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75.結界装置の制作



 ソフィア考案の結界装置の制作が、本格的に始動した。


 カランカラン。


「いらっしゃいましー」


「ヨランダさん。こんにちはですの」


「セシル様。こんにちはですのー」


 銀のフクロウ亭にやってきたのは、杖の魔女の娘、セシル・グラン。

 店番をしていたヨランダが、ひらひらと手を振って出迎える。


「最近忙しくしてますのね。頻繁に出入りして」


「ワタクシはソフィアさんの補助ですからね」


 なるほど、とヨランダは得心いったように頷く。

 セシルはスタスタと店の中へ入り、そのまま奥にある工房へと向かった。


「翻って、ジュリアン様は最近見ませんわね」


 ヨランダが後ろからついていきながら尋ねる。


「ええ。ジュリアン様は持ち前の商会ネットワークを駆使し、必要な希少素材を手配してますのよ」


 生木を利用した結界装置の構築。自生している木を使うとはいえ、用意するものは多岐にわたる。例えば、魔力回路を削るための大がかりな木工道具や、装置が腐らないように防腐処理を施すための特殊な液剤などである。

 物が大きいだけに、作成にはかなりの時間と労力、そして何より膨大な材料が必要となってくる。そういった『作る』こと以外の煩雑な手配や業務は全て、ジュリアンがソフィアの代わりに担ってくれていた。


「さらに、奈落の森における結界樹の選定と効果範囲の計算までも完璧にこなすという、圧倒的な『できる男』ぶりを発揮してますのよ」


「なるほどぉー」


 二人は話しながら、ソフィアの工房へと足を踏み入れた。


「ソフィアちゃーん。セシル様が来ましたわー」


 ヨランダが工房の外から声をかけても、部屋の主からの返事はない。いつものことなので、ヨランダは気にせず工房の中へと入る。


 足の踏み場もないほど様々な素材や図面が散乱する工房内は、いつもなら心地よい木の香りで満たされているはずだった。しかし、最近は違った。鼻を突くような焦げた金属の匂いと、キーンという高く鋭い摩擦音が絶え間なく響いているのだ。


「ソフィアちゃんってば。もう、お顔が汚れてますわ」


 作業台に向かうソフィアの顔や服は、細かな鉱石や金属の粉塵で黒く汚れてしまっていた。それでもヨランダは、下手に彼女に触れようとはしない。

 ソフィアが具体的に何をしているのかはわからないが、極めて精密な作業をしていることだけは承知している。彼女の集中を削がないよう、そっと周りのゴミを片付けるだけに留める。


「正しい判断ですわ、ヨランダさん」


「ありがとうですわ。それにしても、ソフィアちゃんは何をしているんですの?」


「結界の心臓部となる『制御の杭』の術式刻印を担当してますの」


「術式……刻印?」


「ええ。魔道具に必要なのは、大きくわけて魔力回路、そして魔力源バッテリーです」


 魔力回路に魔力を流すことで、魔法が発動する。この回路は、発動させる魔法の性質ごとに形が全く異なる。


「魔法発動のための回路を、術式。それを刻む作業を刻印というのです」


 うーん、とヨランダが頭をひねる。セシルの説明を聞いても、いまいちピンとこない様子だ。


「で、ソフィアちゃんは回路を刻んでますの? あんなちっこい金属の塊に?」


 ヨランダが、ソフィアの手元を横からこっそりと覗き見る。

 彼女の華奢な手には、五寸釘ほどの大きさしかない霊脈石の杭が握られていた。


 ソフィアは頭に、手元を明るく照らすライトが付いた医療用の拡大ルーペを装着している。そして反対の手には『魔道彫刻ドリル』という、微弱な魔力で先端の極小刃を高速回転させる精密な道具を持ち、素早く滑らかな動きで杭の表面に複雑な模様を刻み込んでいた。


