7、普通の恋
二月十二日の午後三時。大希と夕空は個人で経営している、小さな喫茶店にいた。
四人用のテーブルに、夕空はソファ側・大希は通路側の椅子に座り、向かい合っている。
夕空にはクリームソーダ、大希にはブラックのホットコーヒーが置かれている。
夕空は言った。
「大希君、ごめんね。呼び出しちゃって」
「いえ、嬉しいですよ。創紫さんとお茶できるなんて。でも夕威君は大丈夫ですか?」
「うん、保育園に延長をお願いしてあるから、大丈夫だよ。今日は大希君に話があってさ、来てもらったの」
「…はい」
大希は、『良い話ではないだろうな』と、察しはついていた。
「この間、スーパーで言った事を覚えてる? 『私は大希君が思っているような女じゃない』って」
「はい、覚えています」
「その理由を聞いてほしいの。そうすれば、私が大希君と釣り合うような女じゃないって、分かってもらえるからさ」
「はい…、聞かせてください」
「うん。私さ、音楽やってたんだよね。ロックバンド。ギターやってたの」
「えっ、そうなんですね! それはすごい」
「高校卒業して、すぐ始めたの。『世界一のギターリストになる!』なんて言ってね。でも親、特に母親にはメチャクチャ反対されたの。人格を否定されるような事まで言われ続けてさ、決裂したんだ。そして家を出た。バンドは年の近い女の子が集まって結成したの。でも売れなかったな。アルバイトしないと、生活はできなかった。でも楽しかったから、苦じゃなかったよ。そんな生活が八年ぐらい続いた頃かな? 年齢も二十代後半に入って、三十歳が見えてきた。『そろそろ潮時かな』って、私もメンバーも思い始めたの」
大希はうなずいた。
「私には当時、付き合っていた恋人がいてさ。ライブに来るお客さんで、私の事を見初めたみたい。まあまあ大きい中堅の会社の社長でね。付き合って半年でプロポーズされたよ。でも結婚の条件が、音楽を辞めて家庭に入る事だったんだ。その時の私はもう音楽の情熱を失いかけていたし、『悪い人じゃないし、金持ちと結婚できるならいいやぁ』って感じだった。投げやりだったよ」
大希は深くうなずいた。
「その頃、お腹に夕威ができたの。『もうこれは、自然な流れだ』って思って、結婚を決めたよ。音楽も止めた。けどね、その社長は結婚していて、子供もいたんだ」
「えっ!」
「私も追及したんだけど、のらりくらりと言い訳してさ。口では離婚するなんて言うけど、全然進展が無い。私も人生の行き先を無くした気になってしまって、絶望してた。…それで、私はどうしたと思う?」
「どうって…?」
夕空は目を伏せ、悲しそうに言った。
「脅迫したんだよ」
「きょっ、脅迫?」
「『私と結婚しなかったら、この事を世間にバラすぞ』ってね。本気だったよ」
「…」
「でも偶然、奥さんと子供を街中で見かけたの。子供はよちよち歩きでさ。今の夕威より少し上かな? この二人…特に子供は、私の争いに巻き込めないなって思ったの。だから結婚は諦めた。でも、『慰謝料』っていう名前の『口止め料』を沢山ぶん取ったけどね。我ながら強欲だよ」
「そうだったんですか…」
「なんとなくバンド始めて、音楽を猛反対していた親には勘当されて、三十前だからって諦めて、金持ちならいいやって結婚しようとして、脅迫して、慰謝料ぶん取って---」
大希は黙って聞いていた。
「大希君、これで分かった? 私は健気に子育てを頑張っているシングルマザーなんかじゃない。スネが傷だらけの女なんだよ。君のような若い男の子には合わないの」
二人とも黙り込んだ。
数十秒後、大希は言った。
「辛かったんですね、創紫さん」
「そうだけど、自分のせいだからね。身から出た錆だよ。自業自得だよ」
「その時に俺や婆ちゃんがいたら、創紫さんの力になりたかったです」
「うん、ありがとう。でも、もう過ぎた事だからさ」
「でも、今なら力になれます」
「…えっ?」
