1937年1月29日午前4時55分―同日午後4時22分
「近代兵器の発達と、際限なき人智の進歩とは一朝有事の際、吾人をして予測さえからざる突発事変の頻出を覚悟せしむ。此時にあり在郷軍人の統制ある団結犠牲的精神機敏なる行動は、一面においては国民の士気を振興し、他面には国民驚異の動揺を防止すべし。これ吾人が平素より国民の中堅をもって任する所以なり」
――林弥三吉
1937年1月29日午前4時55分
東京府四谷区内藤町 宇垣一成本邸
「組閣本部には麻布警察署以外にも近隣の部隊の出動を要請しているようで、最終的には数十名規模で哨戒と捜査にあたるとのことです。
こちらの宇垣閣下の本邸にも、入口に2名、庭に4名、そして近隣のパトロールに4名の警官をお借りして厳戒態勢を敷いております」
「その怪文書の内容は今朝吾君、分かるかね?」
「原書である葉書は警察側が押収しておりますが、書き写したメモはありますけれど……」
そう言われ手渡された端書きを手に取る。
『予備役陸軍大将宇垣一成儀1月27日急逝仕候につき此の段御通知申上候
追而葬儀は2月2日青山祭場にて神式にて執行可仕候 陸軍省・参謀本部』
そこには、そう書かれていた。
「……悪戯の類だな」
「相当悪質な類ですけれどもね。
怪文書の中身も問題と言えば問題なのですが、それよりもどちらかと言えば警備体制の甘さが露呈したことの方が不味いでしょう」
「――怪文書を投げ込めるということは爆弾を置くこともできた、ということか」
今朝吾君の様子を伺う限りは、この怪文書の送付主が私に対して実力手段を直ちに取る危険性は薄く、私への憎悪に駆られた突発的な行動だと考えているように見受けられる。
それでもここまで大ごとにして動いている理由は、今朝吾君自身が自分の考えが誤っていたときに取り返しがつかないということ、そしてこの怪文書投函の顛末を知った第三者が我々の警備の甘さを突き、実力手段を取るための試金石として利用されることを危惧しているからであろう。
「まあ、怪文書自体は大した事件にもなるまい。
……無かったことには出来ぬのか」
どうせ本件は大方悪戯にしか過ぎない。こと騒ぎ立てるよりも内々で処理した方が外部に警備体制が漏れぬ故に、ましだとは思うのだが。
「組閣本部の周囲は記者のテントに囲まれておりますので、既に相当数の新聞社に怪文書騒動は掴まれております。
それでもこれを事前検閲でもって公開差止めにするのであれば、陸軍大臣の同意が必要ですが……」
そこで今朝吾君が言葉を濁したのも止むを得ない。
優諚という論理を使っている以上、現時点での陸軍大臣としての権限は私が有するのか寺内君が有するのか不明瞭だ。だからその権限継承問題に触れぬよう、陸軍大臣専任事項を利用せぬように配慮している。
ここでもし私が優諚を根拠に新聞公開差止めを行えば、軍部大臣現役武官制を胸壁として陸軍部内は声高々に私を批判するのは間違いない。
一方で私が寺内君に依願して公開差止めの陳情を行った場合、それが受け入れられるか否かという問題以上に、現時点での陸軍大臣の権限が寺内君に帰属することを私が認めてしまうこととなる。
そしてその両者の手段が取れぬ以上、この件は明るみに出ることが確定している。
であれば。
「組閣本部は記者らのテントまでひっくり返しているのだろう。結果が出るまでに時間がかかるな。
であれば、私は寝る」
そう言うと、今朝吾君が殊勝に頭を下げたのに対してと佐官2人は対照的な反応をした。
「お言葉ですがっ――!」
そして上砂中佐だったか? 彼が発言しようとしたのを今朝吾君は片手で制止する。
大方お偉い方である私がこのような状況下で寝るのは不用心が過ぎるとでも思ったのだろう。尤もそこには、自分は護衛という職務を全うしているのに護衛対象は眠りにつくことに対する不満も少なからず含まれているとは思うが。
「……その様子であれば、今朝吾君は分かっているようだね」
「……ええ、まあ一応は。
上砂君、秀澄君。
今、この本邸の周囲には警官が10名。そして、それを破っても我々3人が固めております。正直それを破られるような襲撃であれば、閣下1人が起きていたところで大差ありません。いや、無論閣下のみが上手く脱出し逃げおおせる可能性はあると言えばありますが。
しかし、現時点でこの悪戯に連動して襲撃が起こる危険は低いと言わざるを得ない。
