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94 今ならまだ

 花嫁選考会が再開される、と告げられたのは、あの塔での一件から二週間ほど過ぎた頃だった。

 皇宮の空気は、表向きは何事もなかったかのように整えられている。

 大理石の床は美しく磨かれ、窓辺の花は甘やかに香り、使用人たちは慌ただしさを悟らせないように動いている。

 一連の事件は「片づいた」ということになっている。

 皇宮を揺るがせた黒い影も、屋上から落ちた男も、すべては「賊が紛れ込んだ」で終わらせられた。

 ……塔から落ちかけた花嫁候補がいた、なんて話は噂にもならなかった。

 大国エルンスタールは揺るがない。

 民がそう望むからこそ、皇帝はそのように国を統治している。

 以前のリヒャルトだったら、真実が覆い隠されることに憤っていただろう。

 今だって、完全に納得しているわけではない。

 だが、それでも……少しずつ他者の抱える立場に、想いに、思考を巡らせるようになっていた。

 皇族という立場ゆえに、皇帝である父も、皇太子である義兄も、苦しんでいるのだろう。

 事件の後も、リヒャルトはエルゼと何度も逢瀬を重ねた廃教会を訪れていた。

 時折、見慣れない花束が添えられていることがあった。

 形状からして、エルゼが捧げたものではないだろう。

 父か、義兄か、それとも他の者か……誰かはわからないが、リヒャルトの母や妹の存在が忘れられていないという事実は、リヒャルトの心を少しだけ軽くした。

 何かが失われても、誰かが悲しんでいても、世界は今日も続いていく。

 ただ単に怒りや恨みをぶつけることだけが過去への向き合い方ではないと、リヒャルトはそう思うようになっていた。

 皇族としての使命を全うし、そのうえで国の体制について変えられるところがあれば変えていく。

 そう、リヒャルトは前を向けるようになり始めていた。

 まずは、再開される花嫁選考会に向き合わなくては。

 今回の事件で不安を覚え、辞退をし国に帰った花嫁候補もいると聞いている。

 だが、まだ残っている者もいるのだ。

 どんな結論を出すにせよ、彼女たちに対応しなければならない。

 会場にたどり着き、リヒャルトは部屋の中へと足を踏み入れる。

 あんな事件があったにも関わらず、残っている花嫁候補は皆美しく着飾り、リヒャルトを待っていた。

 ……自然と、リヒャルトはその中でたった一人を探していた。

 あの、強い意志を宿した瞳を。

 リヒャルトと視線が合うとぱっと輝く笑顔を。

 ……無意識に、求めていたのだ。

 だが、どれだけ視線を巡らせたところでリヒャルトの求める人物は見つからなかった。

 遅刻だろうか。どこか抜けたところのある彼女ならあり得ないことではない。

 今はシフォン――リヒャルトの亡き妹リーゼルが転生した精霊が傍についているから、よほど大丈夫だとは思うが――。


「リヒャルト殿下」


 女官が前に進み出て、恭しく頭を下げた。


「ご報告申し上げます。本日までに、三名の花嫁候補が辞退されました」


 女官は事務的な口調で続ける。


「ペッシェル侯爵家のカタリーナ嬢、トゥーレン王国のマルガ王女。そして――」


 女官はそこで一度言葉を切り、リヒャルトの方を窺ったのち……静かに告げた。


「エルンスタール王国のエルゼ王女。以上の三名、辞退となります」


 室内は水を打ったように静まり返っている。

 リヒャルトはただ、告げられた言葉を飲み込めずにいた。

 言葉が理解できない、という感覚は久しぶりだった。


(あいつが、辞退だと……?)


 出会ってからこれまでのエルゼの姿が脳裏をよぎる。

 祖国をリヒャルトから守るためにやってきた小国の王女。

 リヒャルトは彼女に出会い、振り回され、疑い、そして……救われた。

 当然のように、これからも傍にいるものだと思っていた。

 探さなくとも、あの笑顔を見られるのだと思っていた。

 それなのに、エルゼはもういない。


(いったい、何故……)


 わからない。リヒャルトには何故エルゼが「辞退」という選択肢を選んだのか理解ができなかった。

 だがここで思考停止し、歩みを止めるわけにはいかないのはわかっている。


「……わかった。選考の続きを――」

「お待ちください」


 リヒャルトの言葉は、途中で凛とした声に遮られた。

 皇族であるリヒャルトの言葉を遮るなど、この上ない不敬だ。

 一気に場の空気が緊迫したのが分かった。

 リヒャルトは怒りを覚えることもなく、自身の言葉を遮った相手を見る。

 リグナー公爵令嬢グロリア――皇妃最有力候補と言われる才媛が、何かを訴えるような目でこちらを見つめていた。

 彼女の立場なら、皇族の言葉を遮るのがどれほど不敬な行為かわからないわけがないのだろう。

 だが彼女はそれでも、リヒャルトを止めることを選んだのだ。

 視線だけで続きを促したリヒャルトに、グロリアは怯むことなく告げる。


「リヒャルト殿下、本当にこのまま選考を続けてよろしいのですか」

「……何が言いたい」

「この花嫁選考会、我々はリヒャルト殿下の皇妃となることを目指してここに集っております。皆、それぞれの魅力を持つ珠玉です。誰が花嫁に選ばれてもおかしくはない。ですが……結局最後にものを言うのは、リヒャルト殿下のお気持ちではないのですか?」


 彼女は苛烈な視線でリヒャルトを見据えている。

 まるで、リヒャルトがここに留まっているのが許せないとでもいうように。


「選考会を続け、この中の誰か一人がリヒャルト殿下の花嫁に選ばれたとして……あなたはそれで納得できるのですか? 今なら手が届くのに、みすみす逃がしてしまわれるのですか!?」


 リヒャルトはやっと、グロリアの言いたいことを理解した。

 思わず視線を逸らしたリヒャルトに、彼女は更に畳みかける。


「既に心に決めた相手がいるのに、その想いを押し殺して他の誰かを隣に置くと? そんなの、我々にとってもエルゼ王女にとってもひどい侮辱です!」


 常に悠然としたグロリアが、今初めて感情を露わにしてリヒャルトを叱咤している。

 更には、他の花嫁候補たちもグロリアに同調するようにうんうんと頷いているのだ。

 リヒャルトは驚いた。

 それと同時に、心のどこかで納得していた。


(これも、エルゼの力なのか……)


 彼女はどこからどうみても花嫁候補の中では異質だった。

 だが好意であれ嫌悪であれ、誰も彼女を無視できない。

 気が付けば意識が、視線が惹きつけられ、そして……いつのまにか好きになっているのだ。

 それは、グロリアも他の花嫁候補も同じなのだろう。

 リヒャルトはしっかりとグロリアに視線を向け、口を開いた。


「すまない」

「謝罪はエルゼ王女を連れ戻した後に聞きます。今はさっさと行ってください」


 淑女らしからぬ追い払うような仕草をするグロリアに、リヒャルトはふっと気持ちが軽くなった。


「行ってくる」


 そのまま、リヒャルトは花嫁候補たちの集まった部屋を飛び出した。

 今ならまだ、間に合うのだから。


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グロリアさん、アンタ佳い女だZE!(マジで)
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