セーラー服を脱がさないで side 駿太
終業式の朝、俺は家の前で結衣を待ちながら、何度も深呼吸を繰り返していた。
昨日までの俺とは違う。
俺は、宮原結衣の、ただの幼馴染じゃなくなったんだ。
その事実が、心臓を馬鹿みたいに高鳴らせる。
昨日、夕暮れの教室で、あいつのスカーフを解いた指先が、まだ熱を持っているみたいだった。
あの時の、潤んだ瞳で俺を見上げてきた結衣の顔が、瞼の裏に焼き付いて離れない。
ガチャリ、と隣の家のドアが開く。
そこに立っていたのは、いつもと同じ、校則をきっちり守ったセーラー服姿の結衣だった。
でも、目が合った瞬間、ふわりと頬を赤らめてはにかむ表情は、俺の知らない結衣だった。
それだけで、頭がどうにかなりそうだった。
昨日まではただの見慣れた制服だったはずなのに、今はその下に隠された柔らかな肌を思い出してしまって、喉がごくりと鳴る。
「おはよ、駿太」
「……おはよ、結衣」
声が、少しだけ上擦った。
俺はごまかすように、おもむろに手を差し出す。
結衣が、ためらうようにその手を重ねてくる。
小さくて、柔らかい指が絡みつく感触に、心臓が跳ね上がった。
こいつの手を、こうして堂々と握れる日が来るなんて。
「……なんか、変な感じ」
「え?」
「いや……いつもと同じなのに、全然違うっていうか。……嬉しい」
俺がそう言うと、結衣はもっと顔を赤くして俯いてしまった。
その反応がたまらなく愛おしい。
二人並んで歩く通学路。繋いだ手から伝わる結衣の体温が、夢じゃないんだと教えてくれる。
昨日までと同じ景色のはずなのに、世界が全部、俺たちを祝福しているみたいに輝いて見えた。
学校に着くと、名残惜しい気持ちを隠して、昇降口の前でそっと手を離した。
まだ、誰にも渡したくない、俺だけの宝物。
教室に入ると、いつものメンバーが俺の周りに集まってきた。
西野先輩が廊下から手を振ってくるのも見えた。
昨日までの俺なら、曖昧に笑ってやり過ごしていただろう。
でも、今の俺は違う。
だって、俺が本当に見たいのは、少し離れた席で、こっちを気にしながらも素知らぬふりをしている、たった一人の女の子だけだから。
時々、目が合っては、慌てて逸らす結衣の姿が、たまらなく愛おしかった。
放課後、終業式を終えた教室は、どこか浮かれた空気に満ちていた。
夏休みの課題を教えてもらうなんて言い訳で、俺は結衣を二人きりの空間に引き留めていた。
もちろん、本当の目的はそんなことじゃない。
昨日の続きがしたくて、たまらなかったんだ。
「……で、ここの公式が、こうなるわけ」
「へえ、なるほどな。サンキュ、結衣」
俺はシャーペンを置くと、真剣な顔で教えてくれる結衣の横顔をじっと見つめた。
長いまつ毛、真一文字に結ばれた唇。その全部が、俺のものなんだ。
そう思うと、独占欲で胸がいっぱいになる。
キスしたい。
今すぐにでも、あの唇を塞いでしまいたい。
「……なんだよ、ちゃんと聞いてる?」
「んーん。別に。結衣の横顔、綺麗だなって思ってただけ」
俺はいたずらっぽく笑うと、すっと手を伸ばして、結衣のセーラー服のスカーフの結び目に触れた。
昨日、俺が解いた、始まりの場所。
「……っ!」
体がびくりと跳ねる。
その反応が可愛くて、俺はもっとからかいたくなった。
「昨日、この先、どうなるかと思った?」
「……な、思ってない!」
顔を真っ赤にしながら否定する結衣に、俺は「そっかー?」なんて言いながら、隣に移動して肩を抱き寄せた。
腕の中にすっぽり収まる小さな体に、心臓がうるさく鳴る。
結衣のシャンプーの甘い香りがして、理性がぐらついた。
「じゃあ、今日も解いちゃおっかな」
耳元でわざと囁くと、結衣の肩がまた跳ねた。
その震える肩を抱きしめながら、俺は結衣の反応を待った。
昨日までの結衣なら、きっとされるがままだっただろう。
でも、結衣は俺の手を、そっと自分の手で押さえた。
「……ねえ、駿太」
「ん?」
結衣は、俺の胸に顔を埋めたまま、くぐもった声で話し始めた。
「このセーラー服……私、ずっと嫌いだったの。地味で、真面目に見えて、私を縛り付けてるみたいで。でもね」
「今は、好きなんだ。駿太が、この服を着てる私を『好きだ』って言ってくれたから。だから……」
結衣は顔を上げて、潤んだ瞳で俺をまっすぐに見つめてきた。
その瞳に吸い込まれそうになる。
「もう、私のセーラー服を、脱がさないでいいよ」
その言葉に、俺の頭は一瞬、真っ白になった。
昨日、あんなに可愛いお願いをしてきたくせに、もう終わりってことか?
俺の期待に満ちていた心は、がっくりと肩を落とす。
嘘だろ、昨日、あんなにいい雰囲気だったじゃないか。
「ええっ、そんなぁ……」
俺が本気でしょんぼりしていると、結衣はたまらなくなったように、クスクスと笑い声を漏らした。
そして、俺の耳元にそっと唇を寄せる。
「……おうちでなら、いいよ」
その破壊力抜群の囁きに、俺の思考は完全に停止した。
顔に一気に熱が集まり、結衣の顔が見れない。
腕の中にいる結衣が、小さく震えている。
きっと、同じくらい顔を真っ赤にしているんだろう。
ああ、もう。本当に、敵わない。
俺は、この可愛すぎる恋人に、一生敵わないんだろうなと思った。
夏休みが、待ち遠しくてたまらない。