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後編


休暇の日からまた一ヶ月程経ち、(あるじ)の出仕の無い日

俺は春先の小雪の降る街角に立っていた。 宝飾店の扉の傍だ。(あるじ)は許嫁である令嬢、王国の薔薇と共に中に居る。誕生日の贈り物らしい。

今日まで気が付かなかった俺はやはり間抜けだった。

あのヒアシンスを渡した夜の話し合いで俺の休日は申告制に決まった。

代りに休日返上分、給金が上がる事になったのだ。

俺には願っても無い事で暫く憂う事無く従者を務めていたのだが。

今日になって初めて後悔をしていた。

(あるじ)には許嫁が居るのだ。休みの日があれば当然逢瀬もするだろう…。

何故忘れ果てていたのか、オーランド様の間も無い婚姻を。

俺の感情が異常でも妥当でも俺が悩もうが受け容れようが、オーランド様には何の関係も無い事なのだ。

頭では分かっていたつもりの事をこうも残酷に思い知らされて 心まで凍らせ街角に立っていた。

慣れた仕草で婚約者の手を取り微笑みかける姿に何の権利も無いのに嫉妬した。

今更ながら素直に休暇を取っていればまだ気付かずにいられたのかと益体も無い事を考えながら俺は(あるじ)の警護に立っていたのだ。

その夜俺はいつもの様に湯浴みをするあるじを衝立の陰で待ちながら不毛なこの想いをどうする事も出来ない自分を持て余していた。

タオルを巻いて現れた肩にバスローブを着せ掛ける。

いつもは目を逸らせ気味にしていたが今日は真っ直ぐ見つめた。

やはり何と美しい肢体である事かと思う。

だがこの極上の肌もただの下僕の俺には何の関係も無い。

檻の中の駄犬が遥か遠くの餌を見て涎を垂らしているだけなのだ。

そして何と残酷なあるじであろうか。檻の駄犬に時々餌をぶら下げて臭いだけを嗅がせに来るのだ。「マッサージを頼む」と言われた。

「彼女と会った日は何故か良い眠りが訪れなくてね」横たわりながら言う。

「…愛しい方にお会いになられた喜びで高揚していらっしゃるのでしょう」自分の言葉で自分が傷付いた。

「……」無言でうつ伏せるあるじに近付き足に触れようと手をのばす、するとその足はあるじが横に膝を曲げた動作のせいで遠ざかって行った。

あるじは俯せた状態から横になり片肘を付いた手で頭を支えている。

そのまま片足を上げ蹴るように足の指先で跪く俺の胸を突いた。

その指先を二、三度グイグイと押しつけながら言った。

「…羨ましい?」

俺は彼の足首を掴んでその動きを止めながら言う。

「令嬢がたいへんお美しい方ですので…」

彼は一瞬挑むような視線を俺に向けてから笑う形に唇を上げて「だから今日、やけに物欲しそうな目付きをしていたんだ…」揶揄うように言う。

その言葉に突如悔しさと悲しさの入り混じった激情が湧いてきて足首を握った手に力が込もった。

「何…?痛いよ…離し」と言うのを無視して激情に駆られたまま顔を寄せ我慢出来なくなってその白い脹脛辺りに口付けた。

その足は一瞬筋肉を強張らせたが、しかし逃げなかった。

口付けた肌の甘さと極上の感触。そして仄かに甘やかな香り…体臭にしては甘美な…この香はどこかで……ああ思い出した。

あの香りに似ている、あのヒヤシンス…。

俺を見つめる彼の視線を感じる…だか何故か掴まれた足を引こうともせずじっとしている。

俺の好きにしていいのか…?

