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想いが届くとき / unmasked lover その1



 水槽のようなものがある。

 ちょうど人の頭が一つ入るくらいの容器に黄色い液体が七分ほど詰まっていた。

 水槽の両側には手を載せるためであろうか、台座のようなものが設置されており、それを取り囲むように透明の板が張り巡らされていた。

 さらによく見ると、水槽の下部に半円の金属らしき物体がぶら下がっていた。その物体は人の腰部から下半身あたりの高さに吊り下げられており、あたかもそれらを支える、または押さえつけるための道具として備えられているみたいだった。



 地下施設へと潜入したエルノウとドラゴンは最下階の大部屋でジェシカ・イノを発見した。だが彼女は水槽から伸びる配線と繋がった巨大な機械を操作することに集中していて、二人の侵入に気にも留めないといった態度を示した。

 エルノウが声をかける。応答はなかった。

 彼女の反応に業を煮やしたドラゴンが無理に聞き出そうと歩きだす。するとエルノウはそんなドラゴンの肩を掴み、穏やかな眼差しで首を横に振った。



 ジェシカは時折手を止めて頭を抱える仕草をした。そしてなにかを閃いたようにまた指をつつきはじめる。

 さすがにエルノウも痺れを切らしたのか、水槽の中に手を突っ込もうと大げさに振る舞ってみた。ドラゴンはそのいたずらを腕を組んで眺めていた。


「……そう焦らないで。今確かめているから」

「なにを?」

「人の意識が本当に転送されているのかを、よ」

「ここにきておかしなことを言うね。だって、転送されているんでしょ?」

「あなたには、それを証明できて?」

「ふん。無理かもね。でももし転送されていないとすれば、どうにかなっちゃうのかい?」

「人類はもう一度同じ道を歩きはじめることになる」

「それって、もしかして深い意味がある?」

「仮に意味があったとしても私達にはきっと理解できない。鳥ははじめて飛ぶまでどんなふうに飛ぶのかなんて想像しないでしょう? それに飛べたとしてもなんで飛ぶのかなんてその瞬間は知らないはずだし」

「ふうん。クリーツは人類にとっての挑戦ってわけか」


 ジェシカは小さく笑った。

 エルノウはその意味を知りたがったが彼女はなにも答えない。ただ蔑みを含んだ笑みを浮かべるだけだった。



 ……せわしなく動いていたジェシカの指が次第に速度を緩めていく。

 打音が、まるで一つの曲を奏でていたかのように終わりへと向かい、余韻が幾度も訪れては振り返り、また繰り返す。

 ……やがて最後の旋律が鳴り、広がる。

 しばらくすると水槽の中の黄色が瞬く間に変色し、黒く染まった。


「さて、結果はどうだったでしょう」

「優しいね。教えてくれるのかい?」


 無言で見つめるジェシカ、返答を待つエルノウ、ドラゴン。

 彼ら三人しかいない、この空間。

 揺れる液体。

 ジリジリと音を立てる巨大な機械。

 金属製の可能性。

 人類の行く末。

 待ち遠しい彼らの数秒。

 開かれる唇。

 ……。


「……未来に起こることを知ることが出来たら、そしてその未来が取り返しのつかない悲しいものであるとしたら、私ならきっと変えることを望む。誰かが悲しい顔をしていたら、放ってはおけないでしょう? みんなが悲しい顔をしていたら、一人でも多くを笑顔にしたいでしょう? ……でもね、未来を見るっていうのはそんなに簡単なことじゃないの。未来はね、誰かの苦痛や涙があってほんの少しだけ笑顔があるものなの。この星の不幸はいつか必ず未来に繋がる。私は信じている。私が死んだあとも、そのずっと先も、そのまたずっと遥か未来に、ずっと、誰の涙か分からなくなった未来でも、たった一度の笑顔を取り戻すために今私達がやらなければならないことを終わらせなくてはならないの」