となれば、ずっと起きていて周囲に神経を研がらせて精神的に疲弊する方が、脅威への対処リスクが高まります。我々3人も1人は仮眠を取るくらいで良いかと思いますよ」
「……まあ、そういうことだな。
私に対する襲撃の危険は本日限りの一過性の危機ではなく、今後も常にあり得ることだ。人は恒常的な緊張状態に耐えられるものではないのだから、気を抜けるときに抜かねば、いざという時に重大な失策をすることとなる」
ここまで話せば会得がいったようで2人は、私と今朝吾君に対して頭を下げた。
「詰所として隣の部屋を用意しておこう。
……では、私は寝る」
1月29日午前10時26分
東京府麻布区広尾町 宇垣一成組閣本部付近 記者テント村
林弥三吉予備役中将・組閣参謀長格 重大声明抜粋
『――首相は文官であります。
文官たる首相が軍の統制に何の関係がありましょうか。
故に宇垣閣下が首相となられても、軍の統制になんらの影響なしと信じます。にも関わらず此度の怪文書なる騒動が起こるとは何事ですか。
そもそも組閣行為は純然たる政治行為でございます。軍が宇垣閣下を率先して怪しからんと言うから、このような反動的な輩が闊歩するのではありませんか。
陛下が認め、陛下の御裁可を経て発表された人事であるのだから、臣民であればそれを粛々と受け入れるのが筋なのではないでしょうか』
1月29日午前11時8分
東京府四谷区内藤町 宇垣一成本邸
「――そうか。弥三吉君が声明を発表したか」
弥三吉君の記者発表は独断であった。が、流石に怪文書の騒動が記者に知れ渡っている状況下で特に差止め命令も出していないとなれば、各々の新聞社が気ままに記事に掲載する恐れがあった。
弥三吉君の胸中にある現在の陸軍部内への反感が見え隠れするものの、裏を返せば部内批判に力点が置かれることで警備体制の問題をある程度秘匿することも出来るやもしれぬ。そこを意図してのことでは無いだろうが、結果としてみればそこまで悪くない。
とはいえ、陸軍部内との対立は激化する恐れはあるわけだが。
そして現場で指揮を執っていた安井君も小康状態となったのをみて、弥三吉君に組閣本部での指揮権を渡し、私の家へとやってきた。
「警察隊からの報告ですと組閣本部内に爆発物や危険物の類は無く、午後からでも使用を再開しても構わないとのことでした。
一方で記者のテント村にも、それらしき武器の存在は認められなかったことから、単独犯による悪戯に近い悪質行為であると結論付けられております」
報告も、明朝に予測していた内容とそう大差ないものであった。
「犯人については如何か?」
「目下捜査中とのことです」
安井君はそう言いはするものの、果たして自主的な出頭以外に見つけることは出来るのだろうか。葉書の筆跡などから推定するのだろうか。
とはいえ、周囲に記者のテント村がある状況で、誰にも怪しまれずに組閣本部へ葉書を置くことが出来たのだから、様相や風貌は記者に近しい恰好をしていたのだろう。第一発見者もまた便所を借りていた記者なのだから、同じように犯人も便所を借りるなどの理由で本部に入り込むことも出来ただろう。
そして、決定的なことを治安上の理由から同席して報告を聞いていた今朝吾君が述べる。
「――あるいは、犯人が分かる方が私達にとって不都合に働く可能性もありますね」
「……と、言いますと?」
安井君が聞き直すが、その回答については今朝吾君は答えようとはせずに私の方を向き直るので私から告げる。
「……犯人が陸軍の関係者であった場合、目も当てらないということだ。
陸軍部内とは敵対しているが、何れかの段階で和解せねばなるまい。
ここで怪文書騒動を押し広げて陸軍主導ではなくとも関係者が取った行動だと分かってしまうと、かえって軍部内側が開き直って背水の陣を敷き徹底抗戦する可能性を恐れている」
おそらく、この程度の稚拙な怪文書を上層部が主導して企図した行ったとは考えにくい。突発的な衝動、という意見には私も賛成だ。
だがその衝動的な犯行を行った犯人が、陸軍軍人や軍に近しい人物であったときに、軍がその犯人を切り捨てずに逆に全力で擁護し大問題へと発展させる危険性があるのだ。
「――その辺りの意図を話しても良い。安井君、どうか警察側にこれ以上の犯人捜査は不要だと伝えてくれないか」
「……まあ古巣ではあるので、やるだけやってはみますが」
