Ep.12 自由に廻る人間紛い
――日本某所
広く薄暗い室内。最低限の家具と、無機質なドアしかない部屋。
中央にはテーブルとソファが置かれ、他に目ぼしい家具と言えば、玄関ドアの横にあるホールクロックのみ。
そしてそんな部屋を彩ってくれる唯一が、壁の一角に飾られた巨大な絵画。
暗い空気が漂う中で、家具の一つ一つが高級で綺麗というアンバランスさ。
この部屋は地下だからか、空気が冷たく重いのだ。
室内には窓がなく、場所を示すものはない。一見、面白みのない伽藍堂。しかし複数あるドアの向こうには、ビリヤード場やバーに似た空間が広がっている。
中々見所のある"ここ"には、実に個性的な者たちが集う。
毒々しいネオンパープルの髪。それをツインテールにまとめた少女は、黒と紫で色付く丈の短いドレスを纏い、くるくると回っている。
「あ!」
何かを思い出したらしい少女は、ぴたりと動きを止める。にまーっと目を細め、鼻先に見える、紅茶を飲む女性の背を捉えた。
「ねぇねぇ、夜夢チャンの為に、なんか馬鹿みたいで笑えることしてみて」
自身を名前呼びする夜夢は、さも簡単そうに無理難題をせっつく。
女性は目の前の無邪気なマゼンタの瞳に、要求を無下にも出来ず、申し訳なさそうに俯く。その弾みで、黒く長い髪が腰元で揺れた。
「うぅぅ、ごめんなさい。あっしにはそんな事出来ないわ」
白いおでこに手を当て、大袈裟に憂いてみせる。その姿を見た夜夢は、口元を歪ませてため息を吐いた。
「芽謡チャンってば役立たずぅ〜! じゃあ、夜夢チャンを退屈させない面白い事して?」
「そうね…。では僭越ながら、占って差し上げましょうか?」
明るげな口調に反し、理不尽辛辣な物言いをされるも、芽謡はそれが通常運転とばかりに受け流し、テーブルのタロットカードを指す。
毛先にかけて深緑になる長い髪に、胸元から足首まで覆う漆黒のレース。その風貌は、占い師とも魔女とも取れる。が、タロットカードを嗜むのなら、占い師なのかもしれない。…いや、魔女も使うのだろうか?
「う〜〜っんと良い結果になるなら占って」
「ごめんなさい、どんな結果になるかは分からないわ。……あぁ、あっしはなんて無力で約立たずなんでしょう」
「あれれ、泣いちゃった? んもー、仕方ないから逞壊とあーそぼっ」
肩越しに顔を覗いた夜夢は、芽謡が泣き出したことに気づき、渋い顔を浮かべた。
やがてつまらなそうに背を逸らすと、向かいのソファに座る巨体へ躙り寄る。
「逞壊が面白くないのは知ってるけど、仕方ないから我慢して遊んだげる」
ソファに体を投げ出し、天を仰いでいた男は、隣に立つ毒舌少女を横目で見やった。
「おいおいおい、俺を巻き込んでくれるな。遊びたいなら羽羅戯のところでも行け」
「それ本気で言ってんの? 馬鹿なの?」
特攻服に身を包んだ大男、逞壊は、ほんの一瞬考える素振りをした後、思いきり目を見開いた。
「んじゃあ、一戦交えるか!? ファ・イ・ト!」
逞壊は勢いよく体を起こすと、両の拳をぶつけ合い、鉄紺の瞳に闘志を宿した。
だがその熱量と反対に、夜夢のテンションは急降下していく。
「そんなことするわけないでしょ〜。そのすぐ戦おうとする阿呆みたいなとこ、直した方がいいよぉ」
横の大男を嘲笑い、左右に首を振った。その態度にムッとした逞壊は、すかさず反論する。
「俺は元々、攻撃的で楽観的という性格がベースなんだ。そういうお前も、もう少し言葉を慎んではどうだ?」
「夜夢チャンはいいんだよ。第一、ベースが軽蔑的で自己愛的なんだから、夜夢チャンは特別なの」
「ていうこった。俺らには決して逆らえない根本があるんだよ。…にしても、そろそろ本気の戦いがしたいな!」
「うっざーい。ゴリラの分際でべらべらと」
そう言った夜夢はソファの背に回り込み、後ろから逞壊の短髪を摘んだ。熨斗目色のそれを捻りながら、ボソッと呟く。
「今度この頭丸めてやろーっと」
「な、なな、俺にはこの髪がベ・ス・トなんだよ!」
頭を振り、髪を弄る手を払い退ける。その拍子に時計を見た逞壊は、慌ただしく立ち上がった。
「って、うおぉ! もうこんな時間か。……羽羅戯!」
「今行く」
逞壊の呼びかけに、どこからか風に乗った声が返ってくる。
それから十秒後。部屋奥のドアが開き、紺の着流しに羽織を羽織った男が出てきた。
「……待たせた」
ソファの前まで音を立てずに来た羽羅戯は、たった一言だけ、そう告げた。
「じゃあ、俺らはいつものとこ行ってくるから、お前らには留守番を頼んだ」
軽く手を上げた後、歩き出した大男に伴い、羽羅戯も小さく会釈だけして前の男へ続く。
羽羅戯が歩く度、襟足から伸びる空色の二房が、猫又の尾のように緩く揺れる。
服装といい、髪型といい、どうも江戸チックな好男子だ。
二人が出て行くや否や、部屋に残っていた夜夢はまた、つまんないの、と吐き捨てて闇に消えていった。
それは文字通り、夜夢自身の影が黒い靄になり、その闇に呑まれて消えたのだ。
一連の流れを見ていた芽謡は、しかし動じることはなかった。ただ静かに、濡れた目元をハンカチで拭いた。
