記録No.18『噂話にはご注意を』
レナとの対話後、ユウトは一人で帰ることにした。レナ自身がまだ予定があるらしく、途中で分かれることとなったのだ。
流石に今日フリーゾーンに向かうのは憚られると、帰宅後の行動に着いて考える。先の話でレナが溢した組織について調べてみるか。そういえばミナトはどうしているだろうか。退院はしたと聞いたものの、日常会話をするような間柄でもない。そうして腕を組みながらエレベーターを降りたところで、廊下の先に人影が見えた。
「あ、ユウト」
「ユウト先輩、お疲れ様です!」
ユウトを呼んだのはナガセとコウだった。直前まではナガセが何かを話していて、コウが頷きながら聞いていた構図だったし、契約前面談の帰りだろう。コウの表情が今朝より柔らかくなっており、ナガセとの関係性が進展した様子が見てとれる。
「ユウト、君は今から帰りかい?」
廊下の中ほどで立ち止まりながら、当然のように声をかけてくるナガセに、ユウトも淡く笑みを返す。
「お疲れ様です。そうですね、このまま自宅に戻ろうかと」
「うん、お疲れ。僕たちも多分少ししたら帰るんだ——なんか暗い顔してる」
笑いながら、笑ってない声でそう指摘される。表情がそんなにあからさまだったのだろうか。無遠慮な土足の踏み込みに、やんわりと拒否を示す。
自分は問題ないと、そう言い聞かせるように。
「そんなことないですよ」
「いや、してる」
引くことなく、断言されてしまった。彼にそこまで言われてしまうとなると、ユウトも一瞬言葉に詰まってしまう。
「仕事のストレス?何か溜め込んだりしてないか?」
「まぁ、仕事関連といえば関連はしますが、問題ないと思ってます」
「思ってますって……」
ナガセ ソウマは同期の中で最も横のつながりが広い男だった。契約設計士としての本来の業務に加え、外部ベンダーとの折衝や他部署との調整に顔を出すことも多く、部署の中にいる時間より外を動いている時間の方が長い。それでいて仕事の抜けがない。ユウトには真似のできない種類の人間だった。
「最近ユウト外出も増えてるんだろ? この前も部署に戻ったらいなかったし。珍しいなと思ったんだよね」
「……あぁ、まぁちょっと気分転換に」
「ユウト先輩ってそんな感じなんですか?」
「ん? そうだね。仕事はサボらない、欠勤もほとんどしない。真面目で誠実って言葉が似合う男だよ。でもこの前戻ったらユウトいなくてさ」
コウの問いにナガセが饒舌に語りだす。そういえば、フリーゾーンに行った時にナガセも戻っていたのだったか。翌朝、ナガセの机に私物が増えていた記憶を辿る。
「何か急用だったのか?」
「ちょっと近場に行ってました。病院に」
「え、病院?」
嘘をついて、僅かな喉の引っかかりを覚えるユウトに対し、ナガセは一際大きな声をあげる。
「どこか身体が悪いのか? あんまりそんなふうに……いや、精神的なところか?」
考え込むように一人で推測に推測を積み重ね始めるナガセにユウトは待ったをかける。本気で心配してくれていそうな顔に申し訳ないという感情が芽生えるものの、フリーゾーンの話はしたくない。ミナトの病院へ行ったことをその日の出来事として改変し、出来事をそれっぽく塗り替える事でユウトは嘘を作ることにした。
「いや、というよりは知人の見舞いに……なので私がどうこうという事はないですよ。ストレスとかそういう精神的な所に行ったわけでもないですから」
慣れない嘘のつき方に辿々しくもなるユウトはバレていないかと心配になる。しかしナガセもコウもユウトの知人の話を深掘りするのは良くないと判断してか、踏み込みに来ない。
「私のことは置いといてください。それより、今日の面談、どうでしたか」
善意の塊のような爽やかな人間。普段なら心地よい彼の言葉や踏み込みも、今は嘘を壊す劇薬のように感じてしまい、堪らずユウトは話を逸らすことにした。
