歓迎の宴と真の王
とりあえずアンティゴアの城では王の甥のベイルとバルモアの姫アランドーラの婚約を祝う宴が催され、主役の子供達は眠いからとさっさと寝所に引き上げたにもかかわらず、大人たちには宴が久しぶりだと大盛況のまま続いている。
ジークは素晴らしい男だと、彼に会ったことも無いアンティゴアの要人たちは口をそろえて褒めている。
ジークが単なる食料だけでなく宴用の酒食の準備も出来る食材もアンティゴアに贈った事が大きいのであろう。
ジークは昔から人当たりが良いだけあり、人を喜ばせるコツを心得ている。
「君もそろそろお眠の時間かな。」
私に酒ではなくシロップを薄めた杯を手渡したのはアシッドである。
「ありがとう。綺麗な色の飲み物ね。」
「蜜が入った花を煮詰めたシロップだって。」
「素敵。何処で手に入れたの?」
彼は右手の人差し指に軽くキスをすると、その指を宴会場の奥の台所の方向へと向けた。
「まあ、確かにそこね。」
「そう、全ての命が海に還るように、全ての食べ物は台所で生み出される。わお、哲学的!」
「アシッドったら。」
彼は別れた時よりも少々小汚くなっており、あごにはわざと伸ばしたとしか思えない手入れされた髭まで蓄えている。
私の視線が自分の顎に集中していると見るや、アシッドは子供のようににやっと微笑み、これが俺の身を守るおまじないなんだよ、と言った。
「おまじないなの?誰から身を守るの?」
「うーん。そのローブすっぽりのエレメンタイン様には教えたくない。銀色にキラキラしているリガティアなら、俺は何でも話すだろうけどね。」
「まあいいわ。魔城に飛んでジーナかアシュリーかドロテアに尋ねてみるから。」
驚いた事に、あの三人とミミリアは魔城に戻ってきており、イーサンが不在だからこそ留守を守ると完全に居付いてしまっているらしいのだ。
そして、アシッドには恐るべき女傑である三人の名前を言ってもアシッドが揺るがない所を見ると、アシッドこそあの三人を魔城に向かわせたのに違いない。
「その髭はジーナ達を送り届けた証なのね。そして、ここは冗談ではなくとても危険なのね。」
「危険はないよ。俺がいる。何かあったら俺の所に来て。俺が君を守る。そして、君の一生のヒモになって君を喜ばせてあげよう。」
私はアシッドの脛を蹴ると、アシッドから貰ったシロップが美味しかったからと台所に向かうことにした。
そう、今の私には宴の席の中にはいたくはない。
ノーマンであってノーマンで無いものになろうとしているノーマンの姿が辛すぎるのだ。
彼は微笑んでいる。
まるで死んでしまった私の父のように。
――君達は俺を忘れて幸せになってくれ。俺は君達といた記憶があるから、いつまでも土の中で君達の夢を見ていられる。
――純粋に俺を愛していると聞きたいだけなんだ。
なんてよく似て、なんて馬鹿な男達なんだろう。
私は誰もいない台所で乱暴に手の甲で涙を拭い、彼の為に彼に会った時だけ彼の妻という妾のような暮らしをする自分を思い浮かべてみた。
きっとそれでも幸せな気がする。
きっと物凄く不幸な気もする。
「ああ、どうしたらいいのだろう。」
涙が再び零れそうで、私はそっと瞼を閉じた。
世界は真っ暗になり、私は自分の真後ろに輝ける虹色が近づいてきており、その虹色の影が私に輝ける何かを突き刺す所で私は動いた。
「何をするの!」
包丁を両手で掴んで私を刺そうと殺気を放つのは、召使のように質素な服を纏った褐色の肌をした若い女性だ。
年齢は私と同じくらいか。
彼女のきっちりと結いあげられた髪は色の抜けたくすんだ金色だが、殺気を放つ両目は虹色という色とりどりの彩を持っている。
「あなたが王位継承者第一位の青王子なのね。」
「違うわ!私こそ王様なのよ!畜生!正当なレイゼンの娘なのに、ブートの血を引くからって貴族にもしてもらえない。聞いたわ!あんたこそアンティゴアを壊した魔族の娘じゃ無いの!どうしてあんたはノーマンのお妃候補で、あたしは一生台所の下働きなんだよ!」
彼女は私に向けて包丁を今一度繰り出したが、私は魔女でしかない。
彼女の前からふっと消えることも、彼女の真後ろ、半径二メートルは離れた位置だが、そこに再び姿を現わす事だってできるのだ。
「この!卑怯者!」
「死にたく無いのは誰だってもよ。」
「はは。殺しなんてしないわよ!あのお優しいノーマン様の為にあんたを要石に閉じ込めるだけ。そう、お相手を失ったノーマンはあたしをお妃にしてくれる。青王子のまま民を騙して王を名乗るなんて、なんという間抜け。あたしと結婚する事で彼は名実と共に王になれるの。」
「どうしてノーマンがあなたと結婚するの?ノーマンは私に永遠を誓ったわ。私が要石の生贄にされたならば、いいえ、石など置かずに私を助け出す。」
「煩い!あたしだって美しいのだから!レイゼンに見初められて寵姫に望まれるくらい母さんはきれいだったもの。あたしは母そっくりなのよ!ドレスを着れば美しくなれるのよ!あんたに負けないくらいにね!」
身分が高いはずでありながらブートの民という事でアンティゴアの憎しみを一身に背負っていたらしい哀れな彼女は、要石に入れ込むために私を殺す気は無いが、私の自由を奪うぐらいの怪我は確実にさせる気持ちであるらしい。
私は再び襲ってきた彼女の目の前から姿を消し、再び彼女の真後ろに出現した。
「石はノーマンの体の中よ。私を要石の祭壇に入れ込んでも仕掛けは発動しないわ。石がなければ無意味なものよ。」
「いいえ。あなたがそこに埋まれば、ノーマンは石をそこに添える。金色の石?そんなものは今すぐなんて必要ないわ。祭壇に納まったあなたがフォルモーサスを壊すのだもの。私達は瓦礫の中から石を取り出せばいいだけ。」
「そ、そんなことできるはずは無いわ!私は魔法を発動しない。」
「君の意志ではね。」
私は声を出せない程の痛みを背中に感じ、息も吸えない中、自分の胸から目の前の女性が持っていた包丁と同じだろう切っ先が突き出している様子が目に入った。
「よくやった。リゼル。そして君はここでお終いだ。」
私の目の前の女性は私を刺した男ではなく、大柄の奴隷戦士のような男に首を切り落とされてしまった。
「よくやりました。皆様。では台所の後片付けは私共がいたしましょう。あとはよろしくお願いします。」
私は最後に聞いた女性の声が、ノーマンにギモーブの盆を手渡した女官の声と同じだと気が付き、気が付いてそんなことは大したことでは無いと気が付いた。
これはアンティゴアの茶番だ。
彼等は正当な王を殺す機会を狙っていた。
私はブートの民に今まで出会った事が無い。
それは、アンティゴア人がこのアンティゴアを奪還した時に、アンティゴアを占領していたブートの民を虐殺しつくしたからに他ならないのだろう。
ノーマンはその虐殺の咎を自分一人で抱えているのかもしれない。




