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記録No.16『そういう事だと、神様は言った』

 翌朝、ユウトはいつもより早く起床していた。


 寝つきは悪く、嫌な脂汗が枕を多少湿らしているのに気づいて、起床した。嫌な汗に表情を顰め、冷水に顔を浸しても、喉を潤しても、事ここに至って爽快感を得られることは無かった。


 掠れるような声で、その場の重さをそこに置いてタツヤの家を後にしたのだ。心に生じた余白のせいで、爪が深々と手のひらに刺さる。


「誰が、どうして」


 軋むような呟きは、尽きることの無い疑問の言葉だ。視界がぼやけるような感覚。頭が重いと、もう一度冷水を顔に当てる。


 思索に耽ったところで、ユウトは自分自身の脳が普段よりも回っていないことは理解していた。理解して尚、考えを止めることは無い。否、止めたくない。


 あの場には、やはり何か異常があると。その事実を重く受け止め、その毒牙が他の者にも及ぶかもしれないと。


「何か、ないのか」


 機構のシステムが「有効サンプル」と識別したあの時から、疑いを持ち続け、今回で確信に変わった。

 だと言うのに、あの通知の文字列も、自分の記録が七日前から誰かに見られていたという事実も、そしてそれが誰の仕業なのかすら、今のユウトには何一つわかっていない。あまりにも無知で無力で、顔を覆いたくなる。


 心の底に連動するように、覆おうとした手で、その手のひらの隙間で、端末が光った。


 今日の業務についてや日々の状態を数値化してくれるそれは、今日もまた無機質な『報告』を始めている。


 疑惑のために日々が疎かになっては本末転倒だと、覚醒しきってない脳のまま端末を操作する。機構に疑いをもったからと言って、イコールで業務を疎かにするべきでは無い。違和に気づけるチャンスをみすみす逃すわけにはいかないのだから。


 見慣れた通知を1つずつ確認していくうちに、別のことに思考のリソースは奪われる。


 タツヤを信じていいのか、という問いがまず頭に浮かんだ。昨夜は疑う余裕もなかったし、真に迫るあの表情に心を打たれたのも事実だった。ただ、一晩明けた今の脳で改めてなぞると、タツヤが嘘をついている可能性がゼロだとは言い切れない。カイも同じだ。「招かれてるかもな」という言葉が、ユウトの疑心を薄めるために計算されたものでないとも言い切れない。

 誰を信じていいかわからない、というより、誰を信じたという気持ちが薄れていっている。ユウト自身が今、「自分に何ができるか」を考えると、何も手元に残らないのだから。

 タツヤのようなツールを扱う知恵もない。機構のシステムに無断で触れる手段もない。実行犯の範囲とユウトの範囲は必ずしも噛み合うわけではないのだ。


 ――レナの記録。


 逡巡、様々な感情がユウトを襲った。社内ディレクトリ。そこには検索欄がある。何が出来るかと言われれば簡単。当人のプロフィールを調べられるということだ。

 これはユウトが自身のプロフィールについて調べられたのと同様、他のプロフィールも当然調べることが出来る。


 その中には、職員ごとのシステムアクセス権限が記録されている場合がある。どの範囲のデータに触れられるか。どのシステムに入れるか。様々な部署が入り乱れる事から、権限によって管理をしていると資料には記載がされていたが。


「これは、確かめるためだ」


 自身の浅はかを自身で釈明する呟きには誰も応じない。そんなこと分かっている。分かっているからこそ、この発言も儀式のひとつでしかなく、ユウトはそのまま指先を端末に這わせた。


 自分でもわからなかった。何かを確かめたかったのか、昨夜からずっと頭の端に引っかかっているものを、どこかに吐き出したかっただけなのか。


 プロフィールを開く。氏名、所属部署、業務連絡用の情報が並んでおり、何の変哲もない。入社年、担当領域——そこで視線が止まった。


「閲覧制限あり」


 当然と言えば当然だろうか。全ての情報を一般職員が閲覧することは難しいのかもしれない。部署内でも契約者の情報を慎重かつ丁寧に扱うのだ。であれば職員にだって。


 ただ、と思い別の職員――コウについても調べてみる。


 ――閲覧制限は、ない。


 嫌な汗がこめかみから滲み出てくる。舌の根が急速に乾いていくのを感じ、再度舌に水を浸透させる。


 待て、これだけで判断するのは早い。


 ユウトは指を止めず、別の名前を打ち込んだ。一つ、また一つ。


 そうして、三分もしないうちにある傾向が見えてきた。入職年数が浅い人間、異動経験のない人間には、閲覧制限がない。キャリアが積み重なるほど、部署をまたいだ経験があるほど――閲覧制限がある。

