日常(+1)への帰還
リュントくんのいうことは理にかなっているような気がするものの、わたしは素直に首肯できなかった。
〈犬の神の解放を目論んでる連中がいるのは危険だけど、そいつらの運動を中断させるためにリセットするってのは……ていうか、100年に一度惑星を移動して文明段階も戻すにしたって、そもそも犬人たちの記憶はどうするの?〉
なんたってわたしは、こんな基本的なことが頭から抜け落ちていたのだろう。
定期的に惑星から惑星へ移動し、文明をリセットして、構造物も400年のあいだに抹消したとしても、ひとびとの脳に累積した知識が残っていればさほど意味がないではないか。
〈記憶もリセットするんです。移動の時期にあたった犬人たちは、この超意識に導かれ、竜たちによってつぎの惑星へと運んでもらう。そこには100年前の世界が再現されていて、犬人たちの記憶から、100年ぶんの知識も洗い流される〉
〈……まあ、もとは神のシステムなんだし、そのくらいはできなくもないだろうけど。それなら、リュントくんの魂を超意識に統合する必要はべつにないわよね。つぎの惑星に移ったところで、グトウザさんとロクランさんのもとへ戻ればいいだけじゃない?〉
リュントくんはすでに超意識と半ば一体化しているとわかっているが、わたしはやっぱり生贄の儀式めいたことはしたくなかった。
だが、リュントくんは穏やかな顔でかぶりをふる。
〈いいえ、犬人たちの個別の意識へ干渉するためには、犬人の物理的な脳の構造体が必要なんです。ぼくの生体脳を共鳴始点にすることで、各地の端末の近くにいる犬人から、じょじょに惑星全体へ干渉波を広げていきます。中継器となるだけの生体脳に大きな負担はかかりませんが、発振器を担当する生体脳への負荷は、生命活動の継続が望めないほどのものとなる。その過程で意思と記憶は超意識へ取り込まれ、超意識自体の更新ともなるんです。チサトさまのお考えのとおり、いずれ超意識自身、自罰的な贖罪意識から脱却し、多次元世界全体への貢献を考えはじめるようになるでしょう。現時点で、竜種へけっこうな負担をかけていることは承知していますから〉
リュントくん自身の利発さがあってのわかりやすい解説とはいえ、犬人の“大いなる意志”の代弁者となっているのは間違いない。
わたしは、リュントくんの目を真っ直ぐ見て強く言葉を発した。
〈一度退いて。リュントくん自身と話をさせなさい〉
超意識はリュントくんに知識と洞察を与えているのであって、乗っ取って操っているわけではないと思うが、しかし確認を欠かしたくはなかった。
透徹さと恍惚さの入り混じった、哲人じみた顔貌から、おさなさの抜けていない男の子の表情に戻って、リュントくんがわたしを見る。
〈……どうなさいましたか、チサトさま?〉
〈超意識へ加わるのは、ほんとうにあなた自身の意志なの?〉
〈説明するのは難しいですけど、この機会を逃すのはとてももったいない、選ばれた権利を行使したい、その気持ちが強いのはたしかです。父と母は、わが子を失った記憶を持たずにすむそうですから、心残りもありません〉
リュントくんは「言わされて」いるわけではないと、わたしにはわかった。そのへんは、地球人の御使いにのみ、犬人の超意識集合体へのアクセス権限がある、という設定を行った神々の配慮なのだろう。
納得の上で仕事をしてもらう必要がある、とは認識しているようだ。
わたしは……両腕を伸ばしてリュントくんを抱きしめた。
もちろん、男子中学生に全力ハグとか、そんなハレンチなこと地球ではやったことない。
見た目よりずっとしっかりとした、たくましい身体だ。……いやいや、若い男の子の肉体を感じようとか、そういうゲスな発想で抱きついたわけじゃないから。
〈リュントくん……〉
〈だいじょうぶですよチサトさま。犬人としてのぼくの意識と記憶はこの超意識と一体化しますが、魂魄のすべてが取り込まれるわけではありません。ぼくはこのさきも、あなたといっしょにいられるんです〉
わたしの腕の中で、リュントくんの物理的な感触が薄らいでいく。わたしはトリガーを引いたのだ。リュントくんと犬人の超意識のあいだの垣根はなくなり、この惑星に住まう犬人たちはしばしの眠りに就いて、目醒めたときにはとなりの惑星で、23回目の繰り返しをはじめる……。
+++++
気がついたら上下のある空間にいた。懐かしのややへたり気味なわが布団の上。着ているものは、ボルゾイブティックで選んだオシャレな服だった。パジャマはパジャマで、ちゃんと畳まれておいてある。
目じりから涙が伝っていた。
死とは違うといっても、やっぱりわたしはリュントくんを手にかけたも同然だ。
驚天動地の激変があったら、アルとはまた再会することがあるかもしれない。でも、仮にわたしがふたたび異世界へ旅立つことがあろうと、リュントくんとはもう会えない。
……ただ、まだ自宅の1LDKではなかった。神さまに声をかけられた、乳白色の空間。
「お疲れさまでした、ちさとさん。あなたならひょっとして、犬人の刑期満了まで持っていくかもと思ったけど、あと1回2回は必要そうだね」
どうして毎度、人の真うしろから話しかけてくるんだこのゴッドは。
「めっちゃ大変だったんですけど!? 聞いてた話とぜんぜん違うし!」
「いや聞かれなかったし」
くわっと振り返って食ってかかるも、性別不詳の美人神はまったく悪びれた様子がない。
「そもそも、あなたいったいどこの、なんの神さまなんですか?」
「あ、それ訊く?」
「なんですか、訊かれちゃまずいんですか」
「いやそういうわけじゃないけどね。あなたたち地球人類と似てる猿人タイプの人型生物が住んでた世界の神さまやってたんだけど、犬人に侵略された上に、その後の次元間戦争で滅びちゃって。いまとなっては家なきゴッドなわけです」
絶句。
回答ななめ上! リアクションのしようがないじゃん。
「だからほかの神よりヒマなんで、連絡役とか調整役とかやってるんですね。あと、見た目がこのとおりなんで、地球人のかたに話しかけても驚かれたり怖がられたりしづらいから」
あっけらかんと、神さまは話をつづける。思ってたよりヤバいのが出てきたな。
「……神さま的には、犬人が近代ループから抜けても、いいんですか?」
「そもそも悪いのは犬の神だったわけだし? われわれ神からすれば、ほかの世界のことなんて、存在するのはわかってても、まじまじと観察とかはしないものだったんだ。実際に次元の壁破られて相互干渉するまでは、よそのやりかたってのも気にしてなかったわけだけど、やっぱりあの神はまともじゃなかった。いまの犬人たちの意思が『われらが神を解放して帝国再建!』とかだったりしたら、あと10万年反省してろってなるけど、そういうわけでもないし」
神さまだからというべきなのか、さばさばしたものだ。
「地球って、現在神さま不在だとか聞きましたけど、だから中立の第三者の選出先に決まったんですか?」
「いや、たまたまだよ。われわれが既知の範囲として把握している多層連関宇宙内に存在する次元穿孔技術は、犬人のもののみ。こちらの紛争に関与したことのない世界を求めて次元を掘ってみたら、1個目で見つかったのが地球ってだけ」
「……わりと雑ですね」
「まあ、手当たりしだいに異世界連結したら、好戦的な住民の多いところに当たっちゃうかもしれないしさ。地球人類は、次元超越技術手に入れたら、わりと危ないよね」
……反論しづらい。
「あなたは地球の神さまになるつもりとか、ないんですか?」
話題を変えてみると、神さまは苦笑気味に肩をすくめた。
「神っていうのは、信仰してもらってなんぼだからね。信じる者は救われる。裏を返せば、眷属を、信徒を救えなかった神に資質はない」
「すみません……デリカシーのないものの訊きかたでした」
「べつにいいよ。気にしてないって言いかただと無責任になるけど、うちの世界みたいな例があるからこそ、みんなあらたな争いの火種が生まれないよう真剣になっているわけだし。無駄ではなかった」
無駄な犠牲ではなかった……と思いたい、のかな。神さまの心情を正確に推し測ることは、人間のわたしには無理だけど。
そういえば、犬人の世界に送り出される前に、アカシックレコードがどうたらって話はしてたっけ。
自分たちの世界が滅びる未来が、あらかじめわかっていたんだろうか。もしかしたら犬の神も、自分の敗北と破滅が視えていて、それに抗いつづけた結果、こうなったのか。
ことによっては、地球の神さまも、運命になにか思うところがあって自分の世界を離れてるのかしら。
……ま、考えてもしょうがないか。神ですら破滅を防ぎきれないなら、人間の身ではどうにもならない。
「さて……聞いてみたいことはまだまだ尽きないですけど、そろそろ帰りますね」
「はい、このたびはご協力ありがとうございました、ちさとさん。もうないとは思うけど、もしまた機会があったら、宝くじの3等の番号くらいは教えてあげるね」
「……1等じゃないんだ」
「お金っていうのは、いろんなことの必要条件ではあるけど、十分条件じゃないから。とりあえず、今回の報酬でたくさん楽しんでね、ちさとさん」
「報酬……?」
「召命報酬はあるって話したでしょ? すぐにわかるよ」
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今度こそ自宅で目が醒めた。枕元の時計を目ぼけ眼の前に持ってきてみると、たしかに水曜日の朝。週が変わってるとか年が変わってるとか、そういうトンチもなし。
時刻は6:15――ちょっと早いな。もうすこし、ゆっくり寝かせてくれてもよかったんじゃないの神さま?
それにしても……一夜の夢とは思えない濃さだったなあ。現地時間としても、丸1日はあっちの世界に滞在してなかったはず。
数千年間におよぶ多層世界の興亡がのしかかったけど。なんか肩凝ってる気がする。
ふわ〜〜、と伸びをしたら、なにかがわたしの左脇腹のあたりで、もぞっと動いた。
「……ぅえっ!?」
あわてて起きあがると……そこには子犬ではなく、しかし成犬にはまだ間のある、育ち盛りの齢ごろのわんこがいた。黒柴の。
「え……リュントくん……?」
「あうっ」
報酬って、こういうことだったの!?
涙がぼろぼろっと流れてきた。犬人ではなく、確実に地球産のわんこの身体だけど、リュントくんだ。
「よ"がっ"た……もう会えないんだとばかり……リュントくーんッ?!」
泣きながら抱きつこうとしたわたしを素早く躱し、リュントくんは部屋のすみに逃げる。
「あれ……なんで……リュントくん、なんだよね……?」
「ばうぅ……」
リュントくんは「なんだこの女、朝っぱらからいきなり泣きだしたり……怖っ」って感じの顔になっていた。
……泣き笑いのまましばらくリュントくんとにらめっこして、なんとなく状況がわかったような気がしてきた。
〈犬人としてのぼくの意識と記憶はこの超意識と一体化しますが、魂魄のすべてが取り込まれるわけではありません〉
たしか、リュントくんは最後にこう言っていた。つまり、この子はたしかにリュントくんの魂の一部を引き継いでいるけれど、リュントくん自身の記憶や意識を持っているわけではない。
「えへへ、ごめんね、取り乱しちゃって。おいで、リュント」
「あうっ」
今度はちゃんと飛びついてきてくれた。かわいいー!
ああー……これはしあわせだ。神さま最高の報酬をありがとうございます。わんこをモフるのしばらくぶりだなあ。
「……あ"」
「わう?」
って、そういえばここの物件、ペット不可じゃなかったっけ……。
夢心地のとこにバケツの水ぶっかけられた気分で、リュントを抱えたまま立ちあがる……と、ガラス戸の向こう、ダイニングテーブルの上に、なにか書類が広げてあるのが目にとまった。昨日の夜は絶対なかったものだ。
寝床から歩いて7歩のダイニングキッチンへ行ってみると、テーブルに広げてあったのは賃貸契約書だった。ふだん書類入れの奥から引っ張り出したりすることは絶対ないやつ。
……ペット可になってて、しかもちゃんとリュントが登録されてる!
書いた覚えないのに、ばっちりわたしの筆跡だよ。わたしはここ半年ほど、リュントと一緒に暮らしてたことになってるな。月の家賃が3000円上がってるけど、このくらいは許容範囲。
すこしばかり、現実が改変されているようだ。サンキュー神さま。
犬用品の数々もそろっている。わたしが実家にいたころ使っていた、なじみのものだ。……あの子らにも早く会いたいな。今年は、年末といわずお盆にも帰ろうか。リュントといっしょに。
「よし……30分は時間ある。おさんぽ行こうか、リュント」
「あうっ!」
――こうして、わたしの一夜の大冒険は幕を閉じ、あらたなパートナーとともに、昨日までとはちょっと違う日常が、ふたたびはじまった。
おしまい
短い話でしたが、最後までお付き合いいただきありがとうございます。
犬正ロマンだ!いろんなわんこがいるんや! で深いこと考えず、ほのぼのしようと始めたハズの話だったのですが…。
「どうして住民の外見に明確な犬種の差があるの? 犬種間通婚禁止のディストピアなの?」
などと脳内編集部が無用な〈なんでマン〉化してしまい、面倒くさいことばかりツッコミおってからに! と応戦しているうちにいつもどおりになってしまいました。
ここまで付いてきてくださった読者さまは、私の持病に耐性があると信じて開き直ります(そろそろ消毒されろ)。