今でこそ拓務省勤務の安井君だが、経歴は純然たる内務省畑を歩いてきて複数の県で警察部長も務め上げた叩き上げの内務省エリートである。
「ああ、それであれば。
組閣本部の護衛戦力の強化を内務省側で一元化して欲しいとお伝えください」
そう話す今朝吾君に驚きを持って返答するのは安井君だ。
「……良いのですか? 確かにそれは交渉材料にはなりますが、憲兵の立場が……」
「陸軍の関与も全く可能性として無いとは言えない以上、憲兵隊とはいえ警備に陸軍軍人を増派するのは危険ですからね。身内が敵に回りかねないリスクを考えたら、警察の人員の方がこの場に限っては信頼が出来ます」
確かに事実ではあるけれども、それを憲兵司令官の立場で言い切るというのは無責任というか何というか。
「まあ、どうせ警備強化は懸念事項だったことだ。
麻布警察署との緊急電話の工事も含めて、今日中にまとめてしまいなさい」
「はっ。
宇垣さんは本日どうなさるお積りで?」
「まあ、折角だ。軽く挨拶周りに行ってくるよ。
そうだ、安井君の上司にもあたる永田拓務大臣にも会ってくるさ」
1月29日午後4時13分
東京府芝区三田功運町 拓務大臣官邸
「……拍子抜けするほど、あっさり終わりましたね」
護衛戦力的な意味で今朝吾君を連れまわしたが、今までの陸軍大臣の難航ぶりや、海軍省での歓待と腹芸合戦とは打って変わって、終始和やかに進んだ。
しかも訪れたのは拓務大臣の永田さんのところだけではない。
昭和会に所属する友人の内田君に、永田さんの紹介で法制局長官の候補者となった元内務閣僚で切れ者と称された池田さん――池田宏。
この2人にも会ったが、大臣や長官職への就任には皆快く受け入れてくれた。なのでその後の世間話のような駄弁りで盛り上がってしまったくらいだ。
こうして考えてくると予算案で脅してきた海軍はやはり食わせ物であったし、今となってみれば足元を見られていた、ということなのだろう。陸軍の信任を得られていない部分を完全に付け込まれた形である。
そして永田さんにも池田さんを推挙してくれたことに感謝の意を述べたところ、彼は彼でかつての同僚とまた共に働けることを喜んでいた。考えてみれば拓務大臣と法制局長官、そして私の私設秘書のように動く安井君のラインが全て内務官僚経験者で繋がっている。もしかすると陸海軍よりも私の内閣の成立で最も恩恵が大きいのは内務省だったりするのかもしれない。警備体制のことも含めて。
そして、警備体制と言えば、この目の前の憲兵司令官。
今朝吾君が更に口を開く。
「――それで、この後のご予定は……ああ、私がアポイントを取った方ですか」
「しかし。先日の美濃部さんに続き、よくもまあこのような大物との約束を取り付けるものだね、今朝吾君。
――まさか隠棲して表舞台に全く出て来なくなった前任の内閣総理大臣。
廣田弘毅さんとの約束を取り付けるとはな」
「ええ、まあ。そこは、東京朝日新聞社の高宮記者に骨を折って頂きました」
「高宮記者……と言うと、高宮太平君のことか。
杉山君の周りでよく見かけたから私も知っているよ」
高宮君――高宮太平。
陸軍を担当する新聞記者は多かれど、彼ほど中枢へと至った人物はそうは居ないだろう。
特に杉山君とは仲が良く、とかくこの記者の世話を焼くことは一度や二度では無かった。
その彼と今朝吾君も繋がっていたのか。現役を離れてしまうと、この辺りの世相にはとんと疎くなってしまう。
「……では、高宮記者もその場に居合わせるということだね?」
「まあ美土路さんがこちらには居りますから、不都合なことは記事にはしないでしょう」
東京朝日新聞の常務取締役を抑えているのだから、高宮君も軽々しく動けないことを計算に入れているが、陸軍部内の間でも受けの良い高宮君を廣田さんとの密会の独占取材を餌に釣り上げたということか。
だが、貴重な時間であることには違いない。
前任者からの引継ぎなど、望めないと思っていただけにここで廣田さんと会えるのには非常に意味も意義もある。
……それと。軍部大臣現役武官制で寺内君と交わした密約。
その存在を教えてくれなかったことについても一言話しておかねばなるまいて。
※用語解説
死亡通知葉書の怪文書
史実では1937年1月30日に留守第1師団へ閑院宮参謀総長の死亡通知葉書の怪文書が投げ込まれている。悪戯と言えば悪戯としか言えