記録No.15『躙り寄る蛇の手』
タツヤの作業場に着いたのは、夜の九時を少し過ぎた頃だった。
フリーゾーンの路地は、コア地区ほど明るくない。街灯の間隔が広く、建物の窓からこぼれる光で足元を確かめる。それでも昼間より人の気配が濃い気がした。昼には沈んでいたものが夜になると輪郭を持つ。
身なりの問題だろうか。仄暗いこの街の中で、本来なら部外者であるユウトに近づくものは少ない。
「前来た時より、なんというか……」
そこまで言って口を噤む。気のせいだと思いたいが、空気にわずかな圧がかかっている気がした。自然と、タツヤの作業場に到着する時間も早まってしまう。
扉を二回叩いた。返事より先に、鍵の解錠音がする。
――昨日は鍵をかけていなかったはずだが。
「おう、早いな」
タツヤが顔を出す。目元に疲れがあるのは昨日と変わらない。ただ、その奥がわずかに鋭くなっていた。
「はい、ご迷惑でしたかね」
「いや、構わねぇよ。話すことはたくさんある」
「話すこと、ですか。それは、悪い方向の意味で?」
「んな辛気臭い顔されちゃたまんねぇよ。とりあえず入れ」
右頬を軽く二回、叩かれながら部屋へと促される。そんなにひどい顔をしていただろうか。両頬に指をあて、ほぐしながら室内に入った。
相も変わらず機械油の染み付いた匂いが鼻腔をつく。換気もされていないのか、空気が重い。ぽつんと作業机の上にある端末だけが、青白く部屋を照らしていた。
「何か、別の作業もしていた感じですか?」
「ん? あぁ、悪い。作業自体はお前さんの依頼内容のやつで問題ない。ただ、気になる事があってよ、下手に時間かけちまった」
「そう、ですか」
下手に時間をかけたと言うが、タツヤが連絡をくれたのは今日の午前中だ。丸半日、電気や換気も気にせず端末に向き合っていたと言うのだろうか。
相槌が半拍遅れたユウトを気にする様子もなく、電気をつけ、タツヤは奥の部屋に入っていく。
「酒とコーヒー、どっちだ?」
「あ、えっと、コーヒーの方で」
「明日も仕事だからってか? 俺は気にせず呑ませてもらうけどよ」
カチャカチャとガラス同士が小突き合う音が聞こえる。グラスと瓶と、器用に指の間に挟みながらタツヤが戻ってきた。そのまま椅子を引いてグラスに注ぐ。対面となる座席にアイスコーヒーを置かれ、ユウトも席に着いた。
「ひっかけは、機能した」
酒に口をつける前に、タツヤが一言そう呟いた。対面であったユウトは、その画面の中の情報を見ることができない。一度タツヤが酒を飲むと、端末を90度回し、ユウトにも見えるように配置を変えてくれた。
画面には、様々なコードやログを参照した記録が確かに残っていた。目まぐるしい量に一瞬たじろぎ、
「ここだ、ここ」
タツヤの示す先、そのアクセスログは、M-0031の記録に関することなのはわかるが。
「これって……」
どうやらこの画面の中にある羅列されたログは、規則的な並びで表示されているらしい。しかし、タツヤの指差す部分、ここがわずかに崩れており、そこから探知したのだと言う。
一見すれば見落とす程度の、ほんの僅かなズレ。けれど、一度気づいてしまえば、そこだけが浮いて見えた。
「いつですか」
「お前が備考欄を変えた日。どうやら当日だったみたいだ」
変更を入れた翌日に確認された。つまり、相手はユウトの行動を事細かに監視していた可能性が高いということだ。
もしかすれば、毎日。
「……これ、外部から?」
「断定はまだなんだよ。そこら辺も追々話そうとは思ってたんだがな。ただ、内部だけでこんな挙動はあんま見ねえし、何より気持ち悪いのが改変されてんだよ」
「改変、ですか」
タツヤが端末の操作を変えた。画面に別のウィンドウが展開される。ユウトには何の画面かすぐにはわからなかった。また別の、数字の羅列とログらしいものが並んでいる。
「このツールを使えば、通常の端末では表示されないデータ層が見える。機構の標準ログに記録されない情報が、別のレイヤーに残る場合がある」
「つまり」
「隠しデータだ。標準端末からは存在すら見えない。でもこっちからは見える」
ユウトは画面を見た。
「反応した、ということですか」
「そういうことだ」
ユウトは渇く喉を潤すようにコーヒーを一口飲んだ。インスタントの、入れたばかりの冷たい液体。氷がカラカラと音を立てるのを、どうということもない顔で見て、続きを促した。
「誰かがこの記録を定期的に確認している。監視かどうかは分かんねぇが、この情報から理解できんのはそれだ」
