↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お前を愛することはない! ババーン!!  作者: 春凪とおる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/3

第3話 言い直しですわ

三日目。

屋敷は朝から張り切っていた。


昨日の

「好きにしろ」

と、一昨日から有効な

「お前を愛することはない」

どうやら両方とも、律儀に守っているらしい。


廊下は三倍の長さになっていた。

食堂は遠く、書斎はさらに遠い。

セドリックは朝から同じ廊下を歩き続けて、まだ階段にたどり着けていなかった。


「セディ」


遥か前方から声が届いた。

マリエルが手を振っている。豆粒ほどの大きさだった。


「紅茶が冷めますわ」

「冷めているどころか、固まっているだろうが」


「中の下のままですわ」

「下がったのか」


「下がっておりません」


どうでもいい。

セドリックは立ち止まり、天井を仰いだ。

もう限界だった。


「教授の言う通りにする。聞こえるか、屋敷」


柱の奥が、みし、と鳴った。


「先の宣言を取り消す。

俺が言った『お前を愛することはない』を――取り消す」


――ババーン。


今までで一番、景気がよかった。

嫌な予感がした。

廊下が、一瞬で縮んだ。


「うわっ」


気づけばマリエルが隣にいた。

近い。

肩と肩が触れそうな距離だ。


足元には、さっきまでなかった赤い絨毯が敷かれている。

壁の燭台が次々と淡い金色に灯り、どこからともなく弦楽の調べまで流れ始めた。


「……待て」


絨毯が動いた。


「動いておりますわね」

「待て待て待て」


二人を乗せたまま、赤い絨毯は大広間へ向かって進み始める。

弦楽が盛り上がった。


「止まれ!」


止まらない。


「違う! 取り消すと言っただけだ!」


燭台が、ぱっと一段明るくなった。


「喜ばせたようですわ」

「何をどう聞いたらそうなる!」


「愛さない、を取り消したのでしょう?」

「そうだ!」


「では」


マリエルが言葉を切った。

セドリックも黙った。


二人そろって足元を見る。

赤い絨毯は、たいへん機嫌よく進んでいる。


「……そういうことか」

「そういうことのようですわね」


「教授」

「ほとんど合っておりましたわ」


「一番大事なところを外している!」


絨毯が速度を上げた。


「お前も乗るな! 降りろ!」

「降りられませんの」


「俺もだ!」

「では、ご一緒しますわ」


「そういう問題じゃない!」


* * *


大広間の扉が見えてきた。

絨毯は、そこでようやく速度を落とした。

弦楽も少し静かになる。

マリエルは肩にかけていたセドリックの上着を直した。


「セディ」

「何だ」


「どうして、あんなことをおっしゃったのです?」

「……あんなこと?」


「式の日のことですわ」


セドリックは口を閉じた。

絨毯が、じり、と前へ進んだ。


「動くな」


止まった。


「……聞いているのか」


柱が軋んだ。

マリエルが少し笑った。


「待ってくださるそうですわ」

「お前は屋敷の通訳まで始めたのか」


返事はなかった。

代わりに、マリエルは待った。

それが一番困る。


「……曾祖父が」


ようやく、セドリックは言った。


「『生涯、妻だけを愛する』と宣言したことがある」

「まあ」

「屋敷が聞いた」


マリエルの眉が、ほんの少し上がった。


「それから五十年、曾祖母の枕元には毎朝、花が降った」

「毎朝?」

「毎朝」


「五十年?」

「五十年」


マリエルは真剣な顔で考え込んだ。


「お掃除が」

「そこじゃない」

「はい」


「曾祖母は最後まで言っていた。自分があの人を愛していたのか、

それとも、この家で愛するように暮らしていただけなのか、もう分からない、と」


弦楽が止んだ。

セドリックは大広間の扉を見た。


「あれが嫌だった」


それだけ言った。

マリエルは何も返さない。


「……何か言え」

「考えておりますの」


「そうか」

「はい」


しばらくして、彼女は手帳を取り出した。

セドリックは嫌な顔をした。


「また記録か」

「いいえ」


