57.ジュリアン・クラフトという男
「ジュリアン、クラフト……」
ギルバートは、その聞き覚えのある姓を呆然と反芻した。
紅玉のごとく赤く美しい髪の青年ジュリアンは、悪びれる様子もなく爽やかな笑顔を浮かべたまま、ソフィアの白い手を取っている。
先ほど彼が落とした、手の甲への挨拶の口づけ。
(いきなりそんなことすれば、フィーは驚くし、怖がってしまうだろうに。何をしているのだあいつは)
ギルバートは、彼女が怯えて震え上がるのではないかと青ざめた。
だが、予想に反してソフィアはパッと花が咲いたような笑顔を見せる。
幻の尻尾をパタパタと振るように、弾んだ声を出した。
「ジュリアンお兄ちゃんっ」
(お、お兄ちゃんっ)
ソフィアがそんな風に、人懐っこい笑みを見せたことは初めてで、ギルバートは驚愕する。
「大きくなったね、フィア」
満面の笑みで喜ぶソフィアの姿に、ギルバートはガックリと膝から崩れ落ちそうになる。
「ふ、フィー。彼は? 彼は一体誰なんだ? お兄ちゃんとは? 君には兄妹はいなかった、よな?」
焦って、早口になってしまうギルバート。
「あ、はい。彼は……」
「失礼しました、ウォン・ヴォルグ公爵閣下」
ジュリアンがソフィアの言葉を遮って言う。
向こうはどうやら、こちらが帝国貴族であることを知っている様子だ。
「僕はジュリアン・クラフト。ソフィア様のお祖父様、ヴィル氏の弟、セッチンの孫でございます」
「な、なるほど。親戚というわけか」
「左様でございます。ソフィア様とは昔から付き合いがありまして、その名残で兄と呼ばれているだけでございます」
「う、うむ。そうか……」
ギルバートは内心で、大きく息をつく。
(なんだ親戚か……。俺は昔の男だとばかり思ってた……。良かった……)
彼は気づいていない。
ジュリアンの、ルビーのような目が、鋭く細められていることに。
「お兄ちゃん、どうしたの。いつまで帝都にいられるのっ」
一方、男たちのそんなやりとりに全く気づいていないソフィアが、久方ぶりに再会した親戚のお兄ちゃんに尋ねるように言う。
嬉しそうに、目をキラキラと輝かせていた。
「僕はフィアの補佐をするように、六大陸魔導協会から言われてやってきたのさ」
「補佐?」
「近く開かれる、一級魔導士選定試験のことさ。フィアは公式杖職人に選ばれたのだろう? 素晴らしいことだ。ヴィル師匠も、喜んでいるよ」
「あっ。ありがとう……お兄ちゃん」
ギルバートは、遅まきながら気づく。
公式杖職人に選ばれたことは、栄誉なこと。
偉大な職人であった亡き祖父も喜んでいる、と。
ソフィアに、その言葉をかけなかったことを。
今言ったとしても、遅きに失している。
(なんてことだ……。俺は浮かれていて、そんなセリフも言えなかっただなんて)
「申し訳ない、ヴォルグ公爵閣下」
「閣下はよせ。俺は家督を継いでない」
「では、ギルバート様。僕の素性を説明しておくのを忘れておりました。失礼いたしました」
「あ、ああ。お前はただの親戚じゃないのだな?」
「はい。僕は昔、ソフィア様の祖父ヴィル氏の元へ杖職人としての修行に来ておりました」
「私にとっては親戚であり、心を許せる大好きな兄弟子ですっ」
(なん……だと……)
心を許せる、大好き。
そんなセリフ、ギルバートは言われたことがなかった。
「フィア。ギルバート様に失礼だぞ。心を許せる相手なんて、彼に言うものではない」
「? どうして?」
本気で、どうしてかわかっていない様子のソフィア。
ジュリアンは、もうそれだけで、全てを察していた。
(なるほど……そういう関係か)
ここに来た時、ジュリアンは帝国貴族がソフィアのそばにいるのを見て、撤退戦へとすぐ切り替えた。
だからこそ、ギルバートの前では、ソフィアを様付けしたのだ。
貴族の婚約者を、まさか呼び捨てになどできないと。
が、彼らの発言と雰囲気から、ジュリアンは二人が婚約関係にないことを悟る。
またもすぐさま、彼は別の戦いを始める覚悟を決めた。
「わぁっ。じゃあジュリアンお兄ちゃんが手伝ってくれるんだねっ。うれしいっ」