「機構の一般的な端末では確認できないんですか」
「確認できない。俺のツールを使わなければ、そのアクセスはなかったことになっている」
ユウトは少し考えた。何故そんなものを手際よく持っているのかといった疑問はあるものの、最優先で聞きたいことがある。
「名前は残らないんですか。もしくは、アクセス先の端末番号とか」
「残らん。このポートはそういう設計だ。俺が使う理由もそこにある。あぁ、俺のこれはちょっといじくっただけだが、別にポート自体は入手しようと思えば手に入る代物だぜ?」
「でも」
「見た痕跡は残る。見たという事実だけは、消えない」
淡々と、事実を告げるようなタツヤにユウトはそれ以上口を開けない。次の言葉を考えるユウトに対し、タツヤは酒を一口飲んでから、
「なぁ、お前さん、気持ち悪いと思った箇所はねぇか?」
「気持ち悪い、箇所ですか?」
「あぁ、ひっかけが引っかかった。お前の記録の変更を、誰かが確認しようとした。だが、今の俺の話を聞いて変に感じなかったのか?」
酒を飲むペースは変わらない。ただ、何か値踏みをされているような感覚を覚え、ユウトは自身の脳をフル回転させる。
と、そこで、
「この記録……に、最初に外部参照の痕跡を見つけたのは、俺が通常業務で確認した時……です。機構の端末から普通に開いても、見えていた」
「そうだ、頭は冴えてるようだな」
ぱちんと指を鳴らし、タツヤは続けざまにスクロールする。アクセスの痕跡に加え、日時、アクセス元のデータ、参照された記録の番号を並べて引き出してくる。
「今回のアクセスは、標準ログへの書き込みを意図的にオフにしてある。だが以前のアクセス——お前が最初に気づいたやつは、お前の担当者端末から確認できた。同じ外部アクセスなのに、見える場合と見えない場合がある」
「なぜそんな違いが」
「使ったツールの設定が違う。今回のアクセスは、標準ログへの書き込みを最初から切ってある。最初からそうしようとすれば、最初からできた」
ユウトは聞いた言葉をもう一度、頭の中で繰り返した。
最初からそうしようとすれば、最初からできた。
「それ、確かにおかしいです」
「そうだ。俺がひっかけを仕掛けたのと同じルートから、誰かが入ってきた。ログを消した形跡もある」
ユウトはその画面を見た。
「ログを消した、ということは」
「追跡されることを知っていた人間だ。機構の仕組みを内側から知っている人間か、またはツールを持っている人間か。どちらかだ」
ユウトは少し間を置いた。衝撃ではなく、更に思考を回転させるために
タツヤが今の言葉以上の考えを持っているように感じられ、ユウトも思うままに仮説をタツヤにぶつける。
「最初に俺が気づいた外部参照の痕跡。それは俺の端末から見えていたはずです。俺が記録を確認すれば、必ず目に入る位置に残っていた。それを消す技術を持ちながら、消さなかった……」
「続けろ」
「俺に、気づかれてもよかったってことになる……と思います。俺がこれに気づいて、調べていることもきっと、知っていて。それが期待か、それこそ引っかけかはわかりませんが」
「見せたかった相手が俺だとして」ユウトは言った。「その人間は、何故今になって見えないように変えたんですか」
「わからん。ただ、変えたということは向こうさんもイレギュラーが起きたってことだ。状況か、目的か、それともお前が動き始めたことで変わったか。俺もカイも、今はこの話に入っている。より慎重に動くようになったとも考えられるな」
「なるほど……この話、カイさんには?」
「通してる。何ならこの後来るはずだ」
後十分もたたずにカイも話し合いに参加するためにこの場に来るらしい。それまで、ユウトは頭の中に溜まった靄を払うかのようにタツヤに質問を始めた。
「でもこれ、内容的に機構の内側を知っている人間、というのが高いですよね」
「ああ、設計に関わった人間か、俺みたいに出た人間か。又聞きした可能性もあるが、基本こんなもん人様にべらべら喋るようなもんじゃねぇよ」
「……タツヤさんではないですよね」
「俺がお前さんのひっかけを使ってお前のことを調べる理由がどこにあるんだよ、急にポンコツになるな」
後頭部を小突かれ、ユウトの声は萎む。
「すみません」
「謝んな。疑うのは正しい。ちゃんと根拠が伴ってたらな」
ユウトはコーヒーを口に含む。仄かな苦みが、思考を無理やり引き戻す。
「俺の記録も、確認していいですか」
タツヤの目がわずかに動いた。
