83.優しい詭弁と、新しい始まり
荒涼たる岩山での事後処理は、迅速に行われた。
生き残った仮面の魔族は、帝国軍の特殊な魔力封じの枷をはめられ、厳重に拘束されている。
ファフニールとラーズスヴィズの二人が、魔族の両脇を固めて立ち塞がった。
「さて。このゴミの尋問は、我々が直々に担当しよう」
「安心せい。死ぬより辛い目に遭わせて、知っている情報をすべて吐かせてやるわい」
竜の賢者と剣鬼の老婆から放たれる、底知れない拷問の気配。
捕らえられた魔族が、恐怖のあまりガタガタと歯の根を鳴らして震え上がっていた。
「フィアっ。怪我はないかいっ」
遅れて現場に到着したジュリアンが、血相を変えてソフィアの元へと駆け寄ってきた。
ソフィアは幻の尻尾をパタパタと振り、ふわりと温かい笑顔を浮かべる。
「はいっ。全然怖くなかったですよ。お兄ちゃんこそ、無事でよかったですっ」
ジュリアンは妹の顔をまじまじと見つめ、絶句してしまった。
暗殺者に拉致され、命の危機に晒されたというのに、ソフィアの瞳には一片の恐怖も宿っていない。それどころか、兄である自分を気遣うほどの精神的余裕すら見せている。
その信じられないほどの強靭な心に、ジュリアンはただ驚愕するしかなかった。
隣に立つギルバートは、誇らしげに目を細めている。彼は最初からわかっていたのだ。ソフィアが、誰よりも強い心を持つ少女であることを。
そんな中、軍の兵士たちによって、ジョーカーことリヒトの連行が始まっていた。
リヒトは抵抗することなく、静かに両手を差し出して手錠を受け入れている。
「ありがとう、嬢ちゃん。君のおかげで、少しだけ目が覚めたよ」
すれ違いざま、リヒトがソフィアに向けてぽつりと呟いた。
ソフィアは切なそうに幻の犬耳を伏せ、彼が軍の馬車に乗せられるのを悲しげに見送る。
「どうして、ジョーカーさんが連れて行かれるんですか」
「いくら魔族を倒したとはいえ、君を拉致して危険に晒した事実は消えないからな」
ギルバートが冷静に事実を告げる。
ソフィアは「そうですか……」と小さく俯き、悔しそうに唇を噛み締めていた。
◇
数日後。
ソフィアの結界装置が見事に機能し、奈落の森での第二次試験は無事に終了を迎えた。
炎の魔法使いフランケを含む、計六名の受験者が過酷なサバイバルを生き抜き、見事に合格水準に達した。
そして本日、帝都の皇城において、最終の意思確認を兼ねた面接が行われていた。
重厚な面接室の奥には、三人の面接官が座っている。
ラーズスヴィズ、ガンダールヴル、そしてソフィアである。(ファフニールを面接官にすると、気分次第で全員を落としかねないため、あらかじめ外されていた)。
「では、フランケ殿。見事な生存能力であった。合格とする」
「はっ。ありがとうございます」
ガンダールヴルの厳かな宣言を受け、フランケが深く一礼して退室していく。
これで、予定されていた六名すべての面接が終了した。
「今年は六名の優秀な魔導士が誕生したな」
ガンダールヴルが書類をまとめようとした、その時である。
「ちょっと待ってください。ギルさんっ」
ソフィアが声を上げると同時に、面接室の重い扉が開かれた。
軍服姿のギルバートが、手錠を掛けられたリヒトを連れて部屋の中へと入ってきたのだ。
「なっ、リヒト」
ガンダールヴルが目を見開き、椅子から立ち上がる。
「どうして、お主がここに」
「そこの軍人さんが、牢屋から連れ出してくれたのさ」
リヒトは肩をすくめ、ソフィアの方へと視線を向けた。
実は、ソフィアがラーズスヴィズにこっそりと頼み込み、この面接の場にリヒトを連れてくる許可をもらっていたのだ。
「わしの間合いに置いておくことが条件じゃからな。妙な真似をすれば、即座に斬り捨てる」
ラーズスヴィズが腰の剣に手を当て、鋭い眼光でリヒトを睨みつける。
「そんな怖いことしないって……。ボクはただ」
リヒトは深く息を吸い込み、父親であるガンダールヴルに向かって深々と頭を下げた。
「すまなかった、親父。あんたに、酷いことをした」
静かな面接室に、リヒトの真摯な謝罪が響き渡る。
彼は顔を上げ、己の過去を洗いざらい語り始めた。
闇の魔法使いに身を落とし、裏社会で暗殺者として生きてきたこと。
そして今回、魔族からの依頼を受け、ガンダールヴルへの復讐のために魔導士試験に潜り込んだこと。
「それが、ボクの受けた依頼だったのさ。ボクには明確に、あんたに対する殺意があった。殺したいほど、憎かったんだ」
リヒトの言葉に、ガンダールヴルは痛ましそうに顔を歪める。
「ソフィア嬢がいなかったら、ボクは本当に親父か、あるいはお嬢ちゃんを犠牲にしていたはずだ。でも」
リヒトは穏やかな目でソフィアを見つめた。
「そこのお嬢ちゃんが、ボクを暗殺者のジョーカーから、ただの魔法使いのリヒトへと戻してくれた。でも、裏を返せば殺意はあったし、お嬢ちゃんを拉致した事実は消えない。だから」
リヒトは再び頭を下げ、静かに宣告した。
「ボクは、法に従って裁きを受けるよ。それが、ボクのケジメだ」