花が咲いたように笑うソフィア。
ジュリアンは微笑みながら、彼女の肩を抱く。
「君を全力で支えるよ。っと、そうだ。開店記念のプレゼントだ」
ジュリアンは懐から一本の杖を取り出し、虚空に向かってヒュンと振る。
ふわりと甘い香りが漂い、虚空から真っ赤な薔薇の大輪の花束が現れた。
「わぁっ。うれしいっ。薔薇、大好きっ」
ソフィアは花束を受け取り、頬を薔薇色に染めて喜んでいる。
その光景を見て、ギルバートは再び膝から崩れ落ちた。
(俺は、フィアが薔薇を好きだということすら、知らなかった……)
彼氏としての圧倒的な情報不足を痛感し、深い敗北感を味わう。
ジュリアンはギルバートから視線を外し、ソフィアに向き直った。
ふと苦しげに顔を歪め、深く頭を下げる。
「すまなかった。君がデリックの奴に酷い目に遭わされていたこと、全く知らなかったんだ」
「ううん、お兄ちゃんに心配させたくなかったから。魔導電話でも言わなかったし」
「だとしても、兄弟子失格だ。ごめんよ、フィア」
そのあまりにも誠実で妹想いな姿に、ギルバートは息を呑む。
ただのチャラ男だと侮っていた己を激しく恥じた。
「だってお兄ちゃんも今大変でしょ。ハッサーン商会のギルドマスターやってるし」
「まぁ多少はね。あ、そうだ。いま、ハッサーンは名前を変えて、銀鳳商会になっているんだ」
「銀鳳っ」
ソフィアとギルバートは揃って驚愕の声を上げた。
銀鳳商会といえば、今や全国に支店を持つ王国最大手の超巨大商会である。
大好きな兄弟子であり、過去の理解者であり、凄腕の杖職人。
その上、最大手商会のギルドマスターという、とんでもないハイスペック男だったのだ。
ジュリアンは、ギルバートを見やる。
もう彼は撤退戦をやめたのだ。
敵は貴族、手を抜いて勝てる相手ではない。
ジュリアンは恭しく跪いて、ソフィアに囁く。
「フィア、愛している。これからは僕が、君の人生を全力で支えていきたい」
真っ直ぐにソフィアの目を見つめ、愛の言葉を紡ぐ。
突然の告白に、ギルバートは心臓を鷲掴みにされたように硬直する。
「え、と。それって……」
目をパチパチと瞬かせ、戸惑うソフィア。
親戚の優しいお兄ちゃんから、突然そんなことを言われたのだ。無理もない。
しかしソフィアは、ジュリアンが冗談でプロポーズするような人ではないと知っている。
「無論、本気だ。僕は君の男として、君が死ぬまで、君を守る」
「……ありがとう。でも、ごめんなさい、お兄ちゃん。実は私、お付き合いしている人がいて」
ソフィアは困ったように微笑み、真っ直ぐに答えた。
ジュリアンはギルバートをじっと見つめた後、ふっと爽やかに、そしてどこか寂しげに微笑む。
「そうかい。なるほど。ギルバート様。どうか妹のことを、よろしくお願いします」
「あ、ああ」
あまりにも潔く、紳士的で、ハンサムすぎる引き際。
ギルバートは気圧され、ただ頷くことしかできなかった。
◇
すっかり夜も更け、冷たい風が街を吹き抜ける頃。
フクロウ亭での歓迎の宴を終え、ジュリアンが帰ろうと立ち上がった。
「お兄ちゃん、久しぶりなんだから泊まっていきなよ」
「だめだよフィア。もう昔とは色々と違うんだ。また明日ね」
ソフィアを引き寄せようとはせず、一定の距離を保つ紳士的な振る舞い。
ギルバートは、全く隙のない男だと舌を巻きつつ、自分も帰路についた。
暗い夜道を歩いていると、後ろからポンと肩を叩かれた。
振り返ると、そこには月明かりを背にしたジュリアンが立っている。
「ギルバート様。少し話をしてもよろしいでしょうか」
「話?」
「ええ」
(フィーに関連することだろうか)
「良いだろう」
「ありがとうございます。では……僭越ながら申し上げさせていただきます」
ジュリアンは冷徹に、しかし丁寧な口調で事実を突きつける。
「どうして、自分が愛の言葉を囁いた時、なぜ自分から、彼女は自分のステディだと名乗り出なかったのですか?」
「!」
「女性に断りの言葉を言わせるなど、彼女に恥をかかせているようなものですよ」