「また、創紫さんや夕威君に困る事があったら言ってくださいね。今なら支えて---」
夕空は慌てて大希の話をさえぎった。
「ちょっとちょっと! ストップ! 私の話、ちゃんと聞いてた?」
「もちろん」
「どうしてそんな結論になるの? 軽蔑するなり、縁を切るなりを考えてよっ!」
「えっ? どうして? 今のお話、悪いトコロあります?」
「どういう事?」
「親に勘当されてでも、音楽を始めたんですよね? それはすごい情熱ですよ。三十歳ぐらいで人生設計を見直すのは普通じゃないですか? 『脅迫した』って言ってましたけど、それは言い方問題です。結局バラしたりしなかったんだから、慰謝料をいくらにするかの『交渉』みたいなもんですよ。大なり小なり、そんな事は世の中にあふれています。例えばビジネスの世界なんて喰うか喰われるかだから、よくある話じゃないですか? 僕の推測ですけど、慰謝料には手を付けず、夕威君の為に貯金しているのでは?」
「そうだけど…」
「散財している訳じゃないんですから、イイんじゃないですか? 創紫さんは僕が思っていた通り、『健気に子育てを頑張っているシングルマザー』です。それと---」
「それと?」
「可愛い女の子です。クリームソーダ頼んだりしてるし」
夕空は顔を真っ赤にして言った。
「バッ、バカッ! 真面目に聞きなさいよっ! とっ、とにかく私は、間違いばかりを選んでいる女なの!」
「それは違うんじゃないですかね?」
「どう違うのよ」
「人生の選択って、何度もあります。それは間違える事もありますよ。それに選んでいない選択肢ほど、良いように見えてしまうものだと思います。大切なのは、今が幸せと思えるかどうかじゃないでしょうか?」
「…今?」
「創紫さん。夕威君と暮らしている今を、後悔していますか? 間違っていたと思いますか?」
夕空は即答した。
「ううん、思わない。夕威と暮らす今は、最高に幸せだよ」
「ですよね。今の創紫さんを見ていると、僕もそう思います。過去の間違いや苦労なんて、『幸せな今』をつかむ為の税金みたいなモノです。『もう払い終わった』と割り切って、今の幸せを大切にしていれば良いと思います」
「そっか、そうなのかもね。ありがとう、大希君。…って、あれ? 私、言いくるめられてない?」
大希はクスクスと笑った。
「創紫さんって、本当に下手ですよね。僕を諦めさせるのが」
「本当にもう、君は困った子だよ。私の欠点を長所に変えてくれるのは、キヨさん譲りなのかな。でもなぜなの? そこまで私を気に入ってくれる理由が分からないの」
「あれ? 僕、前に言いませんでした?」
「言ってくれたね。『美人で、仕事に一生懸命で、夕威を愛しているトコロ』だって。でも、そんな人は沢山いるし、私より若い美人はもっといる。なぜ私になるの?」
「別に深い意味も、変わった理由も無いんです。まず、顔が可愛いなって・美人だなって・僕のタイプだなって、そう思ったんです。お話をしていても楽しいですし。お仕事を頑張っている人には惹かれますしね」
「ルックスを褒めてくれるのは嬉しいけど、意外と普通な理由だよね」
「僕が婆ちゃんに引き取られた事情は、聞いているんですよね?」
「簡単にだけど、キヨさんから聞いたよ。辛かったんだね。あと、昔はすごい悪かった事も聞いたし」
「そうなんです。僕は、かなり酷い環境で育ったんですよね。人との関係に苦しみながら育ちました。だから、恋愛感情なんて湧かないんだろうなって、思ってました。でも、創紫さんに出会ったら、自分でも驚くぐらいに好きになってしまって」
「うっ、うん…」
「前にも少し言いましたけど、夕威君に愛情を注ぐ創紫さんが素敵なんです。僕は親に愛されて育った訳じゃあないんで、さらにそう感じるのかもしれません」
「…」
「まぁ、色々言いましたけど、要するにもっと単純な理由なんです」
「単純な理由?」
