68. 不器用な母の愛
帝都の裏通りにあるソフィアの工房に、カランコロンと軽快なドアベルの音が響いた。
来客を知らせる音に顔を上げたソフィアは、ぱぁっと顔を輝かせる。
「マダムっ」
ソフィアは幻の尻尾をちぎれんばかりにパタパタと振り、小走りで出迎えた。
そこに立っていたのは、この工房の元の持ち主であり、ソフィアを一人前の職人として認めて店を譲ってくれた恩人、マダム・グランであった。
「久しぶりだね、ソフィア」
「はいっ。さ、どうぞこちらへ」
ソフィアはマダムの手を取り、窓際の待合用ソファに座らせる。
マダムの傍には、身の丈ほどの大きな杖が立てかけられていた。エイネンジュで作られたそれを見て、ソフィアはふわりと微笑む。
自分が選んだ杖を、今も大切に愛用してくれている。
それが、ソフィアの魔眼にははっきりと映っていた。
「店を見させてもらったよ」
マダム・グランは、手入れの行き届いた工房の隅々を見渡し、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう。こんなに丁寧に店を使ってくれて」
「いえっ。私にとって、ここは大切なお城ですから」
ソフィアが胸を張って答えると、マダムの表情がスッと引き締まった。
彼女はエイネンジュの杖を差し出す。かつてソフィアがこの店の在庫の中から選び抜き、彼女に見立てて譲った一本だ。
「今日は、この杖のメンテナンスを頼みたくてね」
その鋭い視線に射抜かれ、ソフィアは瞬時に事態を察した。
これはただのメンテナンスではない。店を譲り受けた店主として、そして職人として、ソフィアの腕が鈍っていないかを試す抜き打ちテストなのだ。
「承知いたしました」
ソフィアのふんわりとした雰囲気が一変し、凛とした職人の顔になる。
彼女はマダムから杖を受け取ると、作業台に布を敷き、迷いなく彫刻刀を滑らせた。
シュッ、シュッという心地よい木を削る音が工房に響く。
ミリ単位の調整で魔力の通り道を拡張し、特製のオイルを塗り込んで木肌の疲労を癒していく。
流れるような神業でメンテナンスを終えたソフィアは、ピカピカに磨き上げられた杖をマダムへと返した。
「終わりました」
マダムは杖を受け取り、軽く魔力を通す。
ふわりと温かな風が巻き起こり、杖が歓喜の声を上げるように震えた。マダムは満足そうに、にっこりと頷く。
「うむ。腕は鈍っていないようだね」
「ありがとうございます」
「立派な恋人ができたと風の噂で聞いたからね。てっきり、それにうつつを抜かしているかと思ったよ」
「そんなことしませんっ」
ソフィアがむすっと頬を膨らませると、マダムは小さく息を吐いて笑った。
「ふっ。わかるよ。あんたのメンテナンスの腕を見ればね」
カランコロン。
和やかな空気が流れる中、再びドアベルが鳴った。
「ソフィアさん、二次試験の打ち合わせに参りましたわ」
入ってきたのは、魔導士選定試験の公式杖職人補佐であるセシルであった。
彼女は店内に立つマダムの姿を認めるなり、持っていた資料をバサッと床に取り落とした。
「お、お母様」
「セシル」
ソフィアは二人の顔を見比べ、なるほどと納得したように頷く。
二人とも、鋭い目つきがそっくり似ているのだ。
(それに、やっぱり)
ソフィアの瞳はマダムの杖、そしてセシルを捉え、得心がいったように深く頷く。
「なんでお母様がここに」
「ソフィアが魔導士選定試験の公式杖職人になったと聞いてね。様子を見に来たんだよ」
「そう、ですの」
(やっぱりお母様は、ソフィアさんの方が大事なのですわね。仕方ありませんわ、わたくしでは、『杖の魔女』の後継には相応しくないですもの)
杖の魔女とは、マダムのことだ。
セシルは当初、自分こそがその後を継ぎ、そしてこの店を継いで当然だと思っていた。しかしソフィアと出会い、職人としての鼻っ柱をへし折られたのである。それまで、母には何度も抗議の手紙を送ったものだった。
(ちゃんと、謝っておかねばなりませんわね)
セシルは気まずそうに視線を彷徨わせた後、意を決したようにマダムの前に進み出た。
そして、深く頭を下げる。
「お母様。ごめんなさい」
「なんだい、急に」
「わたくし、ずっとお母様に不満を抱いておりました。なぜ実の娘であるわたくしではなく、ソフィアさんにこのお店を譲ったのかと」
セシルの震える声が、静かな工房に響く。
「でも、公式杖職人の補佐としてソフィア様の元で仕事をして、ようやく気づきましたの。この子は、特別な才能と、常軌を逸した努力を持ち合わせている。わたくしでは、到底力が足りなかったのだと。お母様の判断は、正しかったですわ」
己の非力さを認め、素直に敗北を口にした娘。
しかし、マダム・グランの顔に浮かんだのは、安堵ではなく激しい怒りであった。
「呆れたね。あんたは何もわかっちゃいないよ」
「えっ」
冷たく言い放ち、マダムは踵を返す。
そして、呆然とするセシルを一瞥もせず、足早に工房から出て行ってしまった。
「ヨランダさん。マダムを頼みます」
「はい、このヨランダめにお任せを」
ヨランダは素早い動きでマダムの後を追う。ソフィアは後のことを彼女に任せることにした。
今は誰よりも、弱っているセシルを放っておけなかったのである。
