い
今年は短め(予定)
何故だろう。最近視線を感じる。
木上櫻子がその視線を感じ始めたのは高校生になってからだった。今年の四月から、たまに後ろから射抜くような視線を感じることがある。
今は八月。四ヶ月に渡りそんなことを感じたのなら、何故誰にも相談しなかったのか、と言われるだろうが、最初は頻度が高くなかったのだ。夏、七月終盤、それこそつい最近まで気のせいだと思っていたのだ。
一ヶ月に一回だったのが、ここ数日で十回は超えている。これはもう異常事態だ。とはいえ、ストーカーや犯罪者だとして、櫻子に危害を加えてくる気配がないし、まずその視線の主の姿形もわからないのだ。この状態で視線を感じる、と相談して警察沙汰にでもしてみろ、自意識過剰女として恥をかくに決まっている。
故に、櫻子は確固たる証拠が掴めるまで、この違和感を自分の中にだけ秘めておくことにした。
しかし、こんなに視線を感じているのに、視線の主の姿は何度振り返っても見当たらない。気のせいにしては殺意のような強い意識の塊をぶつけられているのだ。一度くらい、それらしい人物の人影くらい見えてもおかしくはないだろうに……と思うくらいの頻度で、櫻子は視線を感じていた。
しかし、この事件は意外なところから糸口が見え始めた。
「さ、さ、さくらちゃん」
「どうした? メアリー」
櫻子に声をかけてきたおどおどとした少女。ショートカットとはいえ、充分に大和撫子な容姿をしている櫻子とは対照的な金髪蒼眼の少女は、名を瑞江芽亜里と言った。見た目通り、外国人とのハーフである。
同じ高校に通う櫻子と芽亜里は幼なじみでもあり、それは小学校に入るより前から続く長い縁であった。
ご覧の通り、芽亜里は臆病な正確で、人目を惹く自分の容姿を気にしている。今時ハーフだのクォーターだのは探せばごまんといる時代なのに、外国人の血が流れていることを揶揄されるのが怖いらしい。それを憐れんだわけではないが、櫻子は芽亜里を放っておけず、友達として関係を紡いでいる。
櫻子はさばさばしていて、ちょっと勝ち気なところのある少女だ。幼い頃からそうで、彼女にはカリスマもあり、彼女を慕う者は多くいた。彼女は特に誰を贔屓するでもなく、ただ自分の意志と倫理に添ってのみ過ごしてきた。
そんな櫻子を慕っているのか、芽亜里はなんだかんだずっと一緒にいるし、登下校を共にしていたりする。
引っ込み思案なため、自己主張の少ない芽亜里の方から櫻子に声をかけてくるのは極めて稀だった。だからというわけではないが、櫻子は芽亜里の主張を聞くことにした。
櫻子が聞く姿勢を示したにも拘らず、おどおどの抜けない芽亜里が、あのねそのねと三回くらい繰り返し、いい加減焦れてきた頃、芽亜里は大きく息を吸い込んで、意を決したように一息に言う。
「こないだからそこかしこで、不気味な人形がこっち見てるの!」
主張するとなると、思い切りをつけるので、芽亜里の声はでかい。至近距離で聞いた櫻子が思わず耳を塞ぐ程度には。さりとて、内容はそこそこに重要だった。
芽亜里がそろそろと震える腕を持ち上げて、ある一点を示す。
「今だって、ほら、そこに……」
芽亜里の指が指す先を櫻子の視線が辿る。
その延長線上には、さて、確かに奇妙な人形が鎮座していた。ただ、少し遠いのでその人形の詳細な見てくれはわからないが、薄汚れていて、ぼろっとしている。片目が取れかけているその様は、なるほど確かに不気味であった。
「こないだって、いつからだ?」
「ここ一週間、よく見るようになったの。最初は誰かの落とし物かなって思って届けようと思って近づいてみたんだけど、近づくといつの間にかなくなってるの。見間違いかなって思ったんだけど、最近になって、何度も何度も時も場所も選ばないで現れるから、怖くて怖くて怖くて……うぅ……」
櫻子にそこまで話したところで、芽亜里の恐怖に限界がきたようで、めそめそと泣き出してしまう。
それはそうと、櫻子はこれに引っ掛かりを感じていた。もっと詳細に聞いてから判断したいところだが、どうやら櫻子が視線をよくよく感じるようになったのと、この人形が頻繁に現れるようになった時期は同じくらいのようだ。とても偶然とは思えない。
一つこの推測に穴があるとするならば、これまで視線を感じて振り返ったとき、櫻子がこの人形に一切気づかなかったことだ。これだけの異様な雰囲気を醸し出していれば、目に留まりそうなものだが……
まあ、人それぞれ、感受性とは違うものだ。芽亜里は人一倍周りを気にするし、怖がりなきらいがある。その怖がりの感受性が、不気味なものを見つけやすくしたのかもしれない。
櫻子は自分につきまとっていた謎の手がかりを発見できたので、芽亜里と状況の擦り合わせをすることにした。
「実はな、私も、こないだから視線を感じるようになって、気になっていたんだ」
「視線?」
「そう、悪意ある視線だ。私は後ろめたいことなど何もしていないから、気にすまいと思っていたんだが、どうにも最近気になってな……どこの誰とも知らないやつにずっと見られているのかと思うと気分が悪くて」
簡潔に感じていることをまとめて伝えると、芽亜里はひえっと悲鳴を上げた。話の流れから自分がした人形の話と結びつけたのだろう。
「つまり、さくらちゃんは、あの人形がその視線の正体だと思ってるの?」
「そうなるな。おそらくメアリーがあの人形の存在に気づいたのと私が視線を強く感じ始めた時期は一致する」
何を示すのかはてんでわからないのだが。
そもそも、不気味な人形の正体もわからないのだ。オカルトの類だろうか、と思われる人形は雑に作られた毛糸の髪に緑のボタンでつけられた目が片方取れかけである。鼻らしきはなく、口はにっこり笑っているが、継ぎはぎで縫われているのがまた不気味だ。
試しに櫻子が近づいてみるが、芽亜里の証言通り、近づいた、手が届くだろう、といった距離でその姿を見失ってしまう。
これでは実質何の手がかりもないのと同じだな、と櫻子が頭を抱えたとき、二人の肩にぽん、と手が乗る。
「なあ……」
「ひぎゃあああああ!!」
「!?」
突然の刺激に冷静な櫻子も驚いたが、芽亜里は極限まで高められた恐怖の影響により、奇声といってもいいレベルの悲鳴を上げ、泡を食って倒れてしまった。こんな漫画みたいな反応するやつ本当にいるんだな、と櫻子は一周回って冷静になり、芽亜里を助け起こしながら、手と声の主を見上げた。
見慣れた憂鬱そうな顔の男子は、芽亜里の反応にドン引きし、溜め息をこぼす。
「そんなビビんなよな……人間だっつーの……」
「アキラ……」
日野渡諦。日々の全てが鬱陶しく、陰鬱で、生きているのも面倒くさそうに過ごしているような少年。彼も彼女らの幼なじみである。小学校くらいまでは外遊びをしていたが、中学に入ってからはどっぷりゲーム沼にはまっているアニメや漫画などによく出てきそうな典型的陰キャタイプなのに、クラスカーストではそこそこ高い位置にいる、というのは長年付き合っても解き明かせない迷宮入りの謎だ。
コミュニケーション能力が特別高いわけでもないのが、謎を深めている。が、櫻子、芽亜里、諦は幼なじみで腐れ縁といっていいほど長い付き合いなので、今更諦が普通に話しかけてくることを櫻子は不思議に思わない。おそらく芽亜里もそのはずなのだが、今はタイミングがよくなかった。水に流してもらうしかない。
「なんだよ、声かけただけだろ」
「確かにそうなのだが、実は……」
まだ泡を吹いたまま立ち直れない芽亜里に代わり、櫻子が事の経緯を説明した。
すると、あー、うーん、といった要領を得ない相槌が返ってくる。関心がないというにもあるというにも微妙な反応だ。
「実はさ、オレ、最近妙な声が聞こえるんだよな……」
「頭大丈夫か?」
「相変わらず辛辣だな……」
櫻子の失礼な応対に、しかし諦は慣れていた。まあ、未就学児時代から続く仲である。互いの性質くらいは理解していた。
諦は両手を上げて肩を竦める。
「そりゃ、オレだって最初は頭打ったかな、とか、幻聴かな、とか、疲れてんのかな、とか色々思ったさ。けど、最近頻度がいきなり高くなったんだ。幻聴にしろ、限界だよ……そこで、さっきのお前らの話が聞こえてきたんだけど」
「関係ある?」
胡散臭そうに櫻子が眉根を寄せると、諦がなさそうなら気にも留めなかったさ、と反論した。
「その声、お前らが人形があるって言ってた辺りから聞こえてきたんだ。ちっちゃい子どもの声で『あそぼ』ってさ」
確かに、振り返れば、不気味ではあったが、人形は子どもっぽかった。逆に大人っぽい人形の方が少ないだろうとは思うが、人形の頭身的にも、子どもと言って差し支えないだろう。
時期も櫻子や芽亜里と一致する。櫻子は視線を感じ、芽亜里は姿が見え、諦には声が聞こえた。これらを偶然の重なりと考えるには、あまりにもできすぎていた。
「アキラ、人形は見えたのか?」
「ボタン取れかけの目をした人形だろ? さっきいたやつ」
ふむ、これで概ね間違いはないだろう。これはオカルト現象かもしれない。しかも、櫻子たち三人の間だけの。
この話題をそこそこ長く話していて、芽亜里などは異常な怯えを見せ、倒れたりと派手な反応をしているのに、周囲は我関せずというか、心当たりが一切ないようだ。あったなら他にも声をかけてくる人物が続出してもおかしくない。それなら、これはオカルトではなく、何者かの悪戯と現実味のある片付け方ができただろう。
しかし、周囲は三人の話題に反応を示さないし、関心があるようでもない。オカルトに興味のある人材がいたなら、別な意味で興味を持っただろうが、残念ながら、このクラスにはそういった趣味を持つ者はいない。
「オカルト現象か……都市伝説か何かが絡んでいるのか?」
「的をオレたち三人に定めているのも引っ掛かるけど」
「ええええ、怖い話なの!?」
この様子だと、芽亜里は役に立ちそうにない。かといって幼なじみにいつまでも怖い思いをさせ続けるほど、櫻子も諦も性根は腐っていない。
「今日の夏期講習が終わったから、晴れて夏休みを謳歌できる。メアリーもアキラも私も夏休みの宿題は先月のうちに終わらせたろう? 残る休みはこれを解明しよう」
「賛成。暇だし」
「そそ、そうだね。いつまでもこんな気味の悪いことは続いてほしくないよ……」
三人の意見が一致し、夏休みにやるべきことが決まった。
それが「あちら側」の舞台を整えたとも知らずに……