「――うん、まあ、最初は緊張してたけど最終的には笑って帰ってったよ。コウが上手く場の空気和らげてくれてさ」
「いや、自分はただ横にいただけで……」
コウが頭を掻いた。照れて謙遜してはいるが、満更でもなさそうだった。一方でナガセはユウトが拒絶の反応を見せたことを察し、そのまま一度間を置いて、ユウトに引き下がる姿勢を見せる。
「まぁ、コウがいい感じに育ってくれてよかったよ。まだ来てもらってほんの少し。というより、ユウトとも仲が良いんだ?」
「まぁ、こっちに来て当日から話していましたからね。席が近いのもありますし」
「こっちに来るまでに一通りの内容は向こうで教わってたんですが、いざやろうとなるとわかんないこと多くて……そこらへんユウト先輩に助けてもらったんです」
「なるほどね、ユウトはそういうところあるから」
ナガセが軽く笑った。そういうところとはどういうところだろうと思いつつも、深く追求はしない。踏み込みは激しいが、触れてほしくないところまでは触れすぎない。そんな彼には、ユウトも少なからず好意的に見ている。
「それにしても、先輩本当に大丈夫ですか? 朝は顔暗くなかったんで」
おずおずとしながらも、言いたいことを言わんとコウが顔をのぞかせる。後輩にも心配をかけてしまうとはと思いつつ、ユウトの中の壁はより厚みを増していく。
「大丈夫ですよ、心配をかけてしまったみたいですね。それこそ、今日一日ゆっくり寝れば回復できるんじゃないでしょうか」
「……た、確かに。あんまり呼び止めてても迷惑ですよね」
「迷惑ではないですよ。あぁ、そうだ。お二人は今日セミ地区側に訪問に行ったんですよね。向こうはどんな感じなんですか?」
そのまま帰るのはそれはそれで靄が残る。ユウトは話題転換として、自分の事ではなく彼らの話題にすり替えることにした。
「あれ、ユウトって……あぁそっか。ユウトはやり取りするときはここでだもんね」
話題に食いつき、ナガセが話を広げる。また自分の話になりそうなのでやんわり方向修正はするが、聞く理由はほかにもある。さっきのレナとの話題。反組織の事だったり、ユウトには知らないことがまだまだたくさんあることが判明したのだ。雑談混じりに何か知れないだろうか。
「そうです。なのであまり馴染みなく……最近セミ地区からの人たちが増えているので、私も向こうに行く可能性はあるじゃないですか。雰囲気掴みたくて」
「勉強熱心だね……そうだな、コウもセミ地区はそんなに行ったことないんだっけ?」
「あ、そうですね。コア地区出身なので。契約も、18の時に済ませました」
話を振られてコウも答える。ユウトもコア地区で過ごし続けていたが、コウも一緒だったのか。
ユウトがこれまで契約してきた人の中には、セミ地区で働いている人もいたと記憶自体はしている。ただ、その報告内容も契約者からの又聞き的なものであり、知見という知見にはなっていない。
「コウから見てどんな感じなのでしょうか。人口はセミ地区内が一番多いんですよね?」
「うーん、そうですね。何と言いますか」
顎に手を添え、コウは考え込む。小さく唸り声のようなものを上げ、上がったのは以下の内容だった。
「良くも悪くも商魂逞しいと言いますか。セミ地区は契約者も未契約者もいますからね。未契約者の方は恩恵を得にくく、頑張らないと格差も出やすいと。公的機関の整備はされているものの、生活の質向上は個人に委ねられる……ここで勉強した内容でしたが、事実だなと強く思いましたね」
「あぁ、営業かけられたんだよ、俺たち。まぁコアの人間と言ったらすぐ引いてくれたけど。サービス業かな? そこら辺が活発なんだろうなってのはもし今後ユウトが行っても感じることだと思うよ」
思い出すかのように顔を見合わせる二人。疲れたよなと言わんばかりの苦笑いに心の中で労いつつ、どうやら話すネタはある様子で続きを促す。
