花 * 3
がさごそと物音がして真白は目を覚ました。
まだ窓の外は白み始めたばっかりなのに、と思いながら真白は渋々起き上がる。
「結弦? もう移動するの?」
「うん。いい加減追いついて来そうだし。」
「追いついてって、なにが?」
なんとなく嫌な予感がして真白は顔を強ばらせた。
「仕事仲間?みたいな人達。かなり強引に仕事辞めてきたから、怒ってるらしくて。」
面倒くさいな、と溜息を吐く結弦はなんてことがないような顔をしている。
「え? 結弦、仕事辞めちゃったの!?」
「別に、一生普通に暮らせるだけの金は稼いでるし問題ない。」
それは問題ないとかいう次元なのだろうか?
仕事を辞めたことで『一生遊べる暮らし』が『普通の暮らし』に落ちてしまったのだ。結弦の能力なら年を食っても、ある程度は収入を見込める。
それなのに、仕事を辞めてここにいるということは、
「もしかしなくても私のせいだよね。ごめん。」
他人の人生まで壊してしまうなんて、真白はとんでもない疫病神だ。
ただでさえ、真白は使えない存在だったのに。
雇ってもらえた先で良くしてもらっていたのに、あろうことか許嫁のいる雇用主とキスまでとはいえ関係を持ってしまった。
遊びだろうなと分かっていても、もっと近くに寄りたくなった。
今でも、心の奥底でルートヴィヒのことを思っている。
もうすぐフロレンツィアとの結婚式だろうな、とか。あのままあそこにいたら真白を選んでくれたかな、とか。どうしようもないと分かっていても消えてくれない。
「どうして真白が謝る? 俺が自分で選んで決めたことなんだから、謝られると困る。」
困る? いま困惑しているのは真白の方だ。
「……ねぇ。結弦はどうして決めたの? いくらなんでも戦争のきっかけになった罪悪感だけで、こんなに私に良くしてくれるのはおかしい。いや、私だけに良くしてくれるのは変だよ?」
真白が疑問をぶつけると、結弦がぐっと言葉に詰まった。
握りしめられた拳は力を籠めすぎて白くなっている。
「うん。やっぱり変だよな。」
「そうだね。」
「……真白に謝らないといけないことがあるんだ。今度こそ真白がタコ殴りにしたくなるようなのが。」
「教えて。」
心臓がどくどくと音を立ててなっている。
結弦が泣きそうな顔をしているから余計に緊張してしまう。
はー、と息を吐いた結弦は重たい口を開いた。
「真白は言葉があんまり覚えられなかっただろ? あれ、俺が言語と言語を繋げられないようにしたからなんだ。」
「どういうこと?」
「簡単に言えば、こっちの言葉を覚えられなくしたってこと。真白とルーを近付けないようにするために。ルーとフロレンツィアの婚約はかなり重要なものだから、余計なものが近付かないように見張るように依頼を受けてた。ルーの父親から。」
なるほど、と真白の中にすとんと落ちた。
「別に気に病まなくていいよ。お仕事なんだし仕方ないって。」
偉い人の命令には逆らえない。それは当たり前のことだ。
仕方ない。ただ、それならどうして、
「でも、駄目なことなら……。期待なんて持たせずに教えてくれたら良かったのに、なんて思ったりして……。勝手な事言ってごめん。責めてるとかじゃなくて、ただこうだったらいいなって思っただけだから。」
こんなまわりくどい真似なんてせずに、近付くなと一言教えてくれたらと我が儘なことを考えてしまう。
そう言って涙を零す真白を見て、結弦は悲愴な表情を浮かべていた。
「ごめんね。どう言っても責めてるようにしか聞こえないよね……。」
結弦は言われた通りにやっただけ、当時十四歳の少年に人の心の機微を感じ取れなんて無茶ぶりにも程がある。
「俺は真白に言わないといけなかったんだ。俺には責任があるから……。」
「ないよ。結弦にはなんの責任もない。」
責任、結弦は昨日からそればっかりだ。
力なく首を振る結弦を呆れた目で見る。
「いや、ある。だってさ、雪に埋もれてる真白を別荘に連れ帰ったのは俺だから。ルーが入らないように部屋に鍵をかければ良かったんだ。誰にも見つからない内に移動させれば良かった。そうしたら、真白はこんなに傷つかなかった。」
(結弦が助けた?)
