手を結ぼう 第四話
常磐林蔵様が連載されている「宗盛記」の二次創SSです。
楽しむには「宗盛記」の知識が必須となります。
「読んでおいてほしい本編の話数」は下記となります。チェックいただければ幸いです。
宗盛記0087 永暦二年一月 から
宗盛記0094 永暦二年六月 青墓宿 まで
この連載は、プロットを作成の後、AIで文書化したものを推敲して仕上げています。
永暦二年三月
屋根の上は、少し冷えていた。
昼の熱が抜けきらず、瓦はまだ生温かい。そこに腹ばいになって、梟丸は国衙の庭を覗き込んでいた。
――多い。
人の数も、音も、匂いも。
伊豆で、こんな夜は見たことがない。
松明の列が庭を囲み、筵が敷き詰められ、そこにびっしりと人が座っている。酒の匂い、焼いた魚の脂、湯気の立つ汁物、味噌が焼ける香り。風に乗って混ざり合い、夜気の中を流れてくる。
戦の集まりではない。
なのに、武士だらけだ。
それなのに――刃の気配が、ほとんどしない。
「……変だ」
小さく呟く。
これだけの数の武士が集まれば、誰かが必ず周囲を測る。腰の太刀に触れ、立ち位置を気にし、背後を確かめる。
だが、下では皆、笑い、食べ、杯を重ねている。
緊張がない。
それが、何より奇妙だった。
庭の中央に、伊豆守様がいる。
噂の伊豆守様。
よく動く。よく笑う。よく声をかける。
忙しそうなのに、誰にも背を向けない。
その近くには、ひときわ空気の重たい一団があった。
座っているだけで、場の流れが少し歪む。
――あそこだ。
視線が、自然と集まる場所。
清盛様。
詳細は知らない。だが、あの重さはわかる。
人の配置が、無意識に避ける重心。
あそこだけ、地面が深い。
伊豆守様は、そのすぐ傍に立ちながら、場を回している。
まるで、重石の隣で綱を操るように。
やがて、伊豆守様が声を張った。
ざわめきが、すっと収まる。
「――皆様に、お渡ししたいものがございます」
配られ始めたのは、小さな木札だった。
庭のあちこちで、首を傾げる気配が広がる。
伊豆守様は、はっきりと言った。
「今日より五年に限り、この名刺をお持ちくだされば、必ずその日の内に、私が直接お会いいたします」
ざわ、と空気が揺れる。
「また、これを書状に取りつけて頂けば、必ずお返事をお返しします」
今度は、揺れが一段深くなる。
梟丸は、無意識に息を止めていた。
――これ。
これ、まずい。
いや、まずいじゃない。
強すぎる。
身分も、門も、順番も、全部飛び越える。
これは刃物じゃない。
人の流れを、直接動かす札だ。
「……武器だ」
ぽつりと零す。
戦場で振るわれる剣より、よほど効く。
続いて伊豆守様が、笑いながら言った。
「ちなみに……私も、六年前は読み書きができませんでした」
一瞬、空気が止まった。
梟丸は、言葉ではなく、顔を見た。
右の端で、口角がわずかに歪む。
――小山朝政。
嘲り。
覚えた。
中央寄りで、肩がほんの少し落ちる。
――三浦義澄。
失望。
期待していたのだと、すぐに分かる。
そして――
畠山重能。
長狭常伴。
荻野俊重。
斎藤実盛。
彼らは、一瞬、黙った。
目が開き、伊豆守様を見る角度が変わる。
六年前。
読み書き不能。
そこから、伊豆守。
国を整え、この人数を集め、この宴。
――繋げた。
「……今、計算した」
梟丸は小さく息を吐く。
あの人たちは、ただ驚いただけじゃない。
伊豆守様の「過去」と「現在」を結びつけて、価値を測った。
こういう大人は、盤面を読む。
黒装束的に言えば――当たりだ。
一方で、豪放な笑い声が上がる。
上総広常。
目尻を下げ、心底うれしそうに笑っている。
「仲間、見つけた顔だな」
その緩みが、場全体の緊張を溶かした。
伊豆守様の言葉は、武名ではなく、距離を縮めるための刃だった。
そのすべてを、清盛様は黙って見ている。
止めない。
正さない。
介入しない。
ただ、許している。
梟丸は、そこでようやく理解した。
――これは、許可されたやり方だ。
伊豆守様の振る舞いは、平家の流れから逸れていない。
むしろ、その延長線上にある。
宴はさらに続く。
笑い声が増え、酒が回り、距離が縮まる。
梟丸の視界には、もう敵と味方の境目は映らない。
ただ、人の流れが、ゆっくりと一方向へ傾いていくのが見える。
伊豆守様のほうへ。
屋根の上で、梟丸は膝を抱えた。
「……強いとか、弱いとかじゃない」
風が、松明の煙を運ぶ。
匂いと熱と、人の声が、夜の中で混ざる。
「ああいうのは……見てて、ほんとに飽きない」
それだけ言って、また黙る。
仕事は、見ること。
判断は、まだ先でいい。
今はただ、この盤面を、目に焼き付けておけばいい。
伊豆の夜は、いつもより、ずっと明るかった。