その肌触りと香に頭の中を支配され思考能力を失くした。

両手で抱え頬ずりをし、まるでかぶりつきでもする様に深く執拗にくちづける。

どのくらいの時間そうしていたのか…気が付くと白肌の足に紅い鬱血…。

接吻(くちづけ)の痕を残していた。

我に返った俺は呆然とその鬱血を見つめて言った。

「オーランド様……どうか罰を…俺を解雇(クビ)にでも。とんでも無いこ……と…」

俺は主人にいったい何を……

彼は体を起こし足の鬱血痕を手で覆い隠すようにして撫でてから言った。

「やだね…」そして腕を伸ばし俺の髪に触れまさぐる様に指を伸ばした。

「きれいな赤い巻毛をしてる…太陽神みたいだ」

驚いて呆然と見つめる俺の顔を覗き込む彼の瞳が悪戯っぽく細められた。

「俺を…揶揄っているんですか?」

「……馬鹿言うな…君を気に入っていると言っただろ…」髪をまさぐっていた指が降りてきて項を擽る。

身体の中心に火が灯る。「じゃ……誘惑し…てます?」声が掠れた。

緑の瞳が挑むように俺の目を見つめそして唇に視線を落とし顔を近付けて来て艶めく唇が囁く。「いや?なら…やめる……」

歯止めが外れる音が頭の中で響いた。

 


「……レオ」

カチャリと音がして皆が寝静まった頃、隣の続き部屋から俺のベッドに潜り込んでくるのはオーランド様だ。

あの夜、俺はオーランド様の唇や胸や身体中の足より更に甘い場所をいくつも知った。甘くかぐわしい身体を俺は夢中で掻き抱く。

あの夜から2日に一度、3日に一度と気が向くと(あるじ)の部屋の広いベッドからわざわざ俺の狭いベッドの俺の胸に潜り込むオーランド様はこういう時だけ俺をレオと呼ぶ。「レオ…僕の太陽神……君の赤毛、綺麗で大好きだよ…」

俺の髪をまさぐりくちづける身体を回転させ両腕を押さえシーツに縛りつける。

あなたのサラサラ流れる亜麻色の髪の方が何倍も綺麗です。

心で叫んで咬み付くように接吻(くちづけ)た。

もう俺はこの人に夢中でいつもいつも四六時中この人の事しか考えられなくなって特にこういう時、凶暴な独占欲に駆られる。

「もし…仮に俺が太陽神ならあなたはヒュアキントスなのですか?……だったらあなたを殺して…血を啜ってもいいですか…?」

目を潤ませて乞い願うように言うと俺の首に腕を廻して抱きつきながら言った。

「うん、好きにしていい……でもヒュアキントスを殺したのは太陽神じゃなくてヒュアキントスに恋して嫉妬に狂った男だよ…」

「では決してそんな者に奪わせない。あなたを誰にも盗られたくない…!」

再び接吻(くちづけ)てきつく抱き締めた。

恐ろしい…こんな陶酔を与えられた挙句次の一歩先に大きな

陥し穴が待っているのを知っているのに…。

だって…だって、この方はもうすぐ……

月に一度の割合でオーランド様が婚約者と会う日が来る。王宮への出仕の無い日、貴族街にある店で買い物をしたり食事に行ったり、互いの(やしき)を訪ねたり。

そういう時じりじりした思いを秘めて付き従う俺にこの人は目もくれない。

ただひたすら美しい許嫁の令嬢を見つめ微笑みかける。

やはり俺はただの従者でこの人の附属物なのだ…。

先日はブレア家の令嬢がバートン邸を訪ねて来た。

当然通した応接間の扉の内側に俺は立つ、自邸での作法だ。

紅茶の乗ったテーブルを挟み暫くにこやかに歓談していた二人だったが、ふいに令嬢が立ち上りオーランド様の隣に移った。

そして俺に向かって言った。「おまえ、少し席をはずしなさい」と。

戸惑っていると「ぐずぐずと…命じた事が聞こえ無かったの?出て行きなさい」

美しい口から出たと思えない険のある言葉だった。

オーランド様を見ると「……少し外してくれエヴァンス」令嬢を向いた儘言われた。深く礼を取って扉の外に立ち直した俺の心には黒々とした嫉妬が渦巻き目の前が暗く沈んだ。

オーランド様の婚礼までもう一ヶ月と少し。俺には自信が無かった。

このままだと俺はきっと太陽神どころか嫉妬でヒュアキントスを殺した男になってしまうに違い無い。

オーランド様が結婚生活を始めるブレア家には付いて行けないと思っていた。

今のうちにこの方の従者を辞めよう。

しかしこんな風に俺のベッドに潜り込んで来る彼の余りの愛しさを手放す事も出来ず浅ましく彼を求める俺。

行くも帰るも地獄の中を俺はいつまでひとりでもがき続けなければいけないのだろう。



それは王国で一番の権威ある教会の扉の前だった。

「おまえはいつまでオーランド様に付き纏うつもりなの?」

ブレア公爵令嬢が整った顔を少し歪め俺にだけ聞こえる小声で通り過ぎざま言った。

俺は今日は結婚式の最後の打ち合わせの為に教会に来ていたあるじの護衛で扉の前に立っていた。オーランド様とブレア公爵令嬢は司教と話をする為控室に居て、たった今出て来て俺の立つ扉に向かって歩いて来ていた。