「これは、ただの『恋』なんです。知り合った女性が、自分にとって素敵な人だった。だから好きになった。それだけです」
「困る…、困るよ大希君。私もう堕ちる…、堕ちちゃうよ…」
イラスト:migmag
「困る…。困るよ大希君…」
「えっと…、嬉しいような、恥ずかしいようなです」
「でもね、私達は恋愛できる状態にないよ。私は仕事を覚えるのと夕威で手一杯だし、君は勉強があるでしょう? 奨学生であり続けるには、猛勉強を続けなきゃいけないんだよね? その上にキヨさんの面倒もみなくてはならない。物理的に無理なんだよ」
「創紫さん。その事について、提案があるんです」
「提案?」
「三年後ならどうでしょうか? 三年経ったら、僕は大学卒業です。創紫さんも仕事にかなり慣れていると思いますし、夕威君も育児が少しは楽になっていると思います」
「うん、そうだけど…」
「それまで、僕は大学で勉強を頑張ります。ずっと奨学生であり続けて、成績も首席をキープし続けて卒業します。そして就職したら、僕との交際を考えてもらえませんか?」
「あの、一応確認していい? 大希君って、東見大学だよね?」
「そうです」
「『そうです』じゃなくて! 東見大学を首席で卒業なんて、エリートサラリーマンだよ! 官僚になれるかもしれない! バツイチ同然の、子持ちの女なんかと付き合ったらダメだよ!」
「『エリート』ってのがよく分かんないんですけど…。なぜそれだと、創紫さんと付き合ったらダメなんですか?」
「あんたって子は、本当にもぅ…」
大希は真剣な顔で言った。
「夕空さん」
始めて名前で呼ばれ、夕空は驚いて体をビクッとさせた。
「はっ、はいっ!」
「三年後、改めてあなたに告白します。僕がキチンと約束を果たせていたら、僕の恋人になってもらえますか?」
「…はい、喜んで。待ってるよ、大希君」
大希は両手で拳を作り、胸の前辺りにかざした。そして大きな声で言った。
「やったぁ! ありがとう、夕空さん!」
「声が大きいよ! 静かにしてっ!」
「あ…すみません。つい、幸せ過ぎて」
「何度も言うけど、困った子だよ、君は」
二人は笑い合った。
しばらくして笑いが収まった後、夕空は言った。
「あのさ、こうして将来の目標も決まったし、ハッキリさせておきたい事があるの」
大希は、『これは真剣な話だな』と察し、姿勢を正した。
「はい、なんでしょうか?」
夕空は恥ずかしそうに、視線を外して言った。
「私さ、恋人がいたこともあるから、二十歳の男の子がどんな感じなのかっていうのは、ある程度は分かっているつもりだよ」
「…え?」
「私達は将来の約束はしたけど、付き合ってはいないんだよね。だから---」
夕空が何を言いたいか、大希は分かった。
「あっ、そんな心配しないでください。もちろんです。安心して---」
大希が話をしていると、夕空はさえぎって言った。
「我慢するから」
「えっ?」
「絶対に我慢するから。手を出したりしないから、安心してね」
「そっち? 夕空さんが?」
大希は数秒ほど呆気にとられた後、クスクスと笑いだした。
「プッ! 面白いなぁ。夕空さんって真面目ですよね。意外と」
「『意外』は余計だよ! これは真面目な話なんだからね! ケジメは大事だよ!」
「分かりました。襲われそうになったら、大声出しますから」
「うん、そうしてちょうだい」
二人で笑っていると、大希の横から声が聞こえた。
「あれぇ、大希君じゃない? こんなトコで何してんの?」
大希が横を見上げると、楮乃心子が立っていた。
心子は明るく言った。
「おつー! 大希君!」
大希は心子と目が合うと、表情が一変した。
笑顔が消え、怪訝そうな顔つきになった。声も低くなった。
「楮乃…。お前、こんなトコで何やってんだよ?」
「何って大希君、ここのコーヒーが好きだから、カウンター席で休憩してただけだよ。そしたら聞き覚えのある声が聞こえてきてさ。しかも段々と大きくなっていくだもん、大希君は」
