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悴んで流転 / unordinary story routine その2



 太郎はリネンの寝顔を見ていた。意識が戻ったらどう声をかけてやろうか、どのように接してあげようか、どのようにして謝ろうかと考えていた。

 誰かに強制されてビルダンに行ったわけではないが、太郎は非力な彼女に怪我をさせてしまった原因は自分にあると己を卑下していた。クリーツ技術の欠陥を知る証人として必要だったにせよ、こんな事態になるまでの想像は彼には出来なかったのである。

 敵は未知の強さを持った集団だった。アイテルを自由に使えないリネンを危険に晒してしまい、結果的に単なる捨て駒のように扱ってしまった。その陳謝はひょっとしたら一生認めてもらえないかもしれない。太郎はそう覚悟していた。



 彼女はまだ目を閉じたままだった。

 意識を戻すまでの時間が、太郎の罪をさらに重くしていく。


「……これ以上、巻き込ませるわけにはいかない」


 それから二日後の同じ時間にペイスが帰宅すると、今度は太郎が姿を消していた。食卓には手の平ほどの大きさの伝言が残されていた。


『調べ物がある。すぐに戻る』


「……あの馬鹿野郎」


 ペイスは一瞬不安になったがすぐに立て直し、周囲の異変や危険を見て回った。

 異常はなかった。リネンが『いない』ことを除いてはなにも変わらなかった。



 ペイスは即座に捜しはじめた。洞窟の中にはいないようだった。

 治療室を見る。特に荒らされた様子はない。

 ひとまず自分を落ち着かせようと買い出しついでに調達してきた葉巻に火をつけた。太郎の書置きを見るにリネンがいなくなったのは太郎の外出以降の出来事だろうと推理した。罠にかかった記録は残されていない。リネンは誰もいない時に目を覚ましたと考えるのが妥当だと判断した。


「概ね予想通りの反応、か」


 ペイスは普段よりもやや強めのアイテル流を全身に包んだ。


「やるんだったら正々堂々といきたいものだがね」


 周囲の空気の流れを感じる。

 彼女の頬に冷たく尖ったものが触れた。

 ……少し待つ。同じものがまた来た。


「そこか!」


 指先に集中したシャット流が居間の壁に当たる。

 奥で物音のようなものがあった。ペイスは高速で追いかける。

 物影は出入り口を抜け、広大な雪原の大地へ抜けた。


「仕留めたな」


 ペイスの根城の中から侵入者を知らせる例の警告音が鳴った。

 彼女はそれを無視して影を追った。


「いた」


 そこには、全身を赤いアイテルで染めたリネンが立っていた。


「グリーンに続いてレッドの反応。おい女、なんか言えよ!」

「あなた、誰?」

「太郎の古い友人だよ。お前を治療したのは私だ」

「そう、それはどうもありがとう」

「素っ気ないね。そんなに私が嫌いか?」

「どうだろう。でも、なんだか、怖い」

「顔は生まれつきだよ。悪かったね。私にとっちゃお前だって同じさ」

「なにをしたいの?」

「それはこっちの台詞だよ。聞けばお前さん、初級能力者だっていうじゃないか。それなのにその色はなんだってんだい」

「知らない。太郎さんはどこ」

「少し出るってよ。待つのかい?」

「怖い」

「はあ?」

「……アーカ・ドライヴ」


 リネンはペイスに向かって超高速で突進してきた。

 ペイスは無駄な消耗を防ぐために瞬間的な力の発動で対応する。


「ブ・ラウ……」


 リネンが発した一言がペイスの危機感を増幅させた。

 超高速の握り拳が顎に向けて振られる。ペイスは反射的に避けた。


「二系統? いや、使えていない」


 リネンがペイスの軌道に追従する。

 ペイスは思いのほか相手の素早さに苦しんだ。



 ……攻撃手段は乏しいが、将来的に恐ろしい能力者になる力を秘めている。

 ……太郎が見たのはこれのことなのか?



