宰相アルドベリク⑥
『イヴァンナ様も同行されていたとか…』
そう遣いの者から報告を受け、不思議に思った。
シルベールはイヴァンナも連れて逃げたのか…。
陛下からの寵愛を失った今、あの女などシルベールにとってはただの足出纏いにしかならないと思っていたのだが…。
ジュリアスがイヴァンナと閨を共にする事が無くなってから既に半年以上が経つ。
当然の事だがイヴァンナに懐妊の兆候は出ていない。それなのに何故、奴はあの女を連れていったのか? 考えられるとすればあの女にはまだ他に何か利用価値があるか、それとも彼女がシルベールにとって余程明かされては困る何か重大な秘密を握っているか……。
そう考えてふと思った。
明かされては困る重大な何か……。
もしそんなものがあるのだとしたら、それは一体何なのか。
その可能性も考え、一度イヴァンナの事も詳しく探ってみる必要があるのではないかと考えた。もしかしたら屋敷に残っている使用人たちが何か知っているかも知れない……。
私はシルベールの屋敷の使用人たちに話を聞いてみようと思った。
だがその前に、この国の宰相としての仕事をしなければならない。
イヴァンナは今回、更に罪を重ねた。
「陛下、シルベールは兎も角、側妃様は王族の身分をお持ちです。そのお方が許可も無く有事に王都を離れられた。これは由々しき問題です。お分かりですね?」
「………ああ、分かっている…」
彼は瞳を伏せ、戸惑いながら頷いた。
「では、いざと言う時、庇い立てなさいません様に…。そもそも側妃様が侍女長に命じ王妃様を死なせたのです。その上、今度は側妃の立場にありながら王都を捨て逃げた。自分がその原因であるにも関わらずです。彼女には最早助かる道など無いとお覚悟下さい」
私はジュリアスに釘を刺した。彼の先程の言動を聞く限り、あんな女でもまだ、イヴァンナに対する情が残っている様に思えたからだ。
その後、私達は会議を続けた。
「だが、ジルハイムへ王妃様の死の真相を正直に知らせたとして、本当に彼の国は物流を再開などしてくれるのだろうか? 何しろ1国の王妃を…然も彼の国の王女を餓死させたのだぞ。話した所で怒りを買うだけであろう? 然も、今度はジルハイムだけでは無く、他国にも国民にも王妃様の本当の死因が伝わる。それがこの国にとってどの様な影響を齎すか…」
大臣の1人が不安そうな顔でそう発言した。
この状況でまだそんな言葉が大臣の口から出て来るのか?
私は辟易した。
そのセリフはあの日。アルテーシア様が亡くなった時、陛下が吐いた言葉にそっくりだった。
「では、また保身に走り別の理由を探すのですか? 貴方は王妃様の死にのみご関心がある様ですが、その僅か2週間前、王妃様付きの侍女も亡くなっているのです。ジルハイムから来た人間が2人続けて亡くなった。その事に対して、彼の国が納得するだけの明確な理由を示せますか? 嘘に嘘を重ね、それがまた嘘だと知れたなら、今度こそジルハイムはロマーナを許さないでしょう。これ以上この国の物流が止まれば、国民達は皆、食べる物がさえ無くなりいずれ死に絶えるでしょう。貴方は貴族として、領主として、また大臣として、これ以上民を苦しめるのですか!? 分かっていて貴方は今、その言葉を吐いたのか!?」
私は声を荒げた。
普段から感情を余り表に出さない私が大声を上げた事で、場は水を打ったように静まり返った。
「……もはや真実を正直に話して謝罪し、後はジルハイムの判断に委ねる以外にこの国に道がありますか?」
私はそこに集まった貴族達に問いかけた。
最早、誰からも何の発言も、反論も出なかった。
会議が終わったのは既に深夜に近かった。
流石にこの時間からシルベールの屋敷に向かうには無理がある。代わりに私はその足で王宮図書室へ向かう事にした。
王宮図書室には、国中の貴族に関する書籍や系図などありとあらゆる情報が網羅されている。
私は側妃イヴァンナの生い立ちにについて詳しく調べ始めた。
その過程である事実に行き着いた私は、信じられない思いで目を見張った。
「まさか……そんな……。もしかしたらエラルド陛下はこの事実を知っていたのか……?」
エラルド陛下が2番目に迎えられた側妃、名をアイシスと言う。
彼女には既に亡くなっているが、双子の姉がいた。彼女の名前はイリス。
驚いた事に、そのイリスが嫁いだ先がロレット伯爵家だった。そう……アイリスの姉イリスこそが、イーニア・ロレットの母親だったのだ。
つまり側妃アイシスはイーニアの血を分けた叔母と言う事になる。
だがそんな話、宰相である私でさえ聞いたことがなかった。
…………それはつまり秘匿とされていた? それ以外には考えられなかった。
ではなぜ秘密にされていたのか?