「逆に不穏そうな話とかはなかったんですか? ほら、旅の心得のように、何か危険は先に知っておいた方が良いじゃないですか」
「不穏……危険……先輩、なんかありますかね」
「いやぁ? むしろ最近は穏やかとか聞くけど。ほら、セミ地区の人たちもどんどん契約とかしてって、安定してきた生活のおかげかな? なんかのニュースで見たよ」
ナガセは自身の携帯を見せてくる。セミ地区内のローカルテレビで調査されたであろうそれは、セミ地区内の住人の幸福度調査を歌われた代物だった。全体の幸福度はここ数年向上しているのが見て取れる。特にここ三年の伸びが凄まじい。何かイベントでもあったのだろうか。
「本当ですね。なんならすごい伸びてないですか?」
「そそそ、あぁでも。不幸というか、不満げな人らもいるっぽいよ。ほら、この調査表。確かに幸福だって思ってる人の伸びは多いけど、不満な人の割合も増えてるだろ?」
ナガセが指す別の部分に目を向ける。幸福だけでなく、不満も同時に膨らんでいる構図にコウが首を傾げる。
「普通、どっちかに寄りません?」
「まぁな。でも現実はこうらしい」
ナガセは肩をすくめる。
「上手くいってるやつはめちゃくちゃ上手くいってる。そうじゃないやつは――まあ、置いてかれてるのかもな」
「なるほど……不満が増加しているからこそ、安寧を求め契約に至る方が増えているんですかね」
「あー、あるかもな。セミ地区での暮らしに飽き飽きしてこっちに……って、業務終わりにまーた仕事の話になってる」
携帯を取り囲むように、画面に集中する三人。最初に皮切ったのはナガセであり、あとは何かあったかと、再度考え込んでいる。
「あと、妙なモノ見ましたよ」
コウがぽつりと付け加えた。ユウトの意識がそちらに傾く。
「妙なモノですか?」
「大したものじゃないとは思うのですが、今日道中歩いてる時に落書きがあったんですよね」
「落書き?」
「ナガセ先輩見ませんでしたか?壁とか、シャッターとかに。で、だいたい同じマークだったんですよ」
コウは指で空中に描く。
「英語のFです。大きく一文字。しかもそれだけで」
「イベントとか、そういうのですか?」
「いえ、調べてもそんなものはなかったです。ネットでも特に話題になってないので、誰が何のためにやってるのかも分からず。あぁいう落書き系って、たった一文字だけになる事ないと思うんですよ。絵と一緒に描いたりだとか。シンプルな分……」
「気味が悪い、と」
ナガセの引き継いだ言葉にコウが小さく頷く。コア地区ではそんな落書き見た事ない。そもそも、落書きというもの自体コア地区では出くわしたことがない分、推測ベースで景色を想像するしかないわけだが。
「……勉強になりました。ただ、事件っぽい事件はなさそうですね」
「まぁ、コアと比べてセミの方が事件は断然起こるっぽいけど、それでもな。治安自体は良くなってるのは肌でわかるし」
小さく頭を下げるユウトにナガセは返す。
――どれもフリーゾーンに関わる出来事ではない、か?
一応、FREEとFで繋がり自体は出来そうなものの、フリーゾーンの人間がセミ地区に訪問するには手続きも必要になる。いくつもの落書きがあるのはしっくり来ない。
「まぁ、無理するなよ。変なことに首突っ込むタイプじゃないのは知ってるけどさ」
「無理してないですよ」
「そっか。ならいいんだよ、それじゃ俺はコウと行くから。また明日、会うかわかんないが」
「先輩お疲れ様でした!」
ナガセは軽く手を振って歩き出し、その後ろをコウが付いていく。彼らの背中を見送ってから、ユウトはエレベーターの方向へ歩き始めた。
――セミ地区も、調べてみようか。
ユウトの中で、また新たな欲が湧いていた。家の中でまた新たに調べようと決めたところで、
――端末が鳴った。
通知の主。どうやら、調べ物は後回しになりそうだ。
『俺だ、タツヤだ。今日時間がある時に連絡をくれ、頼みたいことがある』
気づけば、足取りだけが早まっていた。