『……ダレノ、ナミダカ、ワカラナク、ナッタ、ミライ、デモ……』



「ダレノ、誰の? ダレノ、誰の?……」

「エルノウ? おい、大丈夫か?」



『……ダレノ、ナミダカ、ワカラナク、ナッタ、ミライ、デモ……』



「オレガ、俺が? オレガ、ゼッタイ、取り? モドス……」

「あなた、顔が真っ白よ。ちょっと、こっちを見て」



『……ダレノ、ナミダカ、ワカラナク、ナッタ、ミライ、デモ……』



「……オレガ、?……モドス、?」

「……おいマジでやばいぞ、どうなってんだ。エルノウ! おい!」



『……ダレノ、ナミダカ、ワカラナク、ナッタ、ミライ、デモ……』

『……ダレノ、ナミダカ……』

『……オレハ、ダレダ?……』



 エルノウは、倒れた。



(……おい、エルノウ! しっかりしろ! おい!……)

(……彼の未来、彼の過去、繋がる選択が、来る……)

(……お前、こんな時になに言ってんだよ! 手伝えよ!……)

(……私の意味を、今、この星に、叩き込む!……)

(……!?……!!……)



 ッドム!!



 ジェシカの超高速の拳がドラゴンの『右肩』にめり込んだ。

 拳から離れた身体がくの字に折れ吹き飛ぶ。

 硬い金属の壁に激突、直後に落下。

 背中から大量の血を噴き出して、ドラゴンは床に吸いついた。


「ジェシカ様、何事ですか!」

「……マイヤーズか。問題ない。一人始末しただけだ。絶命する前に移したい。やってくれるか」

「承知しました。準備します」



 ……現実と夢の狭間を、無数に増加したエルノウの意識が行き交う。



 まどろみとは似ても似つかない世界に浸りながら、彼は無残な姿となったドラゴンを見つけた。

 ……男が一人、増えている。


(マイヤーズ?)


 知っている男だった。


(次は、自分か?)


 状況を理解するよりも早く、彼の意識はどちらかの方向を進みたがっていた。

 極めて根深い過去の断片、もしくは生命の最後。


(眠いな……。こんなに眠いのは久しぶりだ。なあドラゴン、痛いか?)

(……助ける方法はあるんだ。でも、なぜだか、眠いんだ)

(……すまないな。ここまで付き合わせてしまって)

(これが、……ヒムカの想いのカタチ、なのかな?)

(なんだか、……納得いかねえな。なあ、あんたもそう思うだろ?)

(……ああ、眠いぜ……)




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




……誰の涙か分からなくなった未来でも、私はあなたを想い続けるよ。


別れの挨拶はしたくないんだ。

今日だって、明日だって、俺達は変わらずに一つさ。


……必ず、また会える。信じてる。なにがあっても、なにをしてでも。


よせよ。近くの幸せだって君を明るく照らしてくれるんだ。

俺を忘れろとは言わない。遠いどこかで生きているんだから。

な? ほら、笑えよ。


……絶対に、諦めないから。


笑えっつってんのに泣くやつがいるかよ。

それに、行けねえよ。どういうもんか知っているだろうが。


……愛してる。『アズハ』。ずっと、愛してるから。


俺もだ。ずっと忘れないよ。だからさ、笑ってくれ。


……これで、いい?


そうそうそれそれ、それを待ってた。って、また泣くのかよ。


……そろそろ時間、だね。


ああ、そろそろ行かないとな。


……ありがとう。あなたに会えて本当に幸せだからね。ずっと、ずっとだよ。


ああ。分かってる。愛してるよ。じゃあな。


……アシュリ。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「……ア、シュリ?」


 覚醒は一瞬にして訪れた。

 エルノウの頭上に見覚えのある足が四つ。ポチの足だった。

 その奥にはジェシカとマイヤーズが警戒した様子でこちらを窺っている。どうやらポチがなんらかの攻撃を繰り出したらしい。


「間に合ったかどうか微妙なところだ。エルノウ、聞こえているか?」

「……ああ、なんというか、間が悪いというか、だな」

「イルカに会った」

「そうか、なにか言っていたか?」

「おぬしと話せ、と」

「つまり、あれか。秘密の共有ってやつか」

「この状況を見ると、その線も検討せねばなるまいな」

「ドラゴンは、どうなった」

「心配はない。まだ生きている。ところであれが、クリーツ移行装置か?」

「かもね。でもおかしくないか? ここにはあれ、一基しかない」

「我もそれを思っていた。だがなエルノウ」

「どうした」

「起きろ」

「え?」

「来るぞ」


 ジェシカが凄まじい速度でポチに向かってくる。戦闘態勢に切り替えたポチがそれに応戦しようと前進した。

 乾いた音を立てて衝突する両者。エルノウは鉛のように沈み込んだ両足を地面につけて首を思いっきり振る。視界が幾らか安定してきた。思考を星の意思に預けドラゴンの姿を見定めると、続いて突進した。

