第1話 少年とお姉ちゃん
まず靴が無かった。
そして空気が、冷たい。
粉っぽい。
ぼくは靴のまま入る。
脱ぐ気にならなかったからだ。
誰もいない。
暗い。
みしみしと、ぼくの体重で、床がきしむ。
今までずっと暮らした場所だけど、もう何もない。
家具が全て無くなっている。
カーテンだけは残っている。
ぼくは家の中を歩く。
押入れを開ける。何もない。あれだけごちゃごちゃに詰め込まれた空間が。
二階に上がる。
ドアを一つ一つ開ける。
開けるたびに、ああ、本当にもう何もないんだ。引っ越したんだ。という実感がにじむ。
ぼくは、ぼくの部屋だった部屋に、座る。
ここにベッドがあった。ここに本棚があった。ここに机があった。
それらはきっと、売られたり、捨てられたりしたんだろう。
親に捨てられた。その事実が心臓をゆっくりと苦しくする。
苦しい。涙がこぼれ落ちていく。どうして。
一週間前、ぼくはお別れをさせられた。
お母さんが、大事な話があると言って、
ぼくが施設に入るという事が決まった。と言われた。
どうして?ぼくは聞いた。
「親が子を育てるというのは社会が勝手に決めたことで、私は自由に生きたい。
私には私の人生がある。」
他にもいろいろ言っていたが、思い出せるのはこれだけだ。
反論もできなかった。突然のことで、何も言葉が出なかった。
ぼくはお父さんに助けを求めた。
答えはほとんど同じだった。「疲れた。」と。
その後の記憶が無い。
何も思いだせない。
それから僕は、孤児院に連れていかれた。
小さな部屋で、何人かの偉い人と会い、
いくつか質問に答え、
よろしくと言われた。
施設の中の子供たちに紹介され、部屋を教えられ、
全てが流れ作業で、川に流されているような、どうにもならない無力感にすべてが思考停止していた。
四人で一部屋。
ぼくは二段ベットの下。
布団はごわごわ。なんか湿っていた。
食事は食堂で、風呂は大浴場で、
でも、どれも建物が古く、ぼろい。
別にそれが嫌って事じゃない。
イジメられたとか、そういう事じゃない。
ぼくが今ここにいることが嫌だった。
ここはぼくの家じゃない。
ぼくは三日で施設を逃げ出した。
耐えきれなかった。
このままだと、本当になってしまう。
ぼくは捨てられた、それが本当のことになってしまう。
そう思うと、怖くなって、ここにはいられなくなった。
家に帰ろう。
謝ろう。もっといい子でいます。だから、捨てないで、と。
お願いします。許してください。許してください。
ごめんなさい。ごめんなさい。
手持ちのお小遣いで、バスに乗り、電車に乗り、バスに乗り、橋を越えて、バスに乗り、
やっと家に着いた。
その結果がこれだ。
前身から力が抜け、ひたすら涙が落ちていく。
声も出ない。
何も出来ない。
ぼくが捨てられた。が、本当になった。
夕方になった。
帰る場所も無いぼくは、意味もなく、海岸沿いを歩いている。
波の音が心地よかった。
日が沈み、紫のような、オレンジのような、夕焼けの色。
後ろを振り返ると、もう夜が迫っている。
歩き疲れて、海岸に座り込む。
砂の感触。砂。ざらざら。掴んでも、零れ落ちていく。
悲しい。ああ。悲しいんだ。
考えてもつらい。ぼくは何も考えず、夕焼けを眺めることにした。
夕焼けは綺麗だな。と思っていても、どんどん小さくなって、消えていく。
空の色が目まぐるしく変わっていく。雲に太陽の光が当たって黄金の色になっている。
でも、ほんの少し太陽が移動しただけで、空の色がオレンジから青に、青から黒に、
とうとう日は沈み、夜になってしまった。
ああ。とうとう夜になってしまった。と思った。
どうしよう。と思った。
・・・
・・・
・・・
・・・お腹すいたな。
それに、寒い。
あれだけ泣いたのに、まだ涙が出てくる。
「どうした。少年。」
突然声をかけられた。ぼくはびっくりした。人が近づいてくる気配が全くなかったからだ。
振り向くと、暗くてよく見えないけど、女の人だった。
「あの・・・」
どう答える。本当のことを言っても、また施設に送られるだけだ。
どうしよう。と考えていると、女の人がぼくの顔に顔を近づけて言った。
「うん?どこかで見た顔だな?」
ぼくもそう思った。この人。どこかで見たことがある。思い出した。
「あ、ゲームの姉ちゃん。」
「そうだ、ゲームの子供だ。」
ぼくは昔、このお姉ちゃんの家でゲームをクリアするのを手伝ったことがある。
というか、突然僕を捕まえて、家に拉致して、いきなりこのゲームをクリアするのを手伝え、
と言われ、一日かけてクリアして、ジュースを貰って追い返された、という
めちゃくちゃな思い出のお姉さんだ。
「親に捨てられたのか?」
ゲームのお姉さんがいきなり僕の悩みを言い当てた。
ぼくは心臓がひっくり返るほどびっくりした。
「どど、どうして、わ、わ、わかったの?」
ぼくがそういうと、お姉さんは口を開けて肩を落とし、驚いていた。
「マジか?いや、冗談のつもりだったんだが・・・」
・・・なんだそりゃ。一瞬本当にすごい人だと思ってしまったじゃないか。
「少年。暇か?」
今気づいたけど、お姉さんの目は、この暗闇の中でも、黄色く輝いている。蝙蝠?猫?
「うん。」
「私の家に来るか?クリアできなくて困ってるゲームがあるんだ。」
ぼくは驚いた、でも、迷惑になるんじゃ、とも思ったけど、
それよりも、選択肢はほかに無かった。
「いいの?」
「ああ。」
お姉ちゃんは手を差し出した。
ぼくはその手を掴む。
あたたかい。柔らかい。すべすべしている。
ぼくはお姉ちゃんの手をつなぎ、お姉ちゃんの家に向かった。




