいた。それに、ある程度の要領も得ている。
一度目の人生の頑張りが報われた、と実感した瞬間だった。
王妃教育もダニエルに対する心的負担も、心の中に巣食っているあの黒い靄でさえも、前の人生と比べ物にならないほど、少なくなっていた
僅かだけど、心にも時間にも余裕が生まれた。だから、
「姉様の教育は厳しすぎますよ」
「何言ってるのよ。まだまだいっぱい教えたいことはあるのよ!」
その時間を、エイデンと共に過ごした。
エイデンがいずれ公爵家を継いだ時に困らないように、貴族のしきたりから礼儀作法、前の人生で培った知識も含め、教えられることは何でも教えた。
「王城の人間関係まで、どうしてそんなに知っているんですか?」
「王妃教育で王城に通ってるのだから、それくらい当たり前でしょう? それに、もしも私が王太子妃になれた時、エイデンが王城で働いてくれていたら、これ程心強いことはないわ」
「もしもって、姉様は絶対に王太子妃になるじゃないですか。じゃあ、俺も頑張るしかないですね」
気合を入れるエイデンに、曖昧に微笑むことしかできなかった
アケーシャが王太子妃になること、それは叶わないだろうことは、アケーシャが一番よく知っているから。だけど、エイデンが家督を継いだ時、人脈があるのとないのとでは雲泥の差だ。
本心を隠しつつ、エイデンのことを一番に考えた。もしも、自分がいなくなってしまっても、エイデンが幸せに生きていけるように。
そのためにも、前の人生でほとんど関わることのなかった使用人たちにも、積極的に接するようにした。
今まで学んでこなかった武術や馬術も、お願いをして二人で一緒に学んだ。
馬術の一環として、ヴァンガード公爵家に仕えるディーマの協力の下、馬の遠乗りにも出掛けることができた。
そこには、アケーシャの知らない“外の世界”が広がっていた。
「とても綺麗! こんな素敵なところがあるなんて知らなかったわ」
ディーマに連れてきてもらった場所、そこは王都から少し離れた場所にあるエメラルドブルーに輝く湖畔だった。水面に陽の光が反射して、きらきらと輝く。
どんな宝石よりも綺麗だと思った。
「ここは、恋人の聖地、と呼ばれているんですよ」
「恋人の聖地?」
「ここを訪れ、あの小舟に二人で乗った恋人たちは永遠に結ばれる、と言われているんです」
「まあ、素敵!」
思わず、別の馬に乗るエイデンに目を向けてしまった。それに気付いたディーマが、悪戯に言う。
「アケーシャ様も、エイデン様と一緒に乗ってきたらいかがですか?」
「えっ!?」
「ふふ、心配しなくても大丈夫ですよ。誰にも言いませんから。……アケーシャ様も、私と同じなんですね」
ディーマに勧められたけど、何となくボートに一緒に乗ることはできなかった。
(一緒に乗ってしまったら、きっと欲張りになってしまうもの)
それでも、一緒にこの美しい景色を見れただけで、幸せだった。
******
「あれ? これって……」
ふと、アケーシャが手にしたのは一冊の絵本。
「古の魔法使いの絵本だわ」
「何ですか? それは?」
「古くから、王家とヴァンガード公爵家に伝わる絵本らしいの。とても懐かしい」
(前の人生では忙しすぎて、結局見つけることができなかったのよね)
「エイデンの本も見つけたわよ。でも、薬草図鑑だなんて、お医者様にでもなるの?」
「姉様が王太子妃になられた時に、俺はありとあらゆるものから姉様を守りたいんです。風邪はもちろん、毒だって」
「物騒な!!」
「攻撃する方法も知らなければ、防ぐこともできませんからね。姉様の安全は、俺が守ります」
「ふふ、頼もしいわね」
二人はアカシアの木に寄りかかり、並んで本を読んだ。
++++++
愛を司るルツィフェという一人の神様がいた。
愛を知らないルツィフェは、地上に追放されてしまう。
「天界に帰るには、人々の願いを叶えながら、本当の愛を知ることです」
地上に落とされたルツィフェは、魔法使いとして人々の願いを叶え続けた。
私欲のための願い、愛する人のための願い。
だが、誰一人として、魔法使いのための願いを口にする者はいなかった。
だけど、それでもいいと思える出来事が起きた。
魔法使いに、本当の愛をくれた女性がいたから。
その女性は願い事を口にしなかった。魔法使いが、ただそばにいてくれるだけで幸せだったから。
魔法使いは願いを叶えなければいけないのに、女性は一向に願いを言わない。
願いを口にすれば、魔法使いが天界に帰ってしまうことが分かっていたから。
だから、願いを口にすることができなかった。
自分の寿命を迎えることが分かった時、ようやくその願い事を口にした。
「私の願いは、あなたの幸せ、あなたの願いを叶えてあげたい、ということよ」
++++++
「愛する人のために願えるって、素敵なことね。……この後、魔法使いの方は何て言ったのかしら?」
次の頁の魔法使いの言葉は、空欄だった。
「エイデンだったら、魔法使いの方に何をお願いする?」
「もちろん姉様の幸せです。と言いたいところですが、姉様のことは俺が幸せにしてみせます」
エイデンの願いに、アケーシャは真っ赤に顔を染め、急いで両手で覆い隠す。
(なんか、それって、プロポーズみたいじゃない……)
肩で息をして呼吸を整える。平常心、と何度も心の中で唱えた。だけど、顔はどうしても綻んでしまう。
「ふふ、ありがとう」
「本気にしてませんね。姉様こそ、何を願うのですか?」
「そうねえ、……秘密!」
「え、ずるいですっ」
口では怒りながらも、エイデンの顔はやっぱり笑っていた。