心子は夕空を見て言った。
「すみませ~ん、お邪魔しちゃって。あっ!」
夕空も心子の顔を見て、驚き気味に言った。
「あら? あなた、スーパーで会った女の子?」
「あーっ! チョコレート売り場にいたお姉さんだ! 奇遇ですねぇ」
大希は夕空に聞いた。
「この子、知っているんですか?」
「うん。スーパーで買い物をしていたら、ちょっと話す機会があってね。可愛い女の子二人組だったから、よく覚えているよ」
大希は心子を見て言った。
「二人組?」
「茉だよ。茉と二人で買い物していたんだよ、大希君。可愛い二人組なんて照れるなぁ。あっ、お姉さんを見たら思い出した。大希君、バレンタインチョコの件、茉に言っておいたから大丈夫だよ。勉強に専念するんじゃないかな」
大希は、この場で花梨茉の話を始める心子にイラだった。
そして小声で心子に言った。
「お前な…」
「あら? どうしてそんな怖い顔するの? それと、私のデジカメ知らない? 大希君」
「デジカメ?」
「写真撮影の課題で大学内で使ってたんだけど、失くしちゃったんだよね。大希君って中庭によく来るでしょう? 中庭で見なかったかな~っと思ってさ。ほら最近、私達が話し込んだ中庭だよ、大希君」
夕空はそそくさと立ち上がると言った。
「私、ちょっとお手洗いに行ってくるね」
この場には座っている大希と、その横に立っている心子の二人になった。
大希は、若干の怒気を込めて言った。
「お前…いい加減にしろよ。どういうつもりだ?」
「なんでそんなに怒ってるの? ちょっと話し掛けただけじゃん」
「女性と二人で話しているトコロに、ノコノコ来るんじゃねぇ。まぁ、それは百歩譲って良しとするよ。俺が許せないのは呼び方だ。何が『大希君』だ。俺は『歓雫』って呼べと言ったよな? しかも何度も連呼しやがって。わざとらしい」
「あら? 私、名前で呼んだっけ? これからは気を付けるよ」
「それに、花梨のバレンタインチョコの話をしたのもわざとだろ?」
「違うよぉ~、考え過ぎだって」
「それにデジカメってなんだよ? 作り話をするな」
「いや、本当に失くしたんだよ。茉との写真や映像も一杯入ってたの。悲しいよぉ」
「お前まさか、俺達の後をつけてきたんじゃないだろうな?」
「違うって! そんなの冗談じゃないよ! 偶然だよっ! 私の方が先にお店に来ていたんだからね。なんなら、オーダー伝票に印刷されている時刻を見せようか?」
「…そうか」
《まったく、疑り深い奴だ》
大希は言った。
「疑り深くて悪かったな。わざわざ声色を変えて言うなんて、新しい嫌味か?」
心子は慌てて、両手で自分の口をふさいだ。
「おっと…」
「お前、なにやってんだ?」
「なんでもないの! ふぅ…、私や茉に厳しいなぁ歓雫は。夕空さんへの優しさの百分の一でイイから、私達にも向けてほしいよ」
「夕空さん?」
「大きい声で話していたからさ、お姉さんの名前が聞こえちゃった。話の内容も大体聞こえたよ。歓雫は、夕空さんと付き合うんだ?」
「まだ約束だ。本当に付き合えるかどうかは、これからの俺の頑張り次第になる」
「三年計画かぁ~、長いね。あの人、見た感じかなり年上じゃない? さらに三年後なら、完全にオバサンだよ。オバサン好きなんだぁ、歓雫って」
大希の目つきが、鋭くなった。
「今、なんて言った?」
「オバサンって言ったよ。それにキレてんの?」
「言って良い事と悪い事がある。それが分からないか?」
「分かるよ。だから言ったんだよ」
大希は立ち上がって、心子の目をにらんだ。
「おい」
心子はひるむどころか、両腕を組んでにらみ返した。
「歓雫ってさぁ、童貞でしょ?」
「はっ?」
「大学で全然人付き合いが出来ていないのを見てれば、恋人ができた事がないのはすぐに分かるよ」
「それがなんだってんだ?」
「あのオバサンだったら、簡単にやらせてくれると思ったんじゃない? 『やった! 童貞を捨てるチャンスだ!』って感じかな?」
