白い兎と琥珀色の瞳
奥名宏樹は先月末に交通事故で頭部外傷が見られこの国立真栄病院に救急搬送されたらしい。
自分のことを語っているのになぜらしいという言葉を用いるのかというと、僕にはその時の記憶も無いし、それどころかそれ以前の記憶も抜け落ちている。
髪の毛がちまちま抜け落ちるみたいではなく重い物を積み過ぎた底みたいにスボっと、一気に。
意識を取り戻してすぐの頃事故にあった時、持っていた免許証や健康保険証で僕の名前は奥名宏樹というのがわかった。
歳は24歳、親は離婚で親権を持っていた父は、1年前に他界。
わかっているのは本当にこれだけ。どこで働いていたのかとか、どこの学校出身なのかもさっぱり。病院の先生に免許証に書いてある住所は何処?と聞いたことがあるが、それは今君に必要の無い情報だからと教えてくれなかった。
まるで僕は時間を切り取られたみたいだった。
でも、適応能力は高かったのかこれが僕なのだと認識や受け入れは結構早い段階で出来たと思う。
僕は飛び出してきた子供を庇って交通事故に遭ったらしい。なんて心の優しいやつなんだと話を聞かされた時思った。
その庇った子供は無事だったらしく、意識を取り戻して間もない頃に庇った子供の両親が泣きながら病室に入ってきて礼を言われた。
「貴方は息子の命の恩人です」「この御恩は一生忘れません」とか。
でも、記憶を失くしているので助けた実感もなかったので愛想笑いしか出来なかった。
*
「奥名さん、回診の時間までには帰ってきてくださいね」
自分の病室を出て廊下を歩いているとカルテを持ったいつもの看護師、千津絵さんに声をかけられる。
千津絵さんはいい人だ、顔が童顔だから中学生に間違われるが根はすごく優しい。子供のようにあどけなく笑うのがすごい魅力だと思う。
そんな千津絵さんにはいはいと二つ返事をしてまた廊下を進む。
ここは真栄病院の10階にある一般病棟だ。いつも散歩として11階にある、屋外広場に行く、そこからふく風は気持ちよく本などを読むには最高の場所である。
広い廊下を歩き、わざとエレベータではなく階段で登る。
ベットの上での生活は体が鈍る。
階段を登りきると、ちょっとした達成感が胸の中に生まれる。
そのまま11階の廊下を歩き、いつもの様に廊下に備え付けられているドアを引いて屋外にでる。
いつもは療養病棟にいるご高齢の方やお見舞いに来た人で賑わっている少し大きな広場なのだが、今日はやけに静かだった。中央に植えられている木が風で靡き、小さな枝についた葉が擦り合った音しか聞こえない。
差し込まれる日差しが暖かく眠くなってくる。
しかし、ぺらっという紙をめくる音が聞こえてきたので意識を向けると。
木の下にあるベンチに白いワンピースを着た少女がいた。
髪の毛が日にあたって綺麗な黒になる。肩につくかつかないかくらいの内巻き。
絵本を眺めているガラス細工のような細部まで綺麗に色が行き渡っている琥珀色の目。
少女自身が絵本に出てくる登場人物ではないかと思った。
それくらい僕に見える少女は綺麗に見えた。年齢は下手したら高校生になっていないのでは無いだろうか。
何処から来たのだろうか。
なぜここにいるのだろうか。
そう思っているうちに少女がこちらに気づいてしまった。
少女が大きな瞳をこちらに向けた。
―――が、少女の瞳から取れるのは恐れだけだった。
少女は小さな兎のようなクリっとした目に少し涙を溜めて、立ち、そのまま逃げてしまった。
逃げ足も兎見たく早かった。
すこし紙で切ったような小さな傷が心の奥に出来たような気がした。
これが僕と少女のちょっと酸っぱい初めての出会い。