「あの、これってどれくらい凄いんですの?」


 ヨランダが、呆然と立ち尽くすセシルに向かって一般的な質問を投げかける。

 あまりにも緻密すぎるソフィアの作業に、魔道具師の弟子である彼女は完全にドン引きしていた。


「そうですね。例えるなら、米粒一つに小説一冊分の文字を、一文字も被ることなく綺麗な字で書き込んでいるようなものです」


「え、無理……」


 セシルの的確な例えに、ヨランダの顔が引き攣る。

 肉眼では何も見えないレベルの極小術式を、ソフィアは魔眼の視覚のみを頼りに一切の迷いなく彫り進めていた。


「ソフィアちゃん。朝八時からもう四時間ですわ。心配ですの……」


 ヨランダがそう呟いても、ソフィアは全く反応しない。

 周囲の音が一切聞こえないほど、彼女は神域の作業に深く没頭していたのだ。だが、工房の時計が正午の十二時を指したその瞬間である。


「お昼、行かなくちゃ」


 ソフィアはまるで精密な機械のように、ピタリとドリルを置いた。

 ほぉ、と背後の二人が安堵の息をつく。


「あれ? セシルさん。おはようございます!」


 ぺこ、とソフィアが振り返って礼儀正しく頭を下げる。


「もうお昼ですわよ……」


「え? あっ、ほんとだ。もう四時間も経ってる。おかしいな……」


 ついさっき朝ご飯を食べたばかりだと思ったのに。

 ヨランダは深くため息をつき、濡れたタオルでソフィアの顔や手先の汚れを優しく拭う。


「ほら、お着替えですわ。ばんざーい!」


 汚れた作業着を脱がせ、ヨランダがテキパキと綺麗なお出かけ用の服を着させる。


「ほら、お時間でしょう?」


「あ、そうだ。白銀の猫(ホーリィ・ロウィリ)いってきます!」


「はい、いってらっしゃいまし」


 ぱたぱた、とソフィアが足早に作業場を出て行く。


「カフェへ何をしに?」


「お友達とランチですわ」


「なるほど。友達って?」


「メルティア皇女殿下」


「ぶっ……!」


 この国の第二皇女が友達だという事実に、セシルは大きく目を剥いた。しかし、すぐに納得したように頷く。


「まあ、人は同レベルの人間と付き合うものだっていいますものね」


「ご安心を。ソフィアちゃんは、優しくしてくれた人はみんな大好きなお友達ですわ。あなたもね」


 にこーっとヨランダが笑うと、セシルはほっと安堵の息をつき、静かに工房の雑務に取り掛かるのだった。


    ◇


 ソフィアはてこてこと帝都の街を歩き、会員制高級喫茶『白銀の猫』へとやってきた。

 柔らかな紅茶の香りが漂う貴賓室には、すでに第二皇女であるメルティアが優雅に腰を下ろしている。


「ソフィア!」


「メルティアさん。お待たせしましたっ」


 二人は向かい合って座り、美味しいランチをとりながら、温かい紅茶で喉を潤して他愛ないおしゃべりを楽しむ。


「なんか、新しい試験の準備で大変なんだってね」


 帝都が次期魔導士試験の会場であるため、当然、皇族の耳にも運営側の情報は入っている。


「ちゃんと休めてる?」


 メルティアにとっては、試験の進捗も大事だが、それよりも親友であるソフィアの体調の方が心配だった。彼女が仕事に関して平気で無茶をする娘だと、よくわかっているからである。


「はいっ。こうしてお茶もしていますし」


 にっこりと笑うソフィアに対し、メルティアはジト目を向けた。


「はぁ。あなた、どうせ工房で休みなく働いているんでしょう。だめよ、周りを、そしてギルバートも心配させちゃ」


「う」


 図星を突かれ、ソフィアは幻の犬耳をペタンと伏せる。

 親友である皇女の目は誤魔化せない。


「今日も絶対、お昼の時間になるまで、機械みたいにキビキビと働いていたんでしょ」


「わ、わかってます。ちゃんと休んでますし……」


「いーえ、わかってないわね」


「うう、お見通しですか……」


 たじたじになりながらも、ソフィアは親友の温かい気遣いを嬉しく思うのだった。

 その後、最近のファッションや新作のお菓子の話題で盛り上がる。ただの雑談だが、ソフィアにとっては良い気休めになった。


 現に、目の奥に溜まっていた重い疲労が、気づけばすっきりとほぐれていた。おそらく、メルティアが特別に用意させた良質なハーブティーが効果を発揮したのだろう。


 きっかり、一時間半。ソフィアは時計を見て立ち上がる。


「時間だから、帰ります」


「うん、無理しないで頑張ってね」


 メルティアに見送られ、ソフィアは再び工房へと足取りを向けるのだった。


    ◇


 フクロウ亭に戻ったソフィアは、すぐさま作業台に座り、再び深い集中状態へと入っていった。

 何をしても決して作業をやめず、あまりにも精密な術式を刻んでいるため、誰も下手に触れて声をかけることすらできない。


 カリカリという硬質な音だけが、工房内に静かに響き続ける。

 やがて、時計の針が十八時ジャストを指した。


「ふぅ」


 ピタッ。

 再び機械のように作業を中断し、ソフィアが小さく息を吐く。


「今日の作業終わり……」


「お疲れ様ですのー」


 ヨランダがソフィアの顔の汚れを、手に持った濡れタオルで優しく拭う。


「あ、あの……」


「はいはい、お髪を直しますー」


 ソフィアが声をかけただけで、ヨランダは「どうしたの」とは追及せず、即座に察して背後に回った。

 手早く櫛を通し、乱れた緋色の髪を綺麗に整え、ほんのりと香水をつける。


 まさにその絶妙なタイミングであった。

 カランコロンとドアベルが鳴り、軍服姿のギルバートが工房へとやってきたのだ。

 まるで、彼女の作業が終わるのを外でずっと待っていたかのような見事な現れ方である。


「お疲れ様、フィー」


「ギルさん!」


 愛しい人の姿を見た瞬間、ソフィアの身体から心地よい疲労感さえも吹き飛んでいった。

 ぱぁっと花が咲いたような笑顔を浮かべ、えへへと幸せそうにギルバートの元へと駆け寄る。


「夕飯は今日くらい、お外で食べてきなさいな」


 ヨランダがウインクをして、粋なアシストを入れる。

 だが、仕事人間の顔を完全に抜けきれていないソフィアは、戸惑ったように作業台を振り返った。


「あ、でも、まだやりたい作業が……」


「フィー。行こうか」


 ソフィアの言葉を遮るように、ギルバートが空気を読んで甘く低い声で告げた。

 彼はそっとソフィアの手を取り、真剣な眼差しで見つめてくる。


「でも作業が……」


「俺が、フィーとデートしたいんだ」


「! で、デート……」


「ああ」


 愛する人からの甘い殺し文句。

 その一言で、ソフィアの中にあった仕事モードは一瞬にして彼方へと吹き飛んでしまった。


「……わかりましたっ」


 ソフィアは顔を真っ赤に染め上げ、こくりと小さく頷く。


「よし、いけ、ギルもん」


「誰がギルもんだ。お前、俺が主人だって忘れてるだろ」


「さっさとソフィアちゃんといちゃついてきなさいな」


「わかってる。フィーを休ませるのが俺の役目だからな」


「わかってるなら、さっさと行きなさいな」


 ヨランダの頼もしい背中押しを受け、夢見心地のソフィアを連れて、ギルバートは夜の街へと出掛けていくのだった。

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