欺瞞
クメル洞窟地下の最下層にある司令室で、執務机を挟んで男女が対峙していた。一人は医療機器と工作機器の城の主、テレサであり、もう一人はこの部屋の主、エイスだった。テレサは緊張した面持ちで、エイス司令が彼女が提出した報告書を読み終えるのを待っていた。
執務机に置かれたディスプレイから顔をあげたエイス司令はおもむろに問い掛ける。
「それで、君の見解を聞かせてもられるかね」
「はい。ベル工作員は我々には解明できない何らかの手段で、自分の記録を改変できるのではないかと推測しています」
テレサの声には不安と緊張で震えていた。自分の発言が科学者にあるまじき、突拍子もないものだと自覚しているからだ。
テレサは規定の作業として、イズレル旧市街地の任務から帰投したベルの脳内に埋め込まれた記録装置から、任務中の全行動記録の採取を行なった。そして再強化の処置を行おうと身体の負荷を計測した時、違和感を感じたのだ。
「彼女の記録から解析した負荷と、身体の測定で得られた負荷の食い違いは、記録の改変に由来するものだと言うのだね」
「はい」
直接測定した身体の負荷に嘘の介入する余地は無い。であれば行動記録のほうに嘘があると考えなければならない。それがテレサの結論だった。どうやれば改変できるのか、全く見当もつかないが。
「どの様な改変がされたか、私見で構わない、話してくれたまえ。テレサ君」
「まず、今任務の全行動をその節目を境にして要素分けしました。次に各要素の映像・音響から動きの速さ、かかる衝撃を解析し、身体の各部への負荷の推定を行いました」
テレサが説明する調査方法を、エイス司令は口を挟まずに聞いている。
「どの要素であっても、それが丸ごと嘘であった場合、本来の動作を再現することは、不可能とは言いませんが、とても時間がかかります。
そこで、要素内の行動は実際に起ったことを元にしていると仮定しました」
「それは、たとえば行動に掛かった時間だとか、そういうデータを修正したと。つまり、何かを隠す為に消去し、その前後の記録を整合性が取れるよう修正した、という解釈で間違いないだろうか」
「はい、その通りです。その仮定から、改変し易い要素を要素優先的に解析した結果、これは、と思われる要素が一つありました。帰投時の移動です。
とは言え、この仮定が真偽は不明のため、現段階で確実に言えることは何もありません」
ふむ、と声を漏らしてエイス司令はしばらく黙り込む。
「何故帰投時の移動に着目したのか、理由を教えてくれたまえ」
「はい。帰投に要した時間は彼女の通常時の帰投速度によるものと一致しました。しかし更に高速で移動し、掛った時間を短縮していたと仮定すると、負荷測定値との一致度が上がることが判明したのです」
「そうして稼いだ時間で他の何かをしていた、ということだね」
「それが何かは分りませんが。差分パターンは移動によく似ています」
地下街を出てから帰投までの間にどこかへ行っていた、それが現時点でのテレサの得た感触だった。
「これだけでは、彼女を尋問する理由には足りないだろう。測定誤差だと言い張られれば反論はできない」
しばしの間、考えるような目付きをしていたエイス司令は決定を下した。
「だが、監視を強化しよう。今、彼女の専属として監視しているのは……」
「情報部隊のフォルテです」
司令はフォルテの性能データをディスプレイに呼び出し検討しはじめる。
「彼女ではベル工作員の行動速度について行けないようだ。そちらは私から指示を出す。
テレサ君、君は記録の精査と改変手段の調査をしたまえ」
「了解しました」
自分の意見を聞き入れてくれたことにほっとしたテレサは安堵の表情を浮べながら司令室を退出した。
ベルに関する報告書を、再びディスプレイに表示させた司令は微かな笑みを浮べながら一人呟く。
「ベル、君は何時から何を隠しているのかな」
司令の見ている映像には一瞬だけ一人の少女が金狼に連れ去られる様子が映し出されていた。
その少女の瞳は黒く、切り裂かれた衣服から覗く左肩には傷一つ無かった。
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マリアを遺跡にある古代の研究所へ送り届けてから、レナスキタ本部への報告を済ませたベルが隠れ家に戻ったの、陽も大きく西に傾いた頃だった。
玄関の扉を開けようとしたベルは隣家の女性に声を掛けられた。
「しばらく見なかったわね。お仕事忙しそうでよかったじゃない」
女性の名はフォルテ。ベルがここへ越してきた時からの隣人だった。今は庭の手入れをしていたようだ。
「こんな時代ですから仕事があるって嬉しいことです」
しばらく取り留めのない世間話をして、またね、と言い合いながらベルは玄関をくぐった。
隠れ家の居間に落ち着いたベルは、さて、とこれからのことを考える。マリアが能力を発現させるまでの時間、隠れ家を抜け出す日時、マリアと打ち合わせる時間等々を詳細に検討を重ねひとつ、ひとつ、慎重に決定していった。
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ベル工作員監視報告書
報告者:情報部隊 フォルテ
監視対象者の帰投の次の日を一日目とする
一日目:
監視対象は一日中隠れ家で過す。
午後、茶菓を持って様子伺いに行く。彼女の家で喫茶して二人で時間を過す。
お手洗いなどの用事を作って短時間ではあるが宅内の監視装置への偽装工作等を確認するも異常なし。
深夜消灯
訪問者は他に無し
外部からの連絡は無し
二日目:
監視対象は午前中隠れ家で過す。
正午、外出。以降帰宅時までの報告については別情報員の報告を参照のこと
夕刻帰宅。食料品を購入した模様
深夜消灯
訪問者は無し
外部からの連絡は無し
三日目:
監視対象は一日中隠れ家で過す。
監視映像からは読書している事を確認
深夜消灯
訪問者は無し
外部からの連絡は無し
四日目:
監視対象は一日中隠れ家で過す。
午前、テラスにて喫茶。庭の手入れを装い挨拶を交す。
正午、外出。以降帰宅時までの報告については別情報員の報告を参照のこと
夕刻帰宅。衣料品を購入した模様
深夜消灯
訪問者は無し
外部からの連絡は無し
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『緊急。隠れ家に監視対象ベルの姿が有りません』
ベルがイズレル旧市街地の任務から帰投して五日目の早朝。その緊急報告はフォルテから情報部隊へ上げられた。
緊急報告を受けた情報部隊は司令へ第一報を上げると共にフォルテ以外の監視員達へ隠れ家への踏み込み捜査を指示した。彼らの報告からは夜間時の外出が無い事、隠れ家には誰も居ない事が確認された。
第一報を受けた司令は直ぐ様、数日前のテレサの推測を元にイズレル旧市街地からの捜索を捜索部隊へと指示、同時に同市街地での待機を殲滅部隊に命令した。
殲滅部隊への命令にはベル工作員発見後の捕縛乃至破壊が付け加えられていた。