プロローグ
「オリバー! こちらです!」
人通りの多い街角で聞き慣れた声に呼ばれ、オリバーは足を止めた。
視線を向けた先では、淡い色の髪を揺らした少女がこちらへ向かって小さく手を振っている。
その姿を見つけると、オリバーの表情も自然と緩んだ。
「エリー。ごめんね、待たせてしまったかな?」
「いえ、私も今来たところです」
「それならよかった」
二人で並んで歩き出し、ほどなくしていつものカフェへ入る。
こうして待ち合わせをして一緒にお茶をするのも、今ではすっかり慣れたものだった。
最近では、二人が店へ入るとなぜか店内がほんの少しざわつくことがある。
けれど、当の本人たちはその理由をまったく知らない。
黒髪の整った騎士見習いと、柔らかな雰囲気を纏った可憐な令嬢。何度も仲良くお茶をする二人は、いつしか常連客の間で「あの美男美女」と密かに話題になっていた。
中には二人が現れるかもしれない時間を狙って店を訪れる客までいるらしい。
――もちろん、本人たちはそんなことなど夢にも思っていない。
向かいの席へ腰を下ろしたエリーを見ながら、オリバーは密かに感嘆の息を吐く。
(今日も本当に可愛らしいわ……)
大きな瞳に、柔らかな物腰。
ちょっとした仕草まで愛らしく、笑えばその魅力はさらに増す。
まさしく、オリバーが思い描く理想の女の子そのものだった。
(私もこんなふうになれたら、エリック様にも少しは見てもらえるかもしれないのに……!)
一方、その視線を受けているエリーもまた、まったく別の意味でオリバーを観察していた。
(今日も本当にかっこいい……)
背筋はすっと伸び、立ち居振る舞いには迷いがない。
さりげなく椅子を引く仕草ひとつ取っても自然で、周囲の人間とは、纏う空気からしてどこか違って見える。
(俺もこれくらい堂々としていられたら、オリビアも少しは俺のことを……)
そんなことを互いに考えているなど知る由もなく、二人はいつものようにメニューを覗き込んだ。
「あ、このケーキ……」
エリーが店内の菓子棚に並ぶ期間限定のケーキへ目を留めると、オリバーもその視線を追った。
「ああ、期間限定のものだね。エリーが好きそうだ」
そう言ってエリーへ視線を戻すと、ちょうど目が合った。
「とても可愛い。……これを頼もうか?」
「か、可愛い……?」
エリーの頬が、みるみるうちに赤くなった。
「そう、ですね。可愛いですよね、ケーキ」
「?」
妙に慌てた様子に、オリバーは不思議そうに首を傾げる。
その向かいで、エリーは顔に出さないよう必死になりながら、内心では盛大に頭を抱えていた。
(俺に対して言ったのかと思った……!! ケーキだよな、ケーキ!)
いくらなんでも都合よく受け取りすぎだ。
そう自分へ言い聞かせながらも、ふと別のことを考えてしまう。
(……でも、俺もこれくらい自然にオリビアへ『可愛い』って言えたらな)
婚約者を前にすると、そんな簡単な一言さえ口から出てこない。
そんなことを考えていると、別のページに載ったスイーツが目に入った。
「あ! こちらはオリバーが好きそうですね。甘さも控えめみたいです」
「そうだね。たぶん僕が好きなやつだ」
「やっぱり!」
予想が当たったことが嬉しかったのか、エリーの顔がぱっと明るくなる。
「私……最近、オリバーの好きなものが少し分かるようになった気がします」
頬をほんのり赤く染め、嬉しそうにこちらを見上げてくる。
その破壊力に、今度はオリバーが言葉を失った。
(うっ……! そんなふうに上目遣いで嬉しそうに言わなくても……!)
あまりにも可愛い。
それなのに本人は、自分がどんな顔をしているのか少しも分かっていないらしい。
(私も、こんなふうにエリック様へ言えたらいいのに……)
好きなものを覚えていると、素直に伝える。
たったそれだけのことなのに、婚約者を前にするとどうしてあんなにも難しくなるのだろう。
けれど――二人はまだ知らない。
男装し、オリバーと名乗っている彼の本当の名が、オリビア・ルメインであることを。
女装し、エリーと名乗っている彼女の本当の名が、エリック・ウィルモアであることを。
そしてオリビアがどうにか振り向いてほしいと願っている婚約者はエリックであり、エリックがどうにか好かれたいと願っている婚約者はオリビアである。
二人とも、その事実にはまったく気づいていない。
だから今日も――
「エリーは、どうしたら婚約者に自然に気持ちを伝えられると思う?」
「そ、それは私もオリバーに聞きたいくらいです……!」
目の前にいる婚約者本人を相手に、どうすれば婚約者との仲を深められるのか、至って真剣に相談するのであった。




