【Side Story】勝利の朝と、すれ違う恋人たち
ファフニール襲来の夜。銀のフクロウ亭。
カチ、コチ、と時計の針が進む音だけが、店内に響いていた。
「ああもう! 帰ってきませんわ! ソフィアちゃんも、坊ちゃんも!」
ヨランダは、カウンターの前を行ったり来たりしていた。
フローリングが磨り減るのではないかという勢いだ。
「あー、どうしましょう~。いっちゃえばよかったかしらー、『行くなー!』って足にしがみつけばよかったかしらー。でもでも、それはあのアンポンタン坊ちゃまの仕事ですし~!」
彼女は自分のエプロンをきつく握りしめる。
「信じてますわよ、坊ちゃん。でも、もしこれでソフィアちゃんを行かせてしまったら……ぶち転がしてやりますわよーっ!」
ヨランダは独り言を呟きながら、モップを構えて素振りを始めた。
不安と期待と殺意が入り混じった、長い長い夜だった。
◇
チュン、チュン……。
小鳥のさえずりと共に、カーテンの隙間から朝日が差し込んできた。
カチャリ。
入り口の鍵が開く音がした。
「……ただいま、ヨランダさん」
「……戻ったぞ」
ドアが開き、朝日を背負った二人が入ってきた。
その姿を見た瞬間。
ヨランダの目から、滝のような涙が噴き出した。
「ぞ、ぞびあぢゃぁあああああん!!」
「ヨ、ヨランダさん……?」
「しんぱいじええええええ! いってほしくなくてええええ! わたくしはぁあああ!」
ヨランダはソフィアに飛びつき、その小さな体を力一杯抱きしめた。
「うびゃぁあああああ! よかったぁあああ!」
「ご、ごめんなさい……心配かけて……」
「いいのです、いいのですよぉおおお!」
ひとしきり泣き喚いた後、ヨランダは真っ赤な目でギルバートを睨み……そして、ニカっとサムズアップした。
「よくやったぞ、坊ちゃん! 偉いですわ!」
「……お前、どこから目線だよ」
ギルバートは苦笑したが、その顔には憑き物が落ちたような清々しさがあった。
「で、今までどこにいらしたの? 心配しましたのよ」
「ああ……。ホテルの屋上に、ファフニール様に降ろされてな。しばらく二人でいたんだ」
「屋上!? まあまあ! それじゃ寒かったのでは?」
ヨランダが驚いて尋ねると、二人は顔を見合わせ、頬を赤らめた。
「いえ、全然……。むしろポカポカでした。……ギルさんが、ずっと抱きしめてくれてたから」
「ギル……さん?」
「……フィーが、カイロみたいに温かかったからな」
「フィー……?」
ヨランダは耳を疑った。
ギルさん? フィー?
呼び方が、変わっている。しかも、この甘ったるい空気はなんだ。
(うぉおおおおおおお!! 勝利! 勝利! 大勝利ですわよぉおおお!!)
ヨランダは心の中でガッツポーズをした。
(見ていますか、ガンダールヴ様! マリア様ぁ! あの恋愛偏差値5の二人が! 亀のごときのろさの恋愛速度の二人が! ついにゴールインしましたわよー!)
「何はともあれ……おめでとうございます、お二人ともっ!」
「ありがとう。……やっと、恋人同士になれたよ」
ギルバートが照れくさそうに言った。
「……ほへ?」
ヨランダの動きが止まった。
「……恋人?」
「ああ。二人で話し合ってな。……これからは、恋人として支え合っていこうと」
「…………」
ヨランダは真顔になった。
「え、っとぉ……つまり?」
ここまでのいきさつを、二人から、ヨランダは聞き出す。ファフニールの前でのやりとりを、つぶさに。
いやいやいや。
『俺に君の人生をくれ』とか、『一生かけて愛し抜く』とか、『誰にも渡さない』とか叫んでいたはずだ。
「あそこまで言って、恋人!?」
「え、違うの……?」
二人はキョトンとして顔を見合わせた。
そして、もじもじしながら、人差し指をつんつんと合わせる。
「だって、その……ま、まずは、お付き合いから始めないと……」
「そうだな。順序というものがあるし……」
ヨランダは、吸い込んだ息を、腹の底から吐き出した。
「もうそれ、結婚でいいだろうがぁああああよぉおおおお!!」
早朝のフクロウ亭に、ヨランダの絶叫がこだました。
「ええっ!? そ、それはちょっと早いかも……」
「早くねええええええ!! 人生賭けたんでしょうがぁあああ!!」
まったく、この二人は。
ヨランダは呆れつつも、その目尻には嬉し涙が浮かんでいた。
まあいい。外堀は、これからわたくし達が埋めていけばいいのですから。
フクロウ亭の朝は、いつになく騒がしく、そして温かかった。