「自分のか、調べろと言ったのは確かに俺だが」
「はい、お願いします」
短い間があった。
「やってみろ、やり方は教えてやる」
―――――――――――――――――――――
「……何してんだ?」
扉を開けたカイは、呆れるような声を上げる。事情は聞かせたとタツヤは言っていたが、それでも頭を抱えているユウトを見れば、それはそれは可笑しな光景に映っていたのかもしれない。
「まぁ、予想通りの結果に逆に落ち込んでるってやつだ」
自分の記録は、すぐに開いた。三年分の業務履歴は整然と並んでいる。担当者リスト、面談記録、評価の数値。どれもきれいに埋まっており「問題なし」という記録が行ごとに繰り返されている。
ただ、その右端。「最終参照」の欄には、「最終参照:外部端末(七日前)」という記録がされていた。
七日前は、ユウトがフリーゾーンへ初めて足を踏み入れた日だ。
「……七日前、ちょうどカイのところに行った日だったよ」
「はい」
「その外部参照も、書き込みをオフにすることはできたのか? さっきの話だとできたはずだろ」
ユウトは画面を見たまま、調子を落とした声で呟く。
「オフにできたはずです。なんなら、俺の担当者権限で記録を開けば、必ず目に入る位置に残してあるのも分かりました。七日前から、誰かが俺の記録を見ていた。その人間は俺に見えるように痕跡を残すことも、残さないことも、どちらも選べた。それでもあえて、残すことを選んだんです」
「泳がされてたかもしれないってことか?」
力なく項垂れる。自身のやることが相手に監視されている。そして、そのうえで泳がされているのだとしたら、カイやタツヤを危険にさらしていることと同義だ。自身の読みの甘さが、じわりと腹の下で滲む。
そんな酷い顔をしていたユウトを見て、たまらずといった顔でカイは頭をかきながら助言めいた発言をする。
「あー、なんだ。まぁ、泳がされてるって一例は出したけどよ。招かれてるって可能性もあるんじゃねぇのか?」
「招かれて、る……?」
「あ? お前タツヤとやってるときその考えも持ってたんじゃねぇのかよ。見せる必要があったのは、お前一人に対してだけで、だから俺らは今何の危害も加えられてないんじゃねぇの」
泳がされているのならば、誰かの手の中にある。招かれているのならば、誰かがこちらへ向けて何かを開いている。どちらが正しいかは、相手の意図にかかっていた。その意図は、今のユウトには届かない。
「面白がられてるんですかね、俺は」
「さぁな。それは誰が見ているかによるだろ」
コーヒーカップが洗い場に戻された音がした。タツヤだ。タツヤは、ユウトに渡していたカップを洗いながら、目を向けず、
「帰れ」
そう、端的に返した。
「今夜はここまでにしろ。頭がいっぱいの状態で引き出した結論は大体ろくなもんじゃない。帰って、寝ろ。カイは残っとけ。色々手伝ってもらうかもしれねぇ」
「でも——」
「仕事もあるだろ。帰って寝ろ。なんなら今度お前さんに頼みごとをするかもしれねぇ」
これ以上何も言うなと言わんばかりの声音だ。それに、時間は二十二時を優に越している。当然、明日の業務に支障をきたしかねず、タツヤの言葉は正論だった。
「なんだ、来る必要がないと思ってたが、こいつにはできないで俺にさせたいことでもあったってことか」
「そうだ。勘違いしないでもらいたいのは、信頼していないからとかそういう話じゃない。適材適所ってやつだ。さっきも言ったが、あとでユウトにも頼み事はあるからな」
「……分かりました。今日は、ありがとうございます。失礼しますね」
ユウトは頷き、扉に向かった。
「ユウト」
呼ばれ、振り返るとタツヤが画面を閉じながら言った。
「お前の記録を見た人間が、お前の敵とは限らない。そこだけ、忘れるな」
―――――――――――――――――――――
作業場の外に出ると、フリーゾーンの夜気が顔に当たった。コア地区とは違う匂いがする。均質ではない、雑然とした何かを含んだ空気。ユウトは歩きながら、手のひらを開いた。
何も、残っていない。
代わりに、頭には七日分の動きが順番に並んでいた。自分が動いているつもりで、実はその動きも含めて、誰かの見ているものの一部だったとしたら。
駅の入り口が見えてきてユウトは足を速める。
手のひらには何もない。なのにあの画面には、見せないこともできたはずのモノが、見える形で残っていた。
——あのとき、なぜ気づけたのか。
偶然にしては、出来すぎている。