それもまた1つしか答えは思い浮かばなかった。
そこに触れられたくない何かがあるからだ。
私は更に詳しくロレット家の系図を読み込む事にした。するとまた、あり得ない程の偶然に行き着いた。
「え? 何だこれは……」
そこに記されていたのは、アイシスがエラルド陛下の側妃となった同じ年に、イシスは亡くなっていたと言う事だった。
偶然が重なって行く。
今度は貴族学園の卒業生名簿を手にした。
アイシスとイシスは双子。つまり同じ年に貴族学園に入学したはずだ。だが、名簿に記されていたのはアイシスただ1人だった。
そんな馬鹿な……。そう思いアイシスが卒業した前後5年分の卒業名簿を手に取るが、どこにもイシスの名前はなかった。
ではイシスはは貴族学園に通っていなかったと言うことか……?
だが一体何故? 彼女たちは双子だ。どちらか一方だけを学園に通わせる。それはあまりに非情な行いに思えた。何故彼女達の親はそんな事をしたのか……?
その理由が知りたかったが、既に彼女たちの両親は2人とも他界している。
ここまで来ると、私はそのイシスと言う令嬢の事が無性に気になった。
私は気になったなら自分が納得いくまで調べれば気の済まない太刀らしい。私は双子の妹であるアイシスを訪ね、イシスの話を聞いてみようと思った。
だがその前に、アイシスをよく知るであろう人物を思いだした。
伯母だ。彼女とアイシスは正妃と側妃とし共にエラルド陛下の側にいた。アイシスに会う前に私はまず、伯母に彼女の事を尋ねる事にした。
気がつくと空はすっかり白み初めていた。どうやら私はここで徹夜してしまったようだ。
だが、時間が惜しかった。
私はすぐに伯母の住む離宮へと向かった。私が調べた事を話すと、伯母は驚いて目を見開いた。
「アイシスがイーニアの叔母だなんて話、わたくしも聞いた事がなかったわ。だからそんな事、今まで考えたこともなかった……」
伯母は戸惑いながら答えた。
どうやら伯母でさえ、この話を知らなかったらしい。それがこの話の秘匿性を物語っていた。
「やはりアイシス様に話をお聞きするしかありませんね」
そう言ってアイシスの嫁ぎ先へと向かおうとした私を伯母が止めた。
「貴方の話を聞く限り恐らくただ事ではないわ。何せ当時王妃だったわたくしでさえ知らなかった話よ。きっと何か人に言えない特別な事情があるんだと思う……。アイシスの今の立場もあるわ。彼女を此処に呼び出して一緒に話を聞かない?」
確かによくよく考えれば伯母の言うように、此処ならば誰にも邪魔されずゆっくりと話が聞ける。
私は伯母の話に乗る事にした。伯母は直ぐ使用人にアイシスに手紙を持って行かせた。
その返事を待つ間、ここにいても仕方がない。
私は使用人達に話を聞くため、先にシルベール邸へと向かう事にした。