「どうして。わたくし、素直に謝りましたのに」
セシルは混乱し、涙目でソフィアにすがりついた。
「実力が足りない、不甲斐ない自分を見限って見捨てられたのでしょうか」
彼女は絶望の表情を浮かべる。
ソフィアは優しくセシルの肩を叩いた。
「セシルさん。マダムが怒ったのは、あなたが卑屈になっているからです。実力不足なんか微塵も気にしてませんでしたよ」
「なんで、それがわかるんですの」
「私、魔力が見えるんです」
「虚無の魔眼を」
魔力ゼロの特異体質のみが持つ、伝説の魔眼。魔力から相手の心をも読み解くという力。
マダムの魔力には、実力不足な娘を蔑む要素など一切なかった。むしろ、久々の再会を喜んでいる感情が、ソフィアにははっきりと視えていたのだ。
(虚無の魔眼の持ち主ならば、あの尋常ならざる杖作りの技術も頷けますわね)
ソフィアの作る杖の、魔力の流れはとんでもなくスムーズだ。それこそ、見えないはずの流れそのものが完全に視えているとしか思えないほど。
セシルは、ソフィアの統一杖の完璧な仕上がりを間近で知っているからこそ、彼女が魔眼持ちだという事実をすんなりと信じられた。
「わたくしが卑屈になってるからって、なぜ怒るんですの。まだ、実力不足だからの方がわかりますわ」
セシルは自嘲するように呟く。
「マダムは、あなたの杖職人としての力をちゃんと認めています」
「その根拠は」
ソフィアは、マダムが持ち込んだエイネンジュの杖を指差した。
メンテナンスをしたまま、置いて出ていったのだ。
「これ、あなたが作った杖ですよね」
「っ。ど、どうして、それを」
「杖と職人、どちらも見れば、誰の杖かなんてすぐにわかります」
圧倒的に否である。
そんな神業ができるのは、世界広しといえどソフィアだけなのだが、そこに突っ込む人間はいなかったし、そういう雰囲気でもなかった。
「マダムにぴったりの杖で、当たり前ですよね。セシルさんが、マダムのために心を込めて作ったんですもの」
ソフィアの言葉に、セシルはハッと息を呑んで首を横に振った。
「で、でもこれは、失敗作ですわ。魔力回路を大きくしすぎましたし、不格好だし」
そう、セシルは一度、この杖を失敗作として捨てたのである。
「でも、お店にあった。それは、娘が捨てた杖を拾って、大事に持っていたのではないですか」
「っ」
「たしかに不恰好かもしれません。しかし、マダムの魔力にはピッタリでした。それを今も愛用していらっしゃいます。マダムほどの超一流の杖職人が、自分に合わない未完成の杖をずっと愛用すると思いますか」
「あ」
「マダムは、セシルさんの腕をしっかりと認めていたんですよ。それに、この杖には、ちゃんとセシルさんを想う魔力が、深く染み込んでいます」
ソフィアの静かな指摘に、セシルの瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちる。
(お母様。わたくしの腕を、ちゃんと認めていたんですのね。でも、でもっ)
「なら、どうしてお店を譲ってくださらなかったんですの」
「お話は、最後まで聞くものですわよ」
不意に、背後から声が響いた。
振り返ると、入り口のドアの前にヨランダが立っていた。彼女の隣には、先ほど足早に出て行ったはずのマダム・グランが、気まずそうに腕を組んで立っている。
ヨランダが、逃げようとしたマダムを捕まえ、ソフィアたちの会話を立ち聞きさせていたらしい。
「ほら、マダム。ちゃんと娘さんと向き合ってくださいな」
ヨランダに背中を押され、マダムは渋々といった様子でセシルの前に進み出た。
「あんたは、すぐ調子に乗るからね」
「お母様」
マダムの不器用な言葉の真意を、ソフィアが優しく代弁する。
「杖の魔力から、マダムの想いが伝わってきました。親の七光りでこのお店を継げば、あなたは傲慢になり、職人としての成長が止まっていたはずです。マダムは、あなたを愛しているからこそ、あえて厳しい逆境を与えたんです」
ソフィアはセシルの手をぎゅっと握った。
「それなのに、あなたが『自分には力が足りない』と、最初から負けを認めて卑屈になったから。マダムは、ご自身の娘がそんなふうに折れてしまったことが悲しくて、怒ったんですよ」
ソフィアの言葉を受け、マダムは大きく息を吸い込み、セシルを真っ直ぐに睨みつけた。
「さすがは凄腕の職人。そこまで見抜いちゃうとはね」
マダムは小さく息を吐いて、娘に言う。
「その通りさ。職人なら、打ちのめされても何度でも立ち上がりな。あんたの才能は、そんなもんじゃないだろう」
「お母様っ」
不器用すぎる母の愛と、自分を信じてくれる強い叱咤を受け、セシルはとうとうマダムの胸に飛び込んで泣き崩れた。
マダムは照れくさそうに視線を逸らしながらも、泣きじゃくる娘の背中を、大きく温かい手で優しく撫で続けるのだった。
「ありがとね、ソフィア。杖のメンテナンスだけでなく、娘との関係修復までしてくれて」
「いえ、杖職人なら、このくらいして当然です」
ソフィアがニコッと笑いかける。
ヨランダは心の中で小さく、
(いや、普通の職人はそこまでしないですわ)
と、呆れたようにツッコミを入れるのだった。