その言葉を聞き、ガンダールヴルは奥歯を強く噛み締めた。
帝国の秩序を守る賢者として、理性ではリヒトの提案を受け入れ、厳正な裁きを受けさせるべきだとわかっている。だが、親としての魂が、激しく叫んでいた。たった一人の息子を、これ以上失いたくない、助けたいと。
老賢者の葛藤の狭間で、ソフィアがコホンと小さく咳払いをした。
「では、リヒトさんを合格とし、今年の魔導士として採用します」
「「なっ」」
ソフィアの唐突な宣言に、ガンダールヴルもラーズスヴィズも、そして当のリヒトすらもが目を丸くして驚愕した。
「聞いてなかったのかい、お嬢ちゃん。ボクは悪いことをしたんだよ?」
「ええ。ジョーカーさんは、悪いことをしたんでしょう?」
「なんだって?」
ソフィアは満面の笑みを浮かべ、幻の尻尾をパタパタと揺らした。
「あなたはリヒトさんです。今回、わたしが特別に推薦しておいた、優秀な魔導士候補生の一人ですよ」
「はぁ?」
「わたしを拉致したのは、暗殺者のジョーカーさんです。魔族と内通していたのもジョーカーさん。ほら、目の前にいるリヒトさんは、なーんにも悪いことしてないじゃないですかっ」
極めて強引で、それでいてひどく優しい詭弁。
ソフィアの意図を察し、ガンダールヴルは震える声で反論を試みる。
「い、いやしかしだね、ソフィア嬢。リヒトは闇の暗殺者ジョーカーとして、これまでに何人もの命を奪っているのだろう。その罪は」
「それなら問題ありません、師匠」
すっ、とギルバートが一歩前に出て、手にしていた書類をガンダールヴルへと差し出した。
「クラウス率いる情報局に、ジョーカーの過去の経歴を徹底的に調べさせました。彼は確かに暗殺者ですが、標的はすべて凶悪な犯罪者や、人殺しの悪党のみ。つまり彼は、殺し屋専用の殺し屋だったのです。無辜の民を殺めた記録は一切ありません」
「リヒト……お主、そうだったのか」
ガンダールヴルが目頭を熱くして息子を見つめる。
ソフィアは驚いてギルバートを振り返った。
「ギルさん、ナイスですっ。でも、わたしそんな調査、頼んでいないのに」
「フィーがやりたいことくらい、お見通しさ」
ギルバートが涼しい顔でウインクをする。
愛する恋人の完璧すぎる援護射撃に、ソフィアは胸をときめかせて頬を赤らめた。
「ガンダールヴル様」
ソフィアは姿勢を正し、真っ直ぐな瞳で老賢者を見据える。
「わたしはリヒトさんを、魔導士に推薦します。彼の魔法使いとしての技量、命を懸けた心構え、そして血の滲むような研鑽。そのすべては、魔導士にふさわしいものです。この次期八宝斎が一人、ソフィア・クラフトが保証します」
「しかし……しかし」
ガンダールヴルはなおも躊躇っていた。
リヒトもまた、ソフィアの提案が嬉しい反面、自身のしでかしたことで父の顔に泥を塗ってしまった罪悪感から、素直に頷くことができない。
ガンダールヴルも、息子を非行に走らせてしまった己の罪を悔い、手放しで喜ぶことができずにいた。
「ふふっ。本当に、似たもの親子ですね」
ソフィアは鈴を転がすような声で笑い、二人の顔を交互に見つめた。
「どちらも、本当は心の底から喜んでいます。わたしの『虚無の魔眼』には、お二人の魔力がとても温かく、嬉しそうに揺れているのがはっきりと視えていますよ」
魔眼を持つ彼女の言葉は、どんな物理的な証拠よりも強い真実であった。
嘘偽りのないソフィアの指摘に、リヒトとガンダールヴルは息を呑む。
「ガンダールヴル様。リヒトさんも。過去の出来事は、決して消えません」
ソフィアは静かに目を伏せ、かつて異世界で生き、そして死んだ自分自身の記憶を重ね合わせるように、深く温かい声で紡いだ。
「覆水盆に返らず。過ぎた時間を元通りにすることは、誰にも不可能です。でも。新しく始めることは、いつだってできるんです」
わたしがこの異世界で、大好きな人たちに囲まれて、新しい生活を送れているように。
ソフィアの言葉には、理屈を超えた確かな重みと真実が宿っていた。
「どちらも、もう心の中では許し合っているじゃないですか。なら、もう一度、親子として、一から始めてみませんか。そんなに難しいことを、わたし、言ってますでしょうか」
ソフィアが優しく微笑みかけると、張り詰めていた二人の心の糸が、ぷつりと音を立てて解けた。
「親父ぃっ……。ごめんなさいっ」
「リヒトよぉおおっ」
手錠をはめられたままのリヒトが泣き崩れ、ガンダールヴルがその体を強く抱きしめる。
二人は子供のように声を上げて泣き、長年の確執を涙で洗い流すように、ただきつく抱き合い続けた。
「ありがとう、嬢ちゃん。本当に、ありがとう」
涙で顔をくしゃくしゃにしながら、リヒトが何度も感謝の言葉を口にする。
ソフィアは「いいえ」と首を振り、二人を温かく見守った。
「やれやれ。涙もろいのは年寄りには毒じゃて」
ラーズスヴィズが目頭をそっと拭い、静かに宣言する。
「今年の魔導士試験。見事過酷な試練を乗り越えた合格者は、七名とする」
こうして、帝都を巻き込んだ波乱の魔導士試験は、温かい涙と共に完全な終わりを告げるのだった。