「そ、うだな……」
(確かに、あのとき俺は何も言えなかった。新しい男の登場に、戸惑うばかりだった……)
振り返ってみれば、あのときは自分から言うべきことを、ソフィアに代弁させてしまったのである。
しかも、最悪なことに、その後フォローをしていなかった。
「ギルバート様。フィアは大事な娘です。僕にとって、家族です」
家族同然、ではなく、家族とはっきり言った。
「フィアが選んだ男から、フィアを奪うようなことはしません。しかし……」
鋭いまなざしで、ジュリアンはギルバートを見やる。
「あなたは少し、フィアに甘えている」
「甘え……だと?」
「ええ。あなたはフィアの恋人なのに、フィアのことを何も分かっていない。恋人としての振るまいが何もなってない」
「……耳の痛い話だな。君の言う通りだ」
その痛烈な正論に対し、ギルバートは一切の言い訳をしなかった。
己の至らなさを真っ直ぐに受け止め、静かに認める。
「僭越ながら……少し、あなたを見極めさせていただきます」
「見極めるだと?」
「ええ、あなたがフィアにふさわしい男かどうか」
(フィーを愛しており、俺から奪おう……ってわけじゃないんだろうな)
おそらく、ジュリアンはソフィアの決断……つまりギルバートを選んだことを、最大限尊重はしてるのだろう。
しかし兄弟子として、ギルバートを任せるに値する男かどうかを見極めようとしてる。
「ふさわしくない……と判断したら?」
「簡単なことです。僕が、もっとふさわしい男を用意します」
「自分、とは言わないのだな」
「……ええ。残念ながら。僕はフィアの一大事に、何もすることができない程度の職人なので」
一大事にというは、デリック騒動のことを言ってるのだろう。
確かに、ソフィアを大事な家族として想っているのであれば、彼が来なかったのはおかしい。
商会のギルマスとして忙しかったことと、ソフィアの引っ越しを知らなかったとはいえだ。
「貴族様に、こんなことを申し上げるのは、不遜だとは重々承知しております。しかし、フィアは家族で、家族の幸せを、僕は誰よりも願っているのです」
(なんて強いまなざしをするのだ……)
この男は本当に、ギルバートがソフィアにふさわしくないと思ったら、田舎に連れて帰ろうとするだろう。
ジュリアンは商人だ。貴族の恋人を、そんな風に奪ったら、自分の名誉、商会としての信用が落ちることはわかっているだろう。
覚悟の上、なんだろう。
(俺は……バカだ。何がもうゴールインしただ。何が、俺たちに障害はないだ)
まだ、相手の家族に、自分を認めてもらっていないのである。
「わかった。肝に銘じよう。そして……おまえを認めさせてやる。世界で、フィーを幸せにできるのは、この俺だということを」
ジュリアンは涼やかに微笑み、闇夜の奥へと消えていった。
ギルバートは夜空を見上げ、ふっと静かな笑みをこぼす。
確かに手強い。だが、絶対に譲るつもりはない。
ギルバートはソフィアに相応しい男になるための静かな闘志を燃やしていた。
◇
「ふわわわわーっ」
フクロウ亭の物陰から、ヨランダはガクガクと震えながら事の顛末を見守っていた。
二人のイケメンが、ソフィアを巡って火花を散らすライバル争い。(とヨランダの目には映っていた)
「これはとんでもないことですよーっ。ソフィアちゃーんっ」
たまらずフクロウ亭に戻り、ソフィアの部屋に駆け込んだヨランダだったが、そこには信じられない光景が広がっていた。
当のソフィアは、ベッドの中で幸せそうに寝息を立てていたのである。
「寝てるっ」
ヨランダはずっこけそうになりながらも、呆れたようにため息をついた。
嵐の真ん中は静かとは言うけれども、あまりにも無防備すぎる。
「選定試験、荒れるぜぇ」
ヨランダは毛布を掛け直しながら、波乱の予感に身震いするのだった。
昼ドラ的な展開にはならないのでご安心ください。あとちゃんと杖職人もします。
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