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ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない   作者: kiyoaki
第二部

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125/125

第125話 屈強な男だけを昏倒させる魔の道<四>

 数日後。

 景雲は、凜華の看病の甲斐もあってか無事に回復した。

 凜華が清心殿に来てからは表情も穏やかになり、夜も眠れるようになった。気分がよくなると寝台に半身を起こし、官たちが持ってくる書類の決裁なども行った。李元の「とりあえず凜華を傍に置いてご機嫌でいてもらおう」作戦は功を奏したといえる。

 動けるようになると、今度こそはと多数の側近と凜華を連れ、忌まわしき資材置き場へ繰り出したのだった。


 現場は、宮殿と高い塀に挟まれた風通しの悪い細い路地であった。その路地の片側に、外廷の柱を塗るための顔料として運び込まれた「黒い石」の山がうず高く積まれている。

「ふうん。資材置き場の横が狭い通路になってるのね。これはもろに影響を受けるね」

 凜華は一人納得して頷くと、護衛たちが

「呪いの石に近づいてはなりません!」

 と止めるのも聞かず、石の山へすたすたと歩み寄り、手頃な大きさの黒い石を拾い上げた。


「凜華、待て。何かあったらどうするのだ」

 景雲が辺りの様子を伺いながら、おっかなびっくり傍にやってくる。

「大丈夫だよ。鉄を身に着けてないし。陛下もそうでしょ」

「まあな」

 景雲は政務ではないのと病み上がりのため、身体を締めつけないゆったりとした袍を着ている。腰の剣は外して側近に預けている。

 今度は道を通っても何も起きなかった。

「これ、赤鉄鉱として納品されたのよね?」

 凜華が背後にいる官たちに問いかける。

 担当者が神妙な顔で「はい」と答えると、懐から素焼きの陶器の破片を取り出した。

 拾い上げた黒い石を、陶器の表面にガリガリとこすりつけた。


「鉱物の正体を手っ取り早く見分けるには、『条痕色(じょうこんしょく)試験』をするのが一番。石そのものの色じゃなくて、粉末にした時の色を見る。もしこれが本当に赤鉄鉱なら、こすりつけた跡は『赤褐色』になるはずだけど」

 凜華が石を離すと陶器の表面には、赤とは程遠い真っ黒な線がくっきりと引かれていた。

「ほら、黒い。この石は赤鉄鉱じゃないよ」

「なんなのだ」

「『磁鉄鉱(じてっこう)』だね。別名マグネタイト」

「……その黒い石がなぜ人を襲うのだ」

 眉をひそめる景雲に対し、凜華は用意していた小袋から、細かい鉄屑(鉄粉)を取り出した。

「論より証拠。よく見ていてね」


 凜華が磁鉄鉱の周囲にパラパラと鉄粉を撒くと、驚くべき現象が起きた。鉄粉が空中で目に見えない筋に引っ張られるように動き、石を中心にして、まるで針ネズミの毛のような放射状の幾何学模様を描いて立ち上がったのである。

「おおっ!」

「鉄の粉が生きているように……!」

「これが『磁力線』。この石は強烈な磁力を持った天然の磁石なんだよ」

 凜華は、立ち並ぶ鉄粉を指差しながら説明を始めた。

「強い磁場は、鉄を引き寄せるだけじゃなく人体にも直接的な影響を与える。人間の血液や耳の奥にあって平衡感覚を司る三半規管の『リンパ液』は、一種の電解質。その中にはナトリウムやカリウムといった『イオン』が流れている」

「いおん?」

 凜華は、景雲の顔を真っ直ぐ見た。

「そのイオンが、この石が作り出す強烈な磁場の中を移動すると『ローレンツ力』という物理的な抵抗を受けて、体内に微弱な電流や電圧が発生してしまう。結果として、神経伝達が乱れ、三半規管がパニックを起こして激しい眩暈や吐き気を引き起こす。これが、屈強な男たちを次々と昏倒させた『見えざる手』の正体です」

 ざわっと周囲の官たちがどよめいた。


「宮殿一棟分を真っ赤に塗るための莫大な量……数百キロ単位の磁鉄鉱が、この狭い通路に面して山積みになっていた。ただでさえ強烈な磁場が、この細い路地に集中してしまっていた。そこへ……」

 凜華は説明しながら、景雲の腰の辺りを指差した。

「鉄の芯がたっぷり入った重い衣装を着、鋼の剣を佩いた陛下が通りかかった。陛下の装備した大量の鉄が磁力線に強烈に干渉し、引っ張られる物理的な力と体内で発生したローレンツ力のダブルパンチを食らったというわけ。女性や子供が平気だったのは、鉄の装備を着てなかったからだし、被害者が兵士ばかりだったのはここが重装備の衛兵の巡回ルートだから」