マリエルは昨日までの記録を何枚かめくり、白いページを開いた。


「書き直しですわ」

「何を」

「最初の一行を」


彼女はペンを差し出した。

セドリックは受け取らなかった。


「俺は取り消したぞ」


その途端、赤い絨毯が一寸だけ前へ進んだ。

二人とも黙った。


「……なるほど」


マリエルが言った。


「もう『取り消す』は使わないほうがよろしいですわね」

「そうだな」


セドリックはペンを取った。

白いページを前にして、止まる。


「何と書けばいい」

「わたくしに聞くのですか?」

「お前が書き直すと言ったんだろう」

「セディの言葉でしょう?」


正論だった。腹立たしい。

セドリックはペン先を紙につけた。


『俺は――』


止まる。

屋敷も止まっている。


「……見られていると書きづらい」


マリエルが横を向いた。

柱も静かになった。


「お前じゃない。屋敷だ」


柱が、みし、と鳴った。


「拗ねましたわ」

「知らん」


セドリックは一度、書いた文字を線で消した。


もう一度。

今度は書かなかった。


顔を上げる。


「聞こえるか」


屋敷は答えない。


「俺は、今日、お前を愛すると決める必要はない」


マリエルがこちらを見た。

赤い絨毯が動きかける。


「まだだ」


ぴたりと止まった。


「明日も決める必要はない。だが、愛さないと決めておく必要もない」


燭台の炎が揺れた。


「俺が決める。俺のことだからな」

「まあ」


マリエルが小さく声を上げた。

セドリックは彼女を見る。


「何だ」

「わたくしの分は?」


「……何が」

「わたくしがセディを愛するかどうかは、どなたが決めますの?」


「あ」


屋敷のどこかで、ぽん、と音がした。

笑われた気がする。


「お前が決めろ」

「はい」


「その時々に」

「はい」


「……二人で、それぞれ決める。それでいいだろう」


マリエルは少し考えた。


「よろしいかと」

「屋敷は?」


二人で天井を見上げた。

何も起こらない。


十秒。


……二十秒。

時計の秒針だけが、こち、こち、と進んでいく。


「長いですわね」

「重大案件なんだろう」


さらに数秒。


――ババーン。


大きくはなかった。

けれど、赤い絨毯がするすると巻き戻っていく。


燭台が元の明るさへ戻り、大広間の扉が静かに閉じた。

廊下も、いつもの長さだった。


マリエルは手帳を見た。


「何も書いておりませんわ」

「それでいい」


「では、白紙で」


彼女はそのページを閉じた。


* * *


翌朝。

エルヴァン教授は、食堂の紅茶を前に難しい顔をしていた。


スプーンの先で水面をつつく。

ぷるん。


もう一度。

ぷるん。


「呪いは解けていない」

「見れば分かる」


「だが、昨日までとは違う」

「取り消せると言ったな」


「言った」

「取り消せなかったぞ」


教授は眼鏡を押し上げた。


「記録を訂正しよう」

「それだけか」

「学問とはそういうものだ」


マリエルが横から尋ねた。


「本日の硬度は?」


教授の顔が引き締まった。

もう一度、慎重に水面をつつく。


ぷるん。


「やわらかめのプリン」

「良いことですの?」


「プリンとしては」


教授は満足そうに帰っていった。

食堂に二人が残った。


マリエルが自分の紅茶を持ち上げる。

水面は、普通の紅茶より少し遅れて揺れた。


「セディ」

「何だ」


「飲めますわ」

「昨日も飲めただろう」

「今日は少し、紅茶に近いです」


それは喜んでいいことなのだろうか。

セドリックもカップを持ち上げた。


一口飲む。紅茶だった。

少しだけ、ぷるんとしている。


「……明日は普通になるかもしれないな」

「どうでしょう」


マリエルが手帳を開いた。


「本日は十一件、試したい項目がございますの」

「ゼロ件にしてくれ」

「では十件」

「交渉したふりをするな」


柱の奥で、ぽん、と音がした。

マリエルが笑う。

セドリックは天井を見た。


「お前も笑うな」


もう一度。

ぽん。


どうやら屋敷は、今日のところは保留らしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。