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花 * 1

あの別荘から離れて一月経った。

ルートヴィヒから離れたら少しは熱も収まるのではないかと思っていたが、そう上手く切り換えられるはずもなく。

棘が刺さったままの胸を抱えて旅をしていた。

とはいえ、どうやら天然のがある結弦はあちこち抜けていて、真白がしっかりしないといけない場面が多々あった。

その他にも、ぼんやりしていたかと思えば、忙しなく動き始めたりと不思議な動きが多い。

いつだったか、ルートヴィヒが結弦のことを天才と言っていたのを思い出す。天才と変人は同じ存在モノのようだ。

今日も今日とて天才ゆづるは何を考えているのか分からない。

宿のベッドでぼんやりと寝転がっているだけだ。

「調子悪いの?」

「違う。憂鬱なだけ。」

いつも通り淡々とした声。しかし、その中にいつもと違う色を感じて真白は俯いた。やはり真白は重荷になっていたのだろうか。

「ごめん。」

思わず溢れてしまった言葉に慌てたのは結弦の方だった。

「真白のせいじゃない。」

珍しく申し訳なさそうな顔をしている結弦に動揺する。

「昨日、食べすぎたんじゃない?」

肉類ばっかり食べるから、とおどけてみせた。

前から結弦の食生活の悪さが気になっていたのもあるが、結弦に真面目にされると対応に困るからだ。

「真白より食べてない。真白の方こそお腹大丈夫か?」

少しいつもの調子を取り戻したかも、と思ったところで今の言葉に引っ掛かった。

「そんなに食べてないから!」

寝転がっている結弦を上からキッと睨み付ける。

むすっとしている真白の顔を見て、結弦はくすりと笑った。

そして、がばっといきなり起き上がったかと思うと、真白の腹に手を伸ばした。

「ぎゃっ!」

「結構、食べてるみたいだけど?」

腹の肉をつままれて、真白の顔は鬼の形相になった。それを見て結弦は声を上げて笑う。

しばらくけらけらと笑っていた結弦だが、ふと真面目な顔つきになった。真白は首を傾げる。

「明日……国境を越える予定。」

この旅で初めての国境越えだ。この国を出れば少しは気分も変わるだろう。

「どこの?」

「真白の生まれたところに行く。正しく言えば元の国境を越える。」

元の国境、ということは今国境は存在しないということだ。

なんとなく、黒髪の真白を見る周囲の目で気付いたこともある。憐れみ、侮蔑、そんな冷たい感情。大国に飲み込まれた小国の民に向けるものとして相応しいものだった。

「なん、で行くの? あそこには何も残ってないよ?」

焼け落ちてしまった家に未練はあれど、あの場に戻りたいとは思わない。

「俺の気のせいでなければ、真白はあの頃からあんまり成長してない。外見は成長していても、中身はそこまで成長してない。」

「まさか……。また馬鹿って言いたいの!」

そんなに馬鹿馬鹿言わなくたって、とむすくれる真白を軽く宥めかせて結弦は溜め息を吐いた。

真面目な話をしているのに、真白が話を変えようとするから。

「諦めが早く見えても納得してなくて、ずっと心の中で色んな感情を飼ってる。喜びも苦しみも怒りも全部。混ざった感情の処理の仕方が分からないんだと思った。」

何が言いたいのだろう。ごちゃ混ぜになった感情を表に出すなんて、それこそ子供だろうに。

感情の処理の仕方が分からないというのは納得できるが、他は何が言いたいのか分からない。もっと馬鹿な真白にも分かるように言ってほしい。

「あそこに来て真白が感情を顕にしたのなんて、片手で足りるんだよ。それくらい真白は溜め込んでた。」

「何が言いたいの? 溜め込んでるなんて、そんなの当たり前のことじゃない。」

「真白の場合、甘えられる人間がいなかったんだ。感情を吐き出す相手が誰一人いなかった。」

「は?」

「俺すら聞いたことない。真白から『助けて』の一言。」

「しょうがないよ。誰も私なんて助けてくれないもん。」