 ペイスは冷静にかわしながら最終的な対処を選んでいた。


「まだまだ未熟だね。一系統が秀でているだけでまるで見掛け倒し」

「はあ、はあ」

「無理してヴォイド流を出そうとするから体力の消耗が早まる」

「どうして、その言葉を」

「太郎から聞いた。アイテルって言うんだろ?」

「そう、よ。はあ、はあ」

「シャット系使用中にオープン系は使えない。師匠から教わらなかったのか?」

「し、知っている」

「しかもその手に巻いているものはおそらくヴォイド系。お前がやろうとしていることがオープン系の攻撃だから発動しない」

「そうか。はあ、はあ、そういうことか」

「どうした。まだやるか?」

「アーカ・ドライヴ」

「……くっ!?」


 強烈な爆音が一つ、雪原に響き渡った。

 その音は半径二十キロメートルの距離まで届いた。

 地面は振動を起こし、波打ちながら積もった新雪を吹き飛ばす。

 その後数十秒の間、雪原は白い靄で全ての景色を奪い取った。




 太郎が帰宅するとペイスとリネンは静かに夕食を摂っていた。平然と手と口を動かす二人を見た太郎は準備していた様々な言葉をその場で引き出そうとして言葉を詰まらせる。だがそんな取り乱した様子の太郎を二人は凝視しなかった。

 了解した太郎はなんとか平静を装おうと口をきつく縛った。


「た、ただいま」

「おう、遅かったな。お前の分も一応準備していたが皿は持ってきていない。食べたけりゃ自分でやってくれ」

「あ、ああ」


 リネンは太郎に簡単な挨拶をした。太郎は今まで抱えていた思いを申し訳ないという一言で表現する。すると彼女はセフメットの死を残念だと返してきた。

 リネンのことで頭がいっぱいだった彼はその時はじめて命を落とした友を残念に思った。そんな大事なことも忘れていたことに気づかされて赤面すると、それを見たペイスが高笑いをした。


「なにがおかしいんだ。人が死んだんだぞ」

「お前だって忘れていたくせに」

「……憶えていたさ」

「うそ。リネンにもそう見えていただろ?」

「あ、はい」


 太郎は恥ずかしい自分を見られていることの気まずさよりもペイスとリネンの調子のよさに安堵した。そして彼の目からは涙が零れ落ちていた。


「おい、泣くこたねえだろ」

「太郎さん、大丈夫ですか?」

「ああ、少しほっとしてね」


 リネンが死なずに済んだ。太郎にとってはそれで十分だった。

 これで自分がするべき役目を果たせたと心の底から思った。



 だが、そんな幸せも次の朝を迎えた時に不安という形で彼を襲うことになった。



「なにが起こったんだ! 今になってどうしてこうなるんだ!」

「後遺症というのはそういうもんだ。あれだけの怪我をしたんだ。そう簡単によくはならないってことさ」


 リネンが声を失っていたのである。正確に言えば傷から侵入した細菌が脳を刺激し言語機能を司る神経が正常に働かなくなったのだった。ペイスは治療中その事実を知っていたがあえて太郎には報告しなかった。それも含めて治療を施していたからだった。


「まだ完全に治ってはいなかった。それだけだ。じきに良くなるだろう。今は気にするな」


 リネンは太郎に穏やかな表情で頷き、その表情から窺える不安を払拭しようとした。彼の神妙な面持ちはその場では誰にも崩すことが出来なかった。


『……エルノウさんなら治せるかもしれない』


 太郎はすぐにエルノウの居場所を捜そうとした。

 そしてそれは無理だということを思い出した。


「どういうわけか腕に埋め込んだはずの信号が反応しない。しかも彼は個人情報の保管庫に登録されていない人物だった。もしかしたら」

「おいちょっと待て。個人情報がないってそれ普通じゃないだろ」

「でもそうだったんだ。僕が直接調べたから間違いない」

「偽名を使っているとかは?」

「それもない。光を当てて血液も採った。完全な未登録者だ」

「異星人なのか?」

「さあ、どうかな。仮に本人が認めたところで真実かどうかなんて誰にも分かりはしないさ」

「怪しいところはなかったのか? リネン、お前はどうなんだ。どこで知り合ったんだ?」

「おいペイス、そう焦るな。彼の放出はグリーンだった。出自が不明だとしても彼は僕らの敵じゃないさ」

『どういう意味ですか』

「グリーンのアイテル発光は邪な心を持たない者しか発せない光だ。お前だってそうだったんだろ?」


 リネンは頷いた。


「とにかく、今はっきりしていることは彼の居所が判明していないということだけだ。ビルダンではドラゴンさんが近くにいた。そしてドラゴンさんは最近までアルファーラッツにいて今は『ミントアカ』にいる。彼ならなにか知っているかもしれない」

