76. 襲撃
夕暮れ時の帝都。茜色に染まるレンガ造りの街並みを、ソフィアとギルバートは肩を並べて歩いていた。
OTK商会にて、マリアと結界資材の搬入ルートなどの細かな打ち合わせを終えた帰り道である。
「すっかりおそくなってしまったな」
「ですね。その……ありがとうございます。送ってくれて」
ギルバートには通常の軍人としての業務がある。その終わりに、OTK商会にいるソフィアのもとへ向かったのだ。
「夜道を一人で返すなんてできないからな」
(ギルさんに守られてる……嬉しいなぁ)
とポワポワした気持ちになるソフィアをよそに、ギルバートが険しい表情で言う。
「君は魔導士試験の要だからな。悪いやからが君を襲うかもしれない」
「私を襲っても何のメリットもないような……」
試験をとり行っているのは国であり、ソフィア個人ではない。だから別に、襲っても意味ないだろう。とソフィアは考えたのだ。
「そんなことはない。君がいないと魔導士試験は成立しない。それくらい、君はこの、今回の魔導士試験の要なのだ」
「そ、そうなんですね……」
例によって例のごとく、ソフィアは自分の価値に気づいていないようだった。
今年の試験は牙と剣の賢者が暴走した結果、かなりの高難易度になってしまっている。ソフィアがストッパー、そしてメンターとして、試験に関わっているからこそ、今年は試験たりえているのだった。
「ああ。だから、夜出歩く時は、俺がそばにいるからな。絶対に」
「はい。頼りにしてます……」
冷たい夜風が、ソフィアの緋色の髪をふわりと揺らす。
彼女は隣を歩くギルバートの逞しい腕に少しだけ身を寄せ、心地よい疲労感とともに幸せそうな笑みを浮かべていた。
だが、その穏やかな時間は唐突に途切れる。
ふっと、周囲の喧騒が不自然に消え去ったのだ。
馬車の車輪の音も、人々の笑い声も、風の音すらも聞こえない。
先ほどまで大勢の通行人で賑わっていたはずの大通りには、自分たち以外の姿が完全に消失していた。
ギルバートも異常にすぐ気づき、杖を抜いて周囲を警戒する。
「フィー、俺から離れるな」
ギルバートが鋭い声を上げ、ソフィアを背後に庇う。
ソフィアの『虚無の魔眼』が、周囲の空間を覆い尽くす不可視の壁を捉えた。街の景色を巧妙に偽装した、極めて高度な空間隔離結界の中に引きずり込まれたのである。
「結界魔法です。どうやら、外と隔離された空間に閉じ込められたみたいです」
「! くそ、手練れだな」
静寂の中、歪む空間からどす黒い瘴気が噴き出した。
現れたのは、不気味な仮面で顔を隠した数人の暗殺者たちである。
「なんだ貴様らは」
「すまないが、優秀な魔導士がこれ以上人間界に増えるのを防ぐため、死んでもらおう」
(下手人の目的はフィーか!)
