1-1. 穴
1-1. 穴
泉の湧くその村は、時々家族連れがピクニックに訪れる。今日もそんな晴れた日だった。
10歳になる俊太郎は両親と、泉のほとりにピクニックに来ていた。妹は、微熱を出したため、三人で来たのだ。
「俊太郎、お弁当、食べないの?」
「えーお腹いっぱい。」
「おやつばっかり食べるからよ。しょうがないわねぇ。」
母は呆れながらも優しく子供の相手をしていた。
「刀を持って龍を倒せるようになりたいんだろう?ちゃんと食べて魔物も倒せるようになろうね。」
「ならなくても良いもん。」
俊太郎はおやつを食べ過ぎてしまって、満腹だった。
父がたしなめるが逆効果のようだ。
「だって…。お弁当と強さは、関係なくない?」
俊太郎は、反抗期なのか小理屈を捏ねた。両親は肩をすくめて笑った。ふと、虫や鳥の声が静かになった。
武芸の心得が多少ある父親が、振り返って周りを確認した。
その時だった。
ブォン…空気が揺れた。
泉のほとりの中空に、大人の腕で作るより少し大きな穴が開き始めたのだ。
「な、何だこれは?」
父親が異常を察知する。
「何?何かしら?」
母も焦り始めた。
グ、ギ、ギ、
目が吊り上がり、耳が長い緑の小鬼が穴から顔を出した。ヨダレを垂らし、目を血走らせている。
――これがゴブリン?
絵本で見たゴブリンとは、何か違った。俊太郎は身を固くした。そいつらは見る見るうちに次々と穴から這い出した。父親は護身用ナイフを手に取るが、刃渡は短く、護身用になるかすら怪しい。
「目が血走っている。いかん!」
あっという間に5匹が出てきて、母親を追い掛けた。
「誰かぁ!」
母が悲鳴をあげた時には五匹が母に群がっていた。
「母さんから離れろ!」
俊太郎は必死にゴブリンに組み付いた。
が、しょせん子供――
相手にされずに放り投げられた。俊太郎は、転がった。
「離れろ」
すぐ父がゴブリンを二匹刺して、剥がすと母はよろめきながら駆け出した。
「俊太郎!」
母は俊太郎の手を引いて走った。
「逃げろ!」
と言った父の顔面にゴブリンが視界を奪うようにかぶさり、複数が脚に抱きついた。あっという間に父は転倒させられた。
「あなた!」
「父さん!」
ゴブリンは騒ぎながら父の喉笛を噛みちぎってしまった。
「いやぁぁぁ。」
母は今にも倒れそうになった。
鮮血が高く吹き出した。
真っ赤な血潮が、俊太郎の目に焼き付いた。
全ての音が止まった。
ゴブリンなんか、弱っちく…父は強い…はずだった。
ーー逃げなきゃ、死ぬ。
俊太郎は、母の背中を叩くと、
「逃げよう!」
と言った。
母はふと我に帰り、頷いた。
「警備隊の所まで、逃げなきゃ。」
母子は、必死に逃げに逃げた。
遠くに、怒号と喧噪、剣戟や足音がこだましていた。気づけば、村の男達が総出でかかっていた。男衆達が、肩を支え合って戻ってきた。
「魔物は…全部、退治しました。」
色の黒い男が、かすれた声で報告した。
母はようやく、警備隊員から水をもらうと、二、三杯 飲み干した。そして、俊太郎の背中に付いていた砂埃を払い、彼にも水を飲ませたり、背中をさすったりした。俊太郎は、膝の震えが収まっていくのを感じた。
そうやって、ようやく村人が日常生活の歯車を回し始めた頃、隊員達が、父の遺体を寺に担ぎ込んだ。父はもう冷たくなっていた…。
「あなた…。どうして?」
さきほどやっと俊太郎の世話を焼ける様になっていた母であったが、無言の再会で再び号泣した。俊太郎は、父に縋りついて泣く母の背中をさすった。
「父さんでも勝てないのかよ…そんなの、どうすればいいんだよ…」
俊太郎は、両目からは涙が止まらなかった。警備隊員も遺体に頭を下げてくれた。ふと、俊太郎は、弔問に来た隊員の腰に下がっている刀が目に入った。
――刀。
助かりはしたものの、数週間、悪夢にさいなまれる日々が続いた。やがて日が経つにつれて、刀を持った大人に自分も混じって、夢の中ではゴブリンを倒すようになっていた。夢に過ぎないのは子供ながらに分かっていたが、夢の質が恐怖から勝てるように変わった頃、俊太郎はうなされなくなった。
妹の体調も戻り、祖父母との同居によって少しずつ生活が落ち着いた頃、俊太郎は、母に
「俺も警備隊に入る。刀で、龍だって倒す。」と言った。
その日から村では、朝になるとゴブリンのみならず、コボルトなどの低級魔物が湧くようになった。威嚇しても、切り捨てても、それでも向かってくる。いくら駆除しても、穴が消えそうな気配はなかった。泉の村からは、親戚を頼って、他の村や町に移るものも現れた。
人々は「もうこの村は終わりだ…」と恐怖を口にした。
そして、多くの者が、こう思った。
――これは、始まりに過ぎないのではないか。