 これは悪霊の呪いでもなんでもない。ずさんな納品管理と、偶然が重なり合って起こった物理的磁気異常だったのだ。


 景雲は、鉄線を組みこんだ装束と鋼の剣が原因だったと知り、思わず天を仰いだ。

「なんという間抜けな話だ。私は、ただの石ころの磁力に引っ張られて気絶したというのか」

「まあまあ、命があっただけマシだよ。ローレンツ力を甘く見ないで。これ冗談でなく死ぬからね?」凜華は至って真面目な面持ちで言った。

「なんだと」

「鉄の重装備のまま磁場に入ったら、普通は生きたまま焼け死ぬか、圧死するか、窒息死するかの三択だから」

「……」

 景雲と一同は絶句した。


 磁力と鉄を侮ってはいけない。

 見えない磁界へ足を踏み入れた途端、鉄の重装備は最悪の処刑器具へと変貌を遂げてしまうのだ。

 強烈な磁場の中で兵士が動こうとした瞬間、ローレンツ力による「渦電流」が襲う。これは現代のIHクッキングヒーターと全く同じ原理である。火の気などないのに、甲冑は急速に発熱し、赤熱化した金属が衣服を焼き、生きたまま皮膚と肉を焼き焦がす。激痛にもがくほど「磁気ブレーキ」が肉体を縛りつけて一歩も動けなくなる。

 同時に、強大な「磁気吸引力」が胸当てを内側へ引き絞る。万力に締めつけられるように肋骨がきしみ、肺は拡張を拒まれ、熱風を吸い込みながらの窒息に陥る。

 さらに、磁源である巨岩へと身体ごと吸い寄せられ、叩きつけられる。骨が砕け、内臓が破裂しても、磁力は執拗に鎧を岩壁へ圧着し続ける。

 甲冑の隙間から立ち上る白煙と、肉の焼ける異臭。溶けた脂と肉が鉄の内壁にこびりつき、無残な人型の塊と化した時には命はとうに絶えている。自らの身を護るはずの防具に生焼きにされ、圧殺されるという凄惨すぎる死である。


 景雲は磁場に捕らわれた時の激しい苦しみを思い出したのか、顔を青ざめさせた。

「いくらなんでも……とんでもなさすぎだ。ここは魔界か」

 官たちもざわざわとし、恐怖で顔を引きつらせている。

「なんということだ。こんな危ないものを陛下が通られる道に放置していたとは。おい、この偽物の顔料はさっさと捨てて……」

 側近の一人が忌まわしき磁鉄鉱の山を処分しようと部下たちに命じた瞬間だった。

 凜華は「待った!」と大声をあげた

 両手を広げて石の山の前に立つ。

「だめ、捨てるなんてだめだよ。もったいなさすぎる」

「はあ……?」

「こんな見事な天然磁石の山、そうそうお目にかかれないんだから」


 景雲が呆れたように言う。

「凜華、お前がこれを危険だと言ったのではないか」

「それは量が多すぎる上に、狭い場所に固まっているからです。この磁力、使い方によってはものすごい『宝の石』に化けるんだから」

 凜華の目は、新しい研究素材を見つけた喜びで爛々と輝いた。

「磁力を適切に分散させて、身体に良い影響を与える程度の強さに調整すれば、血行を促進して肩こりを治したり、高ぶった神経を鎮めたりする効果が期待できる。小さく砕いて布に縫い込めば……そうだ! 『安眠磁気枕』や『健康ブレスレット』が大量に作れるじゃない。これを後宮のお妃方や仕事でお疲れの人たちに高く売り……ゲフンゲフン! 要するに健康増進に大いに役立つものなの」

「人を生焼きにして圧殺する石がか?」

「毒と薬だって原料は同じだよ。使い方次第だって」


 呪いの石を前にして、新しい商売の算段(しかも材料費はタダ)を始める逞しさに、景雲は頭痛とは別の意味で頭を抱えたくなった。

「……わかった、わかったから。この石の山はお前にくれてやる。頼むから私の目の届かぬところで適切に処理してくれ」

「やった~! ありがとうございます、陛下!」

 かくして、外廷を騒がせた「屈強な男を昏倒させる魔石」は、凜華の手によって大人気安眠グッズへ華麗なる転生を遂げ……るのかどうか。

 目に見えぬ力を操る宸眷薬師のせいで、これからも皇帝の心痛が絶えることはなさそうである。


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