 つまり勤続年数と異動歴に比例して、権限の管理が厚くなる。機構に長く在籍する職員の情報ほど、外から見えにくくなる。それだけのことだった。


 レナが特別なわけじゃない。白とは言いきれない、黒である確信が得られなかっただけ。なんの進展にもならない結果だと言うのに。


 ――良かったじゃないか。


 不意の言葉に振り向く。そこには、誰もいない。エアコンの空調音が、寂しくユウトを見て笑っている。


「あぁ、疲れてるな」


 自分によく似た声が聞こえたなんて、一体全体どうかしてると思う。


 ――――――――――――――――――――

 廊下を歩く時、レナの部署の前を通った。中を見はしなかったが、気配を確かめていた自分に気づいて、視線は前に戻した。


「ユウト先輩、すみません。ちょっと質問なんですけど・・・」


 昼前、コウが書類を持ってやってきた。


「はい、どうしました?」

「ちょっと、これからソウマ先輩の契約前面談に同行することになって……改めてどんな流れで進んでくのか理解したいんですけど」


 ソウマという名前にあぁとユウトは返す。ユウトの同期で、数少ない同じ部署に居続けている男だ。

 ナガセ ソウマは明るく爽やかを体現したかのような男で、どうやらコウはその下でまずは学びを得ていくことから始めるらしい。部署内で回ってきた情報のため、事前に把握はしていたが……。


「ナガセはどちらに? 本人に聞くのは緊張されますか?」

「い、いや全然! 聞きたかったのは山々なんですけど、なんか外部ベンダーとのやり取り? とかでフリーゾーンに向かってたり、色々動き回ってて時間が取れてないんです……」


 ナガセは契約設計士としての業務以外にも、幅広く奔走をしている。先のコウのつぶやきの通り、本来の業務に加え外部ベンダーとの折衝や他部署との調整に顔を出している。要は外で飛び回ってる時間の方が長いタイプだ。


「あぁ、今日この時間は向こうに行ってるんでしたか。であれば、私が対応しますね。難しいところがどこか、なんとなくでも言語化してみてください」


 ユウトの言葉にコウは顔を明るくし、説明を始める。どうやら契約後の処理の順番を確認したかったらしく、フローを一通り説明すれば特に問題は無さそうだ。


「初日って、どんな流れになるんですか。書類は見たんですけど、実際に動く順番がよくわからなくて。契約締結後は、他部署に全任せなんですか?」

「いえ、そんなことは無いですよ。サインが終わっても、定期的に面談をすることで契約者の状態を確認します。まぁ、契約後ずっとという訳でもなく、引き継ぎ作業もありますが・・・保険と似たシステムと言えば伝わりますかね?」


 例え話にコウはあぁ! と強く相槌を打つ。どうやら理解力も高いらしく、ユウトも手間をかけずに説明を続ける。


「契約の直近は私たちが動くことが多いですが、暫くしたら他部署が管理します。時々担当が変わることもありますし、そこら辺は流動的ですね。契約者側の流れだと、健診があります。三十分から一時間くらいで終わる、簡単なものです」

「健診って……初日からやるんですね。契約して、検診して、そのままお家へGOって感じですか?」

「契約と検診までがセットですね。家に関しては当日移動の場合もあれば、翌日移動の場合もあります」


 へぇ、と呟きながらコウは青いメモ帳にペンを走らせる。一応マニュアルはあるものの、契約者によって都度合わせたプランを提供するということを良しとするスタイルからか、あまりそれだけで網羅できているとは言い難い。メモをするのは道理だろう。


「まぁ、手続きの一環なので。機構側からも案内が来るから、それに従えば大丈夫ですよ」

「わかりました。ありがとうございます」


 コウは深深と頭を下げて戻っていった。新人の溌剌とした動きと声に弛みを覚えながら、自身のことを振り返る。


 三年前の初日に、同じことを言われた。案内に従えば問題ないと。

 従い続けて、良かったのだろうかと。


 ――――――――――――――――――――


 午後の面談を一件こなして、書類処理を終えた頃には窓の外が暮れかけていた。特に残ってする仕事もない。

 またフリーゾーンに向かうか、それを見られていたらまずいだろうかと考えながら、廊下に出る。空調の低い音に加え、昼間より色が落ちた照明。何人かユウトと同じく帰ろうとしている人がいる。

 エレベーターホールまでは廊下を真っすぐ進むだけだ。何も考えずに歩けば、今日が終わる。今日から、逃げられる。


 そう考えれば、自然と歩調は早まっていき、


「ユウト」


 声は、そんなユウトの意志を許さなかった。

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