大希は一歩前に出て、心子との距離を詰めて言った。
「俺はな、たくさんの暴力沙汰を起こしてきた。だが、なにがあっても・どんな理由があっても、女と子供だけは殴った事がない」
心子も一歩前に出て、大希との距離を詰めた。
「だからなに?」
「どうやら、お前が最初の一人目になりそうだ」
「へ~え、私が第一号か。で、どうすんの? 今殴るの?」
そう言われ、大希は一歩引いた。それを見た心子も、組んでいた両腕をほどいた。大希の鋭い目つきは無くなり、残念そうな表情になった。
「楮乃、俺はお前の事を誤解していた。勝手だが花梨の事を想いやる、真面目な奴だと思っていた。どうやら違うようだな」
「そう? おおむね、それで合っていると思うけど」
「違うね。こんなにハッキリと俺を挑発しやがって。なにが気に喰わないか知らないが」
「分かんない?」
「分からないね」
「他の女を口説いてたからだよ」
「どういう意味だよ?」
「花梨茉っていう、あんなに良い女の子がいるのに見向きもしないで、他の女を口説いているからだよ。気に喰わなくて当たり前じゃん」
「お前、自分の言っている事が、無茶で勝手極まりないのを分かっているのか?」
「分かってるよ、じゅーぶん過ぎるくらいにね」
「お前の動機が分からない。なぜこんな真似をするんだ?」
「私は茉が好きなの。孤独から救ってくれた恩もあるし、友人としても大好きなんだ。だから茉が願っている事があるなら、少しでも叶えてあげたい。その為なら悪魔にでもなんでもなるよ。茉は裕福な家庭じゃないから、奨学生になり続ける為に、子供の頃から勉強漬けでさ。茉が『楽しい』とか『幸せ』と感じる事を、一つでも多く叶えたいんだ」
「…それが俺だって言うのか?」
「そうだよ。私にはあんたなんかのドコが良いのか、全然・まったく・これっぽっちも分からないけどね。まぁ、ルックスはそこそこ良いし、勉強も首席。でも性格がこれじゃあね。だから分かんない」
「本人が、俺が良いと言っているのか?」
「言ってない。でも分かるよ。親友だし、女同士だしね。まだ自覚が無いだけでさ。ねぇ歓雫、茉の事はなんとも思わないの? 少しは考えてよ」
「俺と夕空さんの会話を聞いてたんだろ? 俺は真剣なんだ」
「そう。まあ、ココで言い合ってても仕方ないから止めるけどさ。それと---」
心子は夕空のいない空席に体を向けて、頭を下げた。
「『オバサン』とか『やれそう』とか言ってすみませんでした。本気じゃありませんから」
大希は不思議そうな顔をして心子を見た。
「なぜ、夕空さんのいない空席に向けて謝ってんだ?」
「気持ちの問題だよ」
「ヘンな奴。怒ったのがバカらしくなってきた」
二人の話が終えた頃、夕空が戻って来て席に着いた。
心子は夕空に明るく言った。
「お邪魔してすみませんでした~。これで失礼しますね!」
「あっ、いえいえ」
心子は去り際に、大希の肩をポンッと叩いて言った。
「じゃーね! た・き・くんっ!」
大希はなんとか怒りを抑え、心子を見送った。
心子はカウンター席に戻ると、荷物をまとめ、会計を済ませて出て行った。
大希は夕空に向かってペコリと頭を下げた。
「すいません、騒いじゃって」
「ううん、いいんだよ。明るくて、可愛い子だね。バレンタインのチョコをくれるのは、あの子じゃないんだ? 他の子なの?」
「いえ、もらいませんけどね」
「人気あるんだ、大希君って。カッコイイし、勉強もできるし、そりゃあそうか。大学にはあんな女の子が大勢いるんだよね」
「いますけど、僕は誰とも接点はないですよ」
「いや、今の子は接点あるでしょ? 名前で呼ばれてるし」
「あれは、からかわれただけです」
「そう…」
お手洗いから帰ってきた後の、夕空の表情は終始冴えなかった。
大希も、夕空の笑顔を取り戻すような言葉を紡げなかった。
《私にはあまり時間が無いんだ。許せよ、歓雫大希…》