見送りに出た司教と挨拶を交わすオーランド様より先に近付いて来ていたのだ。

令嬢はそのまま俺の存在など気づきもしなかった振りで離れて行った。

立ち竦んだまま微動だに出来なくなった俺を残して。

ああ…潮時だ……心の深い場所でその声は響いた。

皆が寝静まった深夜、俺は初めて続き部屋の扉をノックした。鍵が掛かっていないのは知っている。オーランド様のベッドに近付くと彼はまだ起きていて嬉しそうに俺に両手を伸ばす姿が可愛くて悲しかった。

俺はその手を取り甲にくちづけてから言った。「

御主人様…どうか従者の役目を解いて下さい」

彼は目を見開き上半身を起こす。

「あなたが奥様になられる方と過ごす場所に俺の様な存在が侍る事はなりません。俺を棄てるべきです」泣くつもりは無く自分が泣くとも思わなかったが一筋涙がこぼれた。

オーランド様は息を飲んでから言った。「僕の婚姻はもう何があろうと覆せない。僕一人ではなく家の問題で、この貴族社界のルールなんだ」

「分かっています。だから俺を…」

「君を手放すつもりは無い…!一生だ」立ったままの俺の腰に縋り付く。

抱き締めたい気持ちを押し殺し歯を食いしばった。今流される訳にはいかない…

「このままでは俺はあなたを殺しかねません…耐える自信がないんです」彼は更に腕の力を込め暫くじっとしていたがやがて何の反応もしない俺を見上げた。そしてのろのろと腕を解き俺を離してベッド脇のチェストからナイフを取り出した。

俺の手を取り握らせながら言う。

「なら僕を殺せ。そうすれば君を失う事は無い…誰に恥をかかせる事も無く婚姻も避けられる」

状況の把握が出来ず呆然とオーランド様を見つめていると、ナイフを握らせた俺の手ごと流れるような動きで自分の頸動脈に当て、そして何の躊躇いも無く引こうとした。

背筋の凍った俺は全力でその力に抗ったが彼の首に赤い筋が走るのが見えた。必死で取り上げたナイフが俺の強張った指を離れベッドを滑り床に落ちる。

それを拾おうと身を捻り腕を伸ばす彼の身体を俺はぶつかる様にして抱きとめた。

「止めて下さい!…もう、やめ…て」抗う彼を抱き竦め必死で押さえ込む。

暫く抵抗していたがやがて諦めたようにベッドの上でしゃがみこんだ。

俺は何より傷が気になって首に目をやる、血は滲んでいるが深手ではなさそうだ。ほっとして手を伸ばし傷に触れようとした俺の手ははたき落とされた。

「レオ、何故?何故いつも僕が望む事を叶えてくれない…?こんな時でも…最後の望みでさえ…!」

俺は驚き戸惑った。こんな駄々をこねる子供のような彼を見るなんて…本当にこんな時なのに愛おしくて心が震える。 

思わず彼の肩を掴んで引き寄せ傷にくちづけてから滲む血を丁寧に舐めとった。

「俺はいつでもあなたを求めて…あなたが愛しくて堪らない、のに…何故こんな事を…?」彼は俺を睨むように見つめて片手を俺の頬に当てると血のついた俺の唇を舐めてから皮肉げに笑った。