 マイヤーズはドラゴンの処置を一旦中止するとエルノウの攻撃に備えた。依然として彼のアイテルは制御されたままだった。

 だがしかし、エルノウの拳はマイヤーズを後ずさるだけの効力があった。


「伊達に長生きしてないもんでね」

「そのまま寝ていればいいものを」


 打撃の応酬。両者、互角。

 その一方でポチとジェシカ。


「機械のくせに、のこのこと」

「若いの、未来は変えるものではないぞ。切り開き、共に考えた先にある現象こそが未来となっていくのだ。誰か一人の思いつきで決められるものではないのだ!」

「だから、言ってんだろうが!!」


 ポチの俊敏な身のこなしがジェシカの攻撃を避ける。当たるか当たらないかのほんのわずかな隙を、時の流れのように留まることなくするりと抜けていく。


「おじさん。さすがの動き、痺れるねえ」

「自分の注意に集中しろ!」


 ジェシカとマイヤーズは焦りの色を見せはじめた。圧倒的な力の差を見せつけるつもりが逆に押されてしまったのである。しかも相手は両者ともアイテルを使えない。糸口を見つけられない彼女らが敗北を喫するのは時間の問題だった。

 それでもジェシカとマイヤーズは手を止めることなく応戦した。策略はまだ成功の枠の中に納まっていたからだ。

 ポチとエルノウが気づくのが先か、彼らが粘り続けて時間が経過するのが先か。未来は無限の進路をこの者達に与えていた。



 ……そして、『彼女』の前ではどんな抵抗も無駄だった。



「やっぱり、こっちだったか」

「あれ、また会ったね。うれしいよ」

「遅かったではないか」

「ブルーマン!」

「……くっ」


 イルカだった。彼女は部屋に入るなりドラゴンの治癒に向かう。

 思っていたよりも軽傷だったのか、手をかざしたのはほんの数秒だった。


「弱いくせに、手間かかせやがって」

「……それ以上言うな。……心が折れる」

「いっぺん折れてろ。このクズ」

「……た、助かった」


 次に向かったのはマイヤーズのいるほうだった。


「今度は何発、入れてほしい?」

「マイヤーズ! 予定変更だ!」


 ジェシカが指示を出すとマイヤーズは応答することなくエルノウの脇をすり抜けて出口に飛んでいった。

 イルカはそれを阻止しなかった。視線は冷静に、ゆっくりと見届ける。


「さてジェシカ、その薄汚い化けの皮、そろそろ剥がしたらどうだ?」

「そんなに見たいのなら自分で剥がしてみなさい。ま、あなたには触れることすらできないでしょうけど」


 ポチが二人の間に入った。


「イルカよ」

「なんだよ、今こっちで話してんだろうが」

「リネン達はどうしたのだ」

「ああ、あいつらならここには来ない。一緒に来てないからな」

「信じろと言ったのは誰だ」

「だから、それを今教えてやるから。エルノウ、悪いがこの犬を黙らせておいてくれ。それと装置の傍で待機だ。ドラゴンにも注意を怠らないように」


 ジェシカとイルカから距離をとったエルノウがポチの兵装もろとも引きずって後退させた。


「しっかしこれ、すんごく重いんですけど。特にこの四角くて縦に長い鉄柱みたいなやつ。二つもつけちゃってさ、なにが入っているのよ?」

「正確に言うと不明だ。ナーヴァルエービーに呼応するオーパーツの装備ゆえ一応身に着けてはいるんだが」

「意味がないなら外しちゃえば? 楽になるんでしょ?」



「お前ら、やる気あんのか! さっさとしろ!」

「あ、あります。い、今終わりますんで」




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