言葉の通じない相手なんて面倒なだけで、誰も仲良くしたいなんて思わない。それは真白があちら側でも思うことだ。

「それが、すごく申し訳ないと思ってる。」

苦しそうに結弦が絞り出した声に真白の心まで苦しくなってくる。どうして、そんなに苦しそうな顔をしているのだろう。

「う、別に誰も助けてくれないとかなかったよ? イェシカさんとか結弦とかいっぱい助けてくれたよ?」

「それは当たり前のことだろ。」

「当たり前なんかじゃないよ。すごく助かった! ありがとね。今となっては、意味なくなっちゃったけど。ほら、出てきちゃったし……。」

やはり、イェシカに礼を言えなかったことが心残りだ。

彼女にだけでも一言伝えればよかった。

「真白に言いたいことがあるんだけど。」

「ん? どうかした?」

ぎしっと音を立てるベッドの上に結弦は座り直した。

つられて真白も姿勢を正す。

「しょうもない話だけど聞いてくれる?」

「いつも助けてもらってるし、愚痴ならいくらでも聞くよ!」

ぐっと拳を握りしめてみせた真白を呆れた顔で見て、結弦は微笑を浮かべた。

「愚痴じゃないんだけど。ま、いっか。」

どこから話そうか、と呟いたきり口を閉じたり開けたりと言いあぐねている結弦をじっと待つ。

やがて覚悟を決めたように結弦は重い口を開けた。

「俺、昔から父さんの国にはよく行ってたんだ。あの国の地下には太古の力が詰まった鉱石があるから。個人的に使うために忍び込んでた。俺の何百倍も『力』が詰まったあの鉱石があればそんなに疲れないから。」

結弦が話し出したのは、お伽噺のような不思議な鉱石の話だった。太古の力とは何だろう、そう思うがようやく話始めた結弦を止めるのはよくないだろう。

真白は大人しく耳を傾ける。

結弦曰く、毎日『力』を使って色んな術を試すには、いくら膨大な力を持つ結弦でも足りなかったらしい。

昔、学ぶことは食事をするのと同じくらい大切なことだったと結弦は言う。生きる糧のようなものだったと。

結弦の天才具合は想像以上だった。子供の頃からお勉強が好きだったなんて。その頃の結弦に会ったなら印象は『何この子供気味悪い』だろう。

そして、何より結弦の話を聞いて気になっていたのは。

「ぬ、盗んでたの?」

忍び込んでいたのなら、悪いことをしているということだ。

「そうなるのかも。一応父さんの実家の山から拝借してたんだけど、やっぱり不法入国はやばいよな。」

「不法入国……。」

罪名がかなりなものになっている。

忍び込んで拝借しているだけでも大問題なのに、不法入国となると下手したら間者と間違われて殺されかねない。

「若気の至り?」

「あの頃は若かった。」

「もう、私より若いのに何言ってるの。」

「うん。若いからしくじったんだ。」

「しくじる?」

不穏な空気を漂わせ始めた結弦に、真白は息を止めた。

冬の空のような結弦の瞳には、後悔と抑えきれない怒りの感情が渦巻いていた。その感情は全て結弦自身に向けられたものだと、何となく分かる。

「俺が十三歳の時に、尾行された。気付かなかった俺はそのまんま鉱石がある山までそいつを連れてった。その頃、スパイ容疑がかけられていたみたいでさ、無駄に力のある人間がハーフなんだから不安になるのも分かるけど。尾けられてたことに気付かなかった俺も相当馬鹿だ。」

十三歳で尾行されたことに気付かないのは普通ではなかろうか。普通ではない結弦にとっては悔しいことだったのだろう。

「そして、そいつのおかげで便利な鉱石の存在が表に出たわけだ。そのせいで、真白の国は狙われた。全部、間抜けで目の前のことしか考えてなかった馬鹿のせい。だから、」

そう言って、結弦は真白の前に跪いた。

「だから、真白。俺を好きなだけタコ殴りにしていいよ。」

最後の最後でタコ殴りという単語を使ってくるあたりが結弦らしい。本当にやったら、文句をぶつくさ言うくせに。


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