お救いください お薬師様 第一話
常磐林蔵様が連載されている「宗盛記」の二次創SSです。
楽しむには「宗盛記」の知識が必須となります。
「読んでおいてほしい本編の話数」は下記となります。チェックいただければ幸いです。
宗盛記0100 永暦二年七月 豌豆瘡対策 から
宗盛記0105 応保元年十二月 帰京 まで
この連載は、プロットを作成の後、AIで文書化したものを推敲して仕上げています。
いままでは梟丸くん視点でしたが、この章は視点がしょっちゅう入れ替わります。
ご了承ください。
永暦二年七月
沼津の港は、朝靄に包まれていた。
潮の匂いと、濡れた木の匂い。
普段なら威勢のいい荷役の声が響くはずの時刻だが、今日はどこか静かだった。
梟丸は、港外れの倉の屋根に腹ばいになり、沖を見張っていた。
――来た。
霧の向こうから、ゆっくりと黒い船影が浮かび上がる。
伊豆守様の船だ。
船が桟橋に寄せられると、まず雑色たちが降りてきた。
その肩には、異様なほど大量の巻物が入った箱。
ひとつ、ふたつ、みっつ……数えるのをやめた。
――手紙だ。
それだけは、はっきりと分かった。
やがて、伊豆守様が姿を現す。
旅装を解く間もなく、港役人と短く言葉を交わすと、そのまま国衙へと向かわれた。
その背を見送りながら、梟丸は胸の奥に、ひやりとしたものを覚えた。
――戦の前と、似ている。
だが、剣も弓も、まだ抜かれていない。
代わりに動いているのは、紙と墨と、人の足だ。
---
国衙の裏手。
雑色たちが、巻物の束を抱えて慌ただしく行き交っている。
梟丸は屋根伝いに移動し、室内をそっと覗き込んだ。
伊豆守様は、机に向かい、ひたすら筆を走らせている。
漢字と、ひらがなが混じる文字。
連綿ではなく、一字一字、書き放ち。
読みやすさを優先した筆跡。
漢字には、丁寧にふりがなが振られている。
――誰にでも、読めるように。
その意図が、はっきりと伝わってくる。
机の脇には、すでに書き上げた巻物の山。
雑色が受け取り、次々と運び出していく。
行き先は、坂東。
各国国衙、そして、昨年の宴と三月の騎射に集った領主たち。
さらに、伊豆と繋がりのある諸家へ。
その数――少なくとも、五百。
いや、千は超えるだろう。
梟丸は、喉を鳴らした。
――これ、全部、指示書か。
内容までは読めない。
だが、巻物の端に書かれた、繰り返しの言葉だけは目に入った。
「豌豆瘡」
聞き慣れぬ病の名。
それが、これほどの量の手紙を生み出している。
---
その夜、在庁官人を集め、伊豆守様は静かに、しかし容赦なく指示を出した。
――東海道箱根口、三嶋宿、湯河原口。三重の検疫線を敷け。
――発熱者は即時隔離。七日の健康観察。
――かつて病に罹り、回復した者を、検疫の役に就かせよ。
――衣類、寝具は必ず煮沸。
――国衙主導で、隔離施設を建てよ。
梟丸は梁の上から、その様子を見ていた。
官人たちは、皆、真剣な顔で頷く。
だが、その目には、戸惑いも浮かんでいた。
――何が、起きるんだ?
そう問いかけているようだった。
伊豆守様は、丁寧に説明する。
太宰府での初発。
典薬頭様から聞いた病の性質。
それに応じた、伊豆で行う対策。
そして――手紙の内容。
最後に、こう締める。
「分からぬことがあれば、国衙へ問い合わさせよ。躊躇はするな。人の命がかかっている。」
その一言で、空気が変わる。
官人たちの背筋が、ぴんと伸びた。
---
翌日。
伊豆守様は、平教盛様、土肥実平殿、畠山重能殿、那須資隆殿を伴い、伊東に向かった。
梟丸も、影となって従う。
伊東で、伊豆守様は、次々と役割を割り振っていく。
「伊東殿。船の手配を。港から、対策の書状を各地へ送る。」
「湯河原周辺は、土肥殿。」
「相模は、大庭殿に任せる。」
「武蔵は、畠山殿。」
「下野は、那須殿。」
「常陸、上野、上総、下総、安房は、叔父上から佐竹へ。上総、千葉にも。坂東全体に、報せを。」
命令は簡潔で、迷いがない。
それぞれが、深く頷く。
まるで、戦の布陣のようだった。
だが、相手は――病。
---
伊東港。
船が次々と準備される。
伊豆守様は、最後に念を押した。
「伊東から出る船は、最低限の上陸で引き返せ。寄港地を増やすな。」
誰も異を唱えない。
すでに、空気は変わっていた。
梟丸は、港の高みから、その光景を見下ろしていた。
白い紙が、黒い海へと流れ出していく。
――この手紙で、どれだけの人が、助かるんだろう。
そう思う一方で、胸の奥に、別の感情が芽生えていた。
不安。
――上は、従う。
――だが、下は……?
理由も分からず、移動を止められ、隔離され、仕事を止められた者たちは、どう思う。
戸惑い。
怒り。
恐怖。
それらが、どこかで噴き出さなければいいが。
梟丸は、ぎゅっと拳を握った。
――伊豆守様は、それも、分かっている。
だからこそ、これほど丁寧に、紙を書き、言葉を選び、説明している。
だが、それでも。
――伝わらぬ所は、必ず出る。
黒い波の向こうに、まだ見えぬ嵐の気配を感じながら、梟丸は、静かに息を吐いた。
戦よりも、厄介な戦いが、始まろうとしている。




