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宸眷薬師の異世界調剤事件簿 ~ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない~   作者: kiyoaki
第二部 広がる世界、複雑化する事件

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207/207

第207話 五石散三重奏殺人事件<二十三>

 数日後、阿星の処刑が執行された。

 この国において、子が親の無念を晴らす仇討ちは孝行の最たるものとされ、美談として語られる土壌がある。

 ましてや、長年にわたり不正を働いてきた高官たちを、うら若い少年がたった一人で、しかも鮮やかな手口で討ち取ったのだ。

 一部の官吏の間で、彼を英雄視する声が上がるのも無理はなかった。

「天涯孤独の幼い身空で、よくぞ仇を討ったものだ」

「相手は悪逆の重鎮ばかり。天誅を下したというのに死すべき定めとは……不憫なことだ」

 そんな同情の声が、宮城の内側からも密かに漏れ聞こえていた。


 しかし、どれほどの情状酌量の余地があろうと、現職の高官を三人も殺害した事実は動かない。

 法を曲げて彼を赦免すれば、国家の根幹である法治が揺らぎ、模倣犯や私刑を容認することになる。

 皇帝としての景雲の責務は、個人の感情や世論に流されることなく厳格に法を遵守することにあった。


 刑部から死刑執行の報告がもたらされた時、景雲は執務机に向かったまま顔を上げもしなかった。

「そうか」

 ただ一言、平坦な声で短く応じただけだった。

 その横顔があまりにも冷ややかであったため、報告に上がった官吏は震え上がり、そそくさと退出していった。


 その日の夜、景雲は多忙を理由に後宮には渡らなかった。

 凜華が自室で薬草の整理をしながら、なんとなく落ち着かない気持ちで過ごしていると、李元が慌ただしくやってきた。

「凜華殿、陛下がひどい頭痛を訴えられております。至急、清心殿へいらしてください」

「わかった。すぐに行くわ」

 凜華は急いで薬箱を抱え、夜の回廊を小走りで駆け抜けた。息を切らせて清心殿の居間に入ると、そこには予想とは違う光景が広がっていた。


「……あ、来たか」

 寝台に横たわっているかと思いきや、景雲は普段着のゆったりとした長衣を纏い、上等な紫檀の椅子に深く腰掛けていた。

 片手には瑠璃圷を持ち、卓上には凜華が厨房に作らせている薬用酒の瓶が置かれている。顔色も良く、体調が悪いようには見えなかった。

「あれ、ひどい頭痛だって聞いたけど」

 凜華が薬箱を下ろすと、景雲は悪びれる様子もなく杯を傾けた。

「お前が来る途中で治まったようだ。大事ない」

 凜華は呆れつつも、彼が元気そうなことに安堵した。

 促されるまま、向かい側に座る。


 二人が何気ない雑談に花を咲かせていると、景雲の背後の壁が音もなく半回転した。

 ぽっかりと空いた隠し通路の暗がりから、二つの影が姿を現す。

 一人は布を被った下女、絃楠だった。

 そしてもう一人、絃楠の後ろからひょっこりと顔を出したのは小柄な少年だった。

 丸刈りの頭に利発そうな瞳。動きやすそうな黒の平服を着ている。その顔立ちは間違いなく、今日処刑されたはずの少年だった。

「……阿星さん?」

 呼ばれた少年は、悪戯っぽく笑い、屈託のない声で答えた。

「阿星は死んだよ。今の僕は星伸(せいしん)。陛下が新しくくださった名前なんだ」

 星伸は景雲に向かって恭しく一礼した。


 景雲は凜華の落ち着いた様子に、逆に拍子抜けしたようだった。

「なんだ。あまり驚かないのだな」

 どこか残念そうな景雲に、凜華は口に指を当てながら言った。

「うーん、なんとなく、こうなるような気がしていたのよね」

「そうなのか?」

「だって、陛下は随分と阿……星伸さんの能力を買っていたし。それに、手の傷の手当てをさせたでしょ。処刑するつもりなら、わざわざそんなことしないような気がして」


 凜華の指摘に、景雲は小さく鼻を鳴らした。

「目敏い奴め。まあよい」

 景雲は杯を置き、腕を組んだ。

「大罪人の阿星は、法に則り処刑された。それは覆らん。私はたまたま同じ日に、星伸という少年を間諜として召し抱えた、それだけのことだ。何しろ人手不足でな。使える駒は使わねばならん」

