苦しいよ
「乃菊ちゃんがいないぞ!」
国也は車を降りて、乃菊を捜す。
「もう、店の中じゃないんですか」
国也は、キトウ呉服店を見た。二階の窓から明かりがもれている。
「待ってろって言ったのに!」
三千彦の店に、走って入って行く国也。とにかく乃菊が無事であることを願いながら・・・。
国也が階段を上がって、社長室のドアを開けて中に入る。
「乃菊ちゃん!」
返事がない代わりに、人らしき物体が国也の頭をかすめて壁にぶつかる。身を伏せて避けた国也は、腰を抜かしたように床に尻もちをつく。
「乃菊ちゃ・・・」
国也は言葉を失う。自分の上を飛んで行ったのが、三千彦だったのだ。
「ど、どうして・・・」
国也は、それよりも乃菊を捜す。
「乃菊ちゃん!」
乃菊はソファの横で倒れている。国也はすぐに乃菊のところへ向かい、抱き起こす。
「乃菊ちゃん!」
呼びかけても、国也の腕に抱かれた乃菊は、返事はおろか、頭も腕も力なくダラリと下がったままだ。
「木頭三千彦さんですね」
最上が壁に衝突して、床に倒れていた三千彦に声をかける。
「あ、あのむす、あの娘が、あの、むす・・・」
何か恐ろしいものでも見たかのように、震えながら身体を起こす三千彦。
「あなたが、木頭・・・」
「うるさい!」
三千彦は立ち上がり、フラフラと歩きながら部屋を出て行く。
「次は、あなたの番だって言いたかったのに・・・」
しばらくすると、キキーッと高い音がして、その後ドンとぶつかる音がした。
「やれやれ・・・」
最上は、乃菊を抱きしめる国也を確認すると、タブレットをしまいながら部屋を出て行く。
三千彦が道で倒れている。その先にトラックが停まっていて、運転手が青くなって降りて来る。
「やっぱり、悪縁鬼か・・・」
最上が近づいて行くと、黒い影が三千彦の身体から離れて行く。
「今回は、これで片づいたようだな・・・」
最上は、その場から姿を消した。
「乃菊ちゃん、しっかりしろ!」
国也は乃菊の肩を何度も揺する。・・・しかし全く反応がない。国也は乃菊を寝かせ、心音を確認する。
「死んじゃ駄目だ!」
脈も呼吸もしていない。首には巻きついた紐が食い込んでいる。
「死んじゃ駄目だ、死んじゃ駄目だ!」
国也は紐を取り去り、胸を押し、人工呼吸をして、必死に乃菊の蘇生を試みる。
「せっかく知り合えたのに!」
何度も唇を合わせ、息を吹き込む国也。涙も汗も流しながらとにかく必死に・・・。
「乃菊ちゃ・・・ん?」
再び唇を合わせようとしている時に、乃菊の目が開いた。
「どさくさにまぎれてキスするなんて、これってセクハラ?」
国也は、かがめていた上体を起こす。
「セ、セクハラなんて酷いじゃないか。じ、人工呼吸だよ。必死だったんだから・・・」
当然、言い訳をする国也。
「冗談よ、おじさん。すぐ真に受けるんだから。それに、キスは欧米式の挨拶でしょ」
乃菊が笑顔で言う。
「人工呼吸だってば!」
いつものひねくれた言葉にがっかりするが、とにかく安堵して、もう一度乃菊を抱き寄せる国也。
「良かった、とにかく無事で良かった・・・」
乃菊はポケットからペン型録音機を取り出す。
「証拠は、これで充分よね」
国也は、乃菊を強く抱きしめる。
「苦しいよ、ホントに死んじゃうよ」
そう言いながらも、乃菊は嬉しかった。
「君が、こんなことで死ぬもんか!」
国也の眼から、また涙がこぼれた。
木頭親子は、ともに死亡。田之中の自白や録音内容から、22年前のことも明らかになり、乃菊の仇打ちは成し遂げられた。
そして、夕衣も独り身になったのである・・・。