目を覚ました時に傍にいたのはルートヴィヒだった。あそこは結弦の部屋だったのか。
でもどうしてだろう。結弦は今まで一度もそんなこと言わなかった。
傷つかなかった、なんて傷つけたくなかったという風に真白の耳には聞こえた。
「傷つくのは当たり前……だよ。生きていれば必ず傷つくし、傷つける。だから、助けてくれてありがとう。それにね、別荘に連れて行ってくれたから私は生きていられたんだ。ルートヴィヒさんを好きになれたし、イェシカさんや食堂のおばちゃんに可愛がってもらって。結弦はからかってばっかりだったけど、それに助けられてたとこも少しはあったよ。」
「少しだけかよ。」
ふっと笑った結弦につられて真白も頬を緩めた。
「お前に嫌われたくなくて、何も言えなかったんだ。初めて見たから。俺と同じ年頃で、黒髪の人。あの森で真白を見つけた時、なんか嬉しくなった。家族内しか使わない言葉で話せる相手に会えて。仲良くなりたいって思ったんだ。」
「仲良くなりたいって、結弦が? 意外。」
確かに、あのころの真白が他人の忠告を聞き入れるとは思えない。
だが、仲良くなりたいが故にあの結弦が忠告を躊躇ったというのが意外だった。
「父さんの国の人間を初めて見たんだよ。悪いか?」
照れたようにそう言って、むっとした表情を浮かべた。
「まあ良いよ。その顔で許す。本当は腸煮えくり返ってるんだけど。」
真白を春夏秋の間に言葉の通じる人のいない別荘に放置した件。あれだけは納得できない。未だに思い出すたび怒りの感情が湧いてくる。
「恩に着る。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られるっての本当だな。」
「蹴ってないんですけど。」
「俺の気持ちの問題。」
「そう、結弦の中だと私は『馬みたいに暴れたら手が付けられない』って訳? へぇ?」
いい度胸してるね、と半眼になった真白を見て、結弦は顔を強張らせた。
結弦の前でもルートヴィヒの前でも暴れた記憶は一切ない。誰かを蹴ったのなんて友達と喧嘩をした時くらいなのに。
「違う……。」
「何で目を逸らすのかな?」
じいっと薄青の瞳を追いかける。
「馬とは思ってない。」
「じゃあ、なんて思ってたの?」
う、と言ったきり結弦は黙り込んだ。
ほれ、早う言えと急かす真白にいい加減結弦も嫌気が差してきた頃、突然結弦の周りの空気が変わった。
「……っ後で言う。今、外に何人かいる。静かに。」
結弦に口を覆われて真白は大人しくうなずいた。大きい声で喋るなよと念押しされて、手を外される。言われなくとも大声で喋ったりしないのに、と思った。馬ではなくて大きな声で喋る迷惑野郎と思われているのだろうか。
「結弦の元仕事仲間の人達、だよね。」
真白がぐずぐずしている内に追いつかれてしまったのか。結弦は早起きをしてせっせと支度をしていたのに申し訳ない。
「これは……仕事仲間じゃない。まさか。」
「どうしたの?」
顔を強張らせている結弦を見つめていると、突然部屋のドアが乱暴に開けられた。
その音で結弦は、はっとしたように真白の腕を引っ張って背中に隠した。結弦の背中の向こうで金色の髪が揺れる。その色を見たとたん真白の身体は身体は縫い止められたかのように動けなくなった。
『マシロ。』
この声が懐かしく思えるくらい遠く長く離れていたのか。
背中越しに見えたその人は記憶の姿より少しやつれて見えて、もしかしてと考えてしまう。
(私がいなくなったから?)
『ルー。―――――――。』
久しぶりに見たルートヴィヒは、憎悪すら宿していそうな瞳で苛ついている結弦と対峙していた。
今回からパソコンに変わったので今までと少し違って見えるかもしれません。
いつか全部に修正かけたいと思いました。