▽
――第二隊の基地
オレンジが紫に変わる夕暮れ。
基地へ帰宅した一行は疲労を抱え、早々に自分たちの部屋へ戻った。
リビングのソファにて、一路以外のメンバーが寛いでいる。一人掛けには銅、L字型には月輪、千坂と遊馬、二人掛けは美狼が占領している状態だ。
一路だけは、普段より多めの夕食を作らなければいけないので、忙しない。
誰も手を伸ばさずにいるが、テーブルの上には救急箱が置かれ、今か今かと蓋が開けられるのを待っている。
戦闘中は見逃していたのか、皆の体には少なからず傷が窺えた。それでも体を弛緩させているということは、大事には至っていないのだろう。
「皆さんお疲れっした。んで、怪我の治療はしないんスか?」
「こんなかすり傷、いつもは自然治癒を待つんだが。…そうだな、今日は処置しようかな」
銅の労いと問いかけに思案した月輪は、自身の腕と頬を優しく触り、救急箱に手を伸ばした。
「ンじゃ、俺にもやってくれヨ」
そこで便乗しようと、寝転がっていた美狼はソファからはみ出した足をバタつかせた。
出先では上着か長袖で気づかなかったが、よく見れば、部屋着の黒いタンクトップから伸びる腕に、複数の傷がある。
そのうちの肘下に残った傷は、他より深く、あまり血が乾いていない。
月輪はいくつかの医療品を物色すると、テーブルを回り、寝転がる美狼を座らせ、半ば強引に腰掛けた。
そんなやり取りを見ていた千坂は、自分の体を触って傷をチェックする。
「シドちゃん、うちらも一応しよっか。どんな小さな傷でもレディーの肌なんだしぃ、ケアが必要よねぇ」
「ええ。傷が残ったら嫌ですもんね」
意見が一致した女性陣も、救急箱の中から瓶やピンセットを取り出し、きびきびと手当を始めた。
皆が治療している間、銅は箱に入っている瓶や袋、注射器を何となく手に取る。中身は無色透明のものが多いが、匂いはかなり独特で、何気なく吸い込んでしまった銅は思いきり顔を歪めた。
「ぬおぉぉぉ! なんじゃこの匂い!」
図らずも奇声を発してしまった。
「あ、それやっちゃ駄目なやつ。少々危険な薬品もありますし、鼻の粘膜や眼から、強く濃い成分を吸収しちゃう可能性があるので」
声に反応した遊馬は冷静に説明してくれるが、銅にすれば、もっと早く言ってほしかったと思う。
うっすら涙の膜を浮かべ、鼻の下を擦る。
鼻から息を吐き出し、少しでも危険を逃がさんとする銅そっちのけで、次は月輪による医療品の説明が続く。
「特に俺たちに支給された医療セットは、傷の治りを早くする為に効きの強いものばかりだが、強ければ強い程、その分副作用も大きい。こんなかすり傷なら効力が弱いもので済むから、副作用はほとんどないけどな」
「リスク付きってことか…。あ、でも、見たことある薬品もちらほらあるわ」
「現代でも十分、医療や科学が発展してるからな。そういえば、この時代にある会社や研究所もいくつかは残っているし、逸実も知っているんだろう」
「へぇー。まぁ、このS&Tとかサイロップ、縁暁製薬なんかは聞いたことありますね」
他にも、漢字や英語、片仮名で記された会社名が複数並んでいる。W.Rのような組織が使用するということは、どれも実績ある企業の薬品なのだろう。
考えてみれば、それなりに高価で貴重なものだと思い至り、そっと箱へ戻す。
こうも安易に触って壊した挙句、弁償なんてことになったらシャレにならない。
「そういや、この下にいんだろ?」
月輪からの施しを受け終えた美狼が、突然何かを思い出し、徐ろに口を開いた。
「ねぇ。今日は大浴室を諦めて、部屋のシャワールームに入ろうかしら。鉢合わせたら気まずいでしょ」
「なんだ、じゃあ挨拶しに行かなくてもいいのか? 今日は定期報告の予定だから、なんだったら一緒に、と思っていたんだが…」
「あいつらってカイの直属部下なんか?」
「遊撃隊の指揮は世界指揮官じゃないでしょ。確か、世界指揮官とは別の戦闘班中級長だったはず」
「はぁ? ンじゃあ、仲良く報告なんていらねぇだろ」
「そうなのか。お互い知っていることを共有すべきだと思ったんだが、言われてみれば許可も取っていないし、今回は辞めておくか」
気持ち暗然として見える月輪の肩に、美狼が無言で手を置く。励ましにも、諦めろと言っているようにも見える。
「残念ではあるが仕方ない、か。とりあえず、夕食後に報告を予定している。それまでは自由にしていて構わない」
手当もそこそこに、ここで改めて各自解散となった。
銅は気分転換と称し、一人、屋上へと向かった。
天気が良かったおかげで、空に散らばる星がよく映え、気持ちが和んでいく。
広々とした屋上の中心で寝そべり、冷たい風と白い星を楽しむ。
ゆるりと睫毛を伏せて、息を吸いこもうとした時、目を閉じる寸前の光景が瞼の裏に浮かんだ。
(……ん?)
屋上の入口ドアに、陰とは別の何かが見えた気がした。ドアよりも高い背を、陰へ隠すように縮めた姿。
誰か来たのかと思い、体を起こして辺りを見回すが、何の気配もなかった。
「気のせいか…」
銅はさして気にも留めず、もう一度寝転んだ。