「ミントアカか。ビルダンに近いな。あそこにはなにかあったか?」

「監獄がある。僕はドラゴンさんを追いかけようと思う」

「ちょっと待て太郎」

「なんだ」

「さっきアルファーラッツって言ったよな?」

「ああ、それがどうした」

「あそこには緑炎のビーターがいる」

「シンクだな。ああ、そういうことか。彼らも怪我を治しに行ったというわけか」

「懐かしい名前だ。そういやもう一人いたよな」

「クラウンのことか?」

「ああそうだ。赤雷のピーナーだ」

『なんの話です?』

「古い友人の話ですよ。緑炎のビーターはシンクライダーという名前の男で赤雷のピーナーはザ・クラウンという男、そしてここにいるペイスは黒氷のヒーラーとお互いをそう呼び合っていたんですよ」

『なぜです?』

「世間に正体を知られたくなかったからですよ」

「簡単に喋るな」

「昔のことだ。もういいだろ」

『聞かせてください。その話』

「ナヴィガトリアを作ったのは、ああ、そう言えばここからでしたね」

「こいつが作ったんだ」

「そういうことでして、つまり今のナヴィを作る前にも似たようなことをしていたんですよ」

「正反対のね」

「あの当時は自分達の能力に溺れていたんです。この力は世界を意のままに操れると勘違いしていたんですよ。それでいろんな悪さを企てては世間に迷惑をかけてきました」

「殺しだけはしない」

「僕からの要求はそれでした。それと痛めつけるのは強い奴等だけという制約もつけてね。それでまあ、なんというか」

「生きるための搾取。金稼ぎだよ」

「そんなことを、昔はしていたんです」

「でもこいつがある日急にやめようと言い出してきたんだ」

「行動がどんどん過激になってきていた。超えてはならない一線を越えてしまうかもしれないと思ったんです。おそらくあのまま続けていたらそうなっていたんだとと思います」

「んで、解散というわけ」

「そうです」

「実際のところはそんな甘いもんじゃなかったけどね」

『どういう意味ですか』

「太郎が他を力で押さえつけたんだ。言い換えれば脅迫みたいなものだったな」

「そうでもしなければ止まらない連中ばかりだったんです」

「それで私達は隠居せざるを得なくなった」

「誰かが接触を図ればなにかをする危険があった。僕達はそれほど刺激的な集団だったから、またあの頃を思い出させないよう孤立させる必要があったんです」

『一つ聞いてもいいですか』

「いいですよ」

『太郎さんには別の呼び名はなかったのですか』

「あったよ。知りたいかい?」

『はい』




「灰宙のテメロオだよ」




 リネンは太郎の別名を面白がって笑った。その楽しそうな様子は太郎とペイスには不自然に思えるくらいの反応だった。腹を抱えて笑っていた。笑いすぎて涙まで流していた。声が出ていないので二人にはどちらの感情なのかを判別できなかった。


『全然似合ってない』


 さらに笑い続けている彼女に釣られて二人も笑ってしまった。


「確かに、全然らしくねえし、意味分かんねえし」

「誰がつけたんだよこんな名前」

「お前、自分でつけただろうがよ」


 この日の三人は夜まで終始笑顔の絶えない言葉を交わした。

 そしてその日の深夜、ある古い友人の一人からペイスに連絡が来た。


「クラウンか。久しぶりだな。五年ぶりか? ああそうだったな。は? なにを言っているんだ。取引? お断りだ。どうしてここだと分かった。貴様、まさか奴と繋がったのか。想像に任せるだと? おいおい、言いたくてうずうずしているのがここからでも伝わってくるぜ。ああ、ああ。そうだな。それを知ってどうする。目的はなんだ。くそったれが。そんなことのために命張れるかクソ野郎。は? それはないね。ではどうしようと? 勝手にしろ。返り討ちにしてやる。いいか良く聞け。死にたくなければ帰れ。今からでもまだ十分間に合う。奴らはやるぞ。取り返しがつかなくなっても絶対に助けないからな。おう上等だ。『あいつ』の本当の怖さをその身で感じて一人で絶望でも感じていろ。ああ、じゃあな」 




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