ギルバートは敵を排除するべく魔法を発動。氷牢獄により、暗殺者たち数名が一瞬で凍りつく。だが全員は捉えきれなかった。
(無詠唱の捕縛魔法を避けた。魔力の流れを目で捉えてる。だとしたらかなりの実力者)
ガンダールヴルがそうであるように、腕の立つ魔法使いは、魔力の流れから魔法を読むことができる。今捉えきれなかった数名はそれをした。
ガンダールヴルほどではないにしろ、かなり魔法戦闘に長けたプロに襲われてる状況。しかも相手はふくすうにん、しかも、こちらは人を守りながら。
「ギルさん!」
ソフィアと自分のとの間に光の壁ができあがっていた。
ギルバートはかべをたたくもびくともしない。
「空間分断! くそが! フィー!」
敵の真の目的は、厄介な『氷炎の魔導士』と標的を分断することだった。
ギルバートは結界の壁に阻まれ、向こう側で多数の暗殺者を相手に足止めを食らってしまった。
「ギルさんっ」
ソフィアが声を上げた背後で、冷たい刃の気配が揺れる。
空間の壁によって孤立したソフィアに向けて、一人の仮面の暗殺者が音もなく忍び寄り、凶悪な短剣を振り下ろしてきたのだ。
戦闘力など皆無のソフィアである。
だが、彼女には神域の魔眼があった。敵の体内で練られる魔力の流れから、敵の攻撃の予兆を完全に読み取ることができる。
ソフィアは身を屈め、飛んでくる魔法の刃を紙一重で回避した。
刃が空を切る冷たい風圧が、頬を掠めていく。
「! 小娘ごときに、我が攻撃が
避けられるなんて……」
どうやらこのリーダーは自分の暗殺の腕にかなり自信があったようだ。現に並の魔法使いなら分断された時点で死んでいた。ソフィアだからこそ、回避できたのだ。
(魔力の流れは見えてる。でも、体がついていかないっ。いつまで持つか)
魔眼で先読みができても、所詮は体力のないただの少女である。
次々と繰り出される容赦のない連撃に、ソフィアの息は上がり、額から冷や汗が流れ落ちる。
「ああっ」
ついに足をもつれさせ、ソフィアは冷たい石畳の上に尻餅をついてしまった。
好機と見た魔族が、無慈悲な刃をソフィアの首筋へと突き立てようと跳躍する。絶体絶命のピンチであった。
そのときだ。
どさり。
「クスクス。困るなぁ。『お気に入り』を壊されちゃあ」
ソフィアに凶刃が届く直前。
宙から降ってきた一枚のトランプが、弾丸のような速度で魔族の短剣を弾き飛ばした。金属が激突する甲高い音が、隔離空間に響き渡る。
「あなたは……ジョーカーさん」
ソフィアが目を見開く先で、奇術師のような出立ちをした男が飄々と降り立った。
一次試験の合格者の一人である、ジョーカーと名乗る青年であった。
仮面の魔族は突如として現れた乱入者を侮り、すぐさま体勢を立て直して襲いかかる。
だが、ジョーカーの動きは常軌を逸していた。
彼は手品のように宙からトランプを取り出すと、それをひらりと指先で弾く。
放たれたカードは魔族の周囲の空間そのものを紙のように切り取り、不可解な爆発を引き起こした。凄まじい衝撃波が魔族の体を吹き飛ばす。
圧倒的な蹂躙であった。
ジョーカーの底知れない手品魔法の前に、魔族は完全に手玉に取られていたのだ。
「チッ」
これ以上の戦闘は分が悪いと判断したのだろう。
傷を負った魔族は忌々しげに舌打ちをすると、黒い煙に包まれるようにしてその場から転移し、姿を消し去った。
壁の向こう側にいた魔族たちも、仲間の撤退に合わせて一斉に煙となって消えていく。
「フィー!」
「ギルさん!」
二人はお互いの無事を確認するかのように、きつく、抱きしめ合う。
ギルバートも、そしてソフィアも無事だった。互いに、相手が無傷でホッと安堵の息を吐く。
「助かった。ジョーカー。例を言う」
「助けていただいて、ありがとうございます」
ソフィアは安堵の息を吐き、震える足で立ち上がりながらお礼を口にした。
だが、彼女の『虚無の魔眼』ははっきりと視てしまっていた。目の前で飄々と笑うジョーカーの体内に渦巻く魔力は、先ほどの暗殺者たちよりも遥かに禍々しく、底知れない狂気を孕んでいたのである。
「君が作る最高のステージ、楽しみにしているよ。二次試験で、また遊ぼうね」
ジョーカーはソフィアの顔を覗き込み、背筋が凍るような意味深な笑みを残す。
そして、彼もまた奇術のようにポンと白い煙に巻かれ、幻のように姿を消してしまった。
「フィー……すまない」
彼はソフィアの小さな体を強く抱きしめ、無事を確認して深く息を吐く。
「ギルさん」
ソフィアは温かい恋人の胸に顔を埋めながらも、心臓の早鐘が鳴り止まなかった。
「俺がついてながら、すまない」
「ううん。気にしないで。敵が強かったですし。複数人でしたし」
「でも、君を危険にさらしてしまった。ごめんよ」
暗殺者の急襲。そして、ジョーカーという不確定で危険すぎる存在。間近に迫る二次試験に向けて、彼女の心に言い知れぬ不安の影が落とされるのだった。