「でも…もう僕が要らないんだろ?」言いざま首に爪を立て傷を引っ掻いた。

「やめろ!!」手首を掴み背を抱く俺に「ここから引き裂いて僕の血を啜れよ、啜りたいって言っただろ…啜って、啜り尽くして殺せ……!」

ああ……何故こんな…!「…オーランド様」

彼をきつく抱き締め押し倒しベッドに沈めてから深く接吻(くちづけ)た。

「あなたは…こんな俺なんかが何故そこまで……」顎を掴んで横を向かせて傷に頬ずりをし接吻(くちづけ)て聞いた。涙が滲む…

「もう…君を手放すくらいなら死んだ方がましだ…側にいてくれないなら、もう……」

顔を、潤む緑の瞳を覗き込んで頷いた。抗えない、降参だ…。

「どこにも行かない。あなたがこんなになってしまうなら、こんなあなたを見るくらいなら…俺くらい捧げる、いくらでも…!」



その後、結局俺は従者の職を解かれバートン邸を離れた。

オーランド様にあの夜の俺の行動の一因になったブレア公爵令嬢に言われた言葉を告げたからだ。「あなたの側には居るがどこかに住いを見つけて通いにしたい」と言うと白状させられた。

そうゆう事ならブレア家に連れて行かない、いや令嬢の目にも触れさせない。

と、あろう事か短期間で貴族街の外れに小さな邸宅を見つけて購入し俺をそこに置いた。結婚式が終わったら自分もここに通うつもりらしい。

男妾(おとこめかけ)になった気分です」と不満を漏らす俺に「…男妾(おとこめかけ)」と少し頬を上気させ繰り返した。「…気に入ったようですね?」と睨むと、頷きかけてハッとした顔を向け急いで首を振った。

ああもう俺はあなたが嬉しいならそれでいい。いつもはあんなにすまし顔で他を見下すように睥睨している男が俺の前であんなに身も蓋もない程の取り乱すさまを見せ俺の前だけあんなに可愛く笑う。男妾(おとこめかけ)だろうと何だろうともう何でも構わない。安いプライドなどこの人を二度と泣かせない為にドブに捨てよう。

あの夜、夜明け近くまで二人で話した。

オーランド様はずっと以前に俺を見つけたと言う、王宮で俺に気付き護衛に立つ姿をいつも見ていたと。

俺の心拍ははねた、こんな可愛いい告白などされた事が無い。

幼い頃から何故か恋心を抱くのはいつも同性で実る事など生涯無いと諦め生きて来た。

「だが宰相の代理でいやいや出席したあの狩猟会でレオの優しさに触れて恋しさが募った。諦めるべきだと思って暫く悩んだけど…最初で最後、生涯で一度だけ恋を……君を手に入れる努力をしてみる事にしたんだ…必死で君を振り向かせようと……」

そうとも知らず俺は俺で必死で自分を律していた……

「それなのに、やっと君を捕まえたと思ったのに…あっという間に僕から逃げようとする…」俺の胸に顔を伏せ肩が震えた。

シャツに暖かい涙が滲む、こんな声も出さずに泣くなんて…でも俺は…。

「でもあなたはブレア公爵令嬢に愛しそうに接し…俺の事などいつも眼中にない様子で…」

「あの令嬢とは仲睦まじく見せておく必要があるだけだ…それだって、それだってもっと前に君に会えていれば…婚約など引き受け無かった」

もう、いい。と思った。

「……俺が…俺を必要として下さるのですね」

「君しか必要じゃない……」

もう、それでいい。この人に必要とされる限りは一生この人に付き従って生きて行こうと思った。

仕方ない、どう足掻こうがもう俺はこのヒアシンスの香りに囚われて離れられないのだ……。


とうとうオーランド様の結婚式の日がやって来た。

この家に俺が移って来てから毎日訪れていた彼はさすがに昨日から姿を見せない。

それはそうだろう、今夜は初夜だし少なくとも一週間、いやもっとか…自由は効かないだろう。

いくら政略だろうが新婚だし公爵家の跡継ぎも必要な筈だ…。

 ……いや、考えるのは辞めよう。情け無い嫉妬心が燻ぶるだけだ……

朝から同じ問答を頭で繰り返していた俺の懐にオーランド様が飛び込んで来たのは夜が更けてからだった。

「ああ…やっと抜け出せた」と抱きつく彼に戸惑い「……は、花嫁は…初夜をどうしたんです?」と間抜けな質問をする俺に

「僕に女が抱けると思う?僕が抱かれて眠るのはずっとレオの胸(ここ)だけ。僕にはレオの腕の中が向いている」と答える。

事情を理解は出来ていないが確かに俺の胸に居る彼を抱き締められる喜びで溢れた。「おかえり。俺のオーランド様」と言うと「うん。ただいま、僕のレオ」と⋯

俺のヒュアキントスは美しく笑って言った。

 

 

 




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