「そういえば、前々から間諜を欲しがってたもんね」

 凜華は、この若き皇帝の度量の広さと柔軟さに改めて感心した。


「でも、子供を間諜にするんだ」

 凜華が言うと、絃楠が口を開いた。

「凜華さま、間諜は警戒を招きにくい子供を使うのが定石です。私が先帝の間諜となったのも八歳の時でして」

「えっ、八歳から? すごいね」

「成人する頃には顔が割れたり、身体が大きくなったりして潜入任務が難しくなります。大抵は後進の指導や情報管理、後方支援などに回るのが常です」

「スパイの世界も色々とキャリアパスがあるんだね」


 凜華が妙な納得の仕方をしていると、景雲が話を継いだ。

「星伸は宦者ではない。基本的には、外廷の暗部に配置して使うつもりだ。後宮には絃楠がいるしな。荒事には向かなそうだが、手先が器用だ。小物づくりや精緻な罠を仕掛けるのに役に立つだろう。要するに、直属の『裏の工兵』だな」

「裏の工兵かあ……合ってるかも。あ、麻薬は作っちゃだめだからね」

「そんなの作らないよ。麻薬常習者に家族をめちゃくちゃにされたのに。麻薬には憎しみしかない」

 星伸は答えながら、顔をしかめた。

「でも、工部には極力近づかないようにするよ。裴尚書にも嫌われてるし」

「……気づいてたんだ」

 星伸は、何でもないことのようにあっけらかんと笑った。

「そりゃあね。あの人にとって大事なのは、母さんだけだから。子供なんて、好きな女にまとわりつくコバエみたいなもんだよ。叩き潰そうという殺意しか感じなかった。けど、裴尚書のことは嫌いじゃないよ」

「え……?」

「工部の人たちが話していた。裴尚書は仕事の鬼で、役人になってからは無遅刻無欠勤、一日も休んだことがなかったんだって。それなのに、母さんが死んだ直後の数日は、急に寝込んでしまって出仕しなかったらしいんだ。それで現場が回らなくなって、工部は大騒ぎになった。今はちょっとした伝説になっている」


「へえ……そうだったんだ」

 凜華が呟き、景雲も意外そうな顔をしている。

「何を考えているのかわからなくて怖い人だけど……母さんのことを熱愛していたのは本当だと思う。何十年と続けた皆勤賞を破って寝込むくらいにはね」

 星伸は少しだけ寂しそうに笑った。

「裴尚書が宮廷童子にしてくれなかったら、僕は野垂れ死にしていた。だから、捨て駒として利用されただけだとしても……別にいいよ」

 それは、己を利用した男に対する言葉とは思えないほど、どこか明るく達観した響きを持っていた。


「ねえ、薬師さん。今度から『凜華姉ちゃん』って呼んでもいい? 僕のことは、気軽に星伸って呼んでよ」

「姉ちゃん?」

 急に距離を詰めてきた星伸に凜華が目を丸くしていると、横から景雲が言った。

「凜華はお前の死んだ姉に似ているのか?」

 景雲の探るような問いかけに対し、星伸はケラケラと笑った。

「全然似てないですよ。年は近そうだけど、死んだ姉ちゃんの方が美人だったし、おしとやかで優しかったし」

「……私、もしかして再会早々に喧嘩売られてる?」凜華は思い切り頬を膨らませた。

「あはは! 冗談だよ。凜華姉ちゃんもすっごく可愛いよ」

「まあ、いいけどね。私も弟がいたし」

「『いたし』って過去形なんだね。じゃあ、今は僕が弟になるってことで」

 人懐っこく笑う星伸の顔を見ていると、怒る気も失せてしまう。憎まれ口を叩きながらも、凜華は結局許してしまった。


「凜華の弟分になるのは構わんが、不埒な真似はするなよ。これは私の侍妾なのだからな」

 景雲がピシャリと釘を刺す。

 星伸はわざとらしく両手を挙げて、降参のポーズをとった。

「そんな命知らずなことしませんよ。折角生まれ変わったのに、陛下の逆鱗に触れて死にたくはないですし。そういうわけで、今後ともよろしくお願いします」

 そう言うと、星伸は深く頭を下げた。

 絃楠も一礼し、「では、我々はこれで」と言い残すと、二人は再び隠し通路の奥へ消えていった。

 回転扉が音もなく閉まると、部屋には再び静寂が訪れた。


 凜華はしばらく壁を見つめていたが、やがてしみじみと言った。

「陛下。……あなたは本当に大変な世界に生きているのね」

「急にどうした」

「だって、年齢で言えば今だって大学生か新卒くらいなのに。小学生の頃から皇帝をやって、あんな狸みたいな官僚たちと毎日渡り合っているんだもの。私には無理。もう裴尚書一人でお腹いっぱいだよ」

「……? 何を言っているのかわからん。尚書だけでも六人いるぞ。侍郎を含めたら十二人だ」

「増やさなくていいから。どれだけ神経をすり減らしてきたんだろうって思って。不眠症だけで済んだのは奇跡かもね」

「……」


 戸惑う景雲だったが、凜華の眼差しが自分を案じていることが伝わったのだろう。

 彼はふいっと顔を逸らし、傲然と言い放った。

「それが皇帝の末子に生まれ、皇太子となり、皇帝に即位した私の宿命だ。他人に同情されるようなものではない」

「強がらなくていいのに」

 凜華はふふっと笑い、立ち上がって景雲の背後に回った。

「今度からは、もっとあなたに優しくするね。お仕事を頑張る陛下を癒やせるように私も頑張る」

「ほう……?」

 景雲の口角が上がる。

「殊勝な心掛けだ。せいぜい私に尽くすように」

 景雲の声には、隠しきれない期待の色が滲んでいた。

 時刻は夜更け。そして「優しくする」「癒やす」という甘い響き。景雲の脳裏には当然のごとく、しなやかで色香のある展開が思い描かれた。


「任せて!」

 凜華は張り切って腕まくりをした。

「じゃあ、まずは肩を揉んであげるね」

「……は?」

 景雲の期待は、見事に斜め上へと裏切られた。

「さあ、力を抜いて。うーん、凝ってるねぇ。朱家を呼んで全身をほぐしてもらった方がいいかも。按摩に鍼にお灸もやってみたら?」

 凜華は景雲の両肩を掴み、力強く揉みほぐし始める。

 確かに的確にツボを捉えており、よく効きそうだ。

 極楽と言えば極楽だが……そっちではないと景雲は思った。もっと別の、甘やかな接触を満喫したかったのだが……。

 不満を覚えつつも、背後で「どう?」と笑う凜華を無下にすることもできない。

(まあ、こいつはこういう女だしな)

 景雲は諦めて小さく息を吐き、心地よい指圧に目を閉じるのだった。


【第二部・完】


【読者の皆様へのお願い】

ここまでお読みくださり、誠にありがとうございます~!

「面白い!」「今後の展開や二人の関係が気になる!」と思っていただけましたら、ぜひページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけますと非常に嬉しいです。


このタイミングで評価やブックマークをいただけますと、今後の執筆の大きな原動力になります……!


第三部では、いよいよ連続殺人事件が開幕します!

立ち塞がる敵も謎もパワーアップします。加速する展開にぜひご期待ください。


それでは、よりスリリングになる第三部でお会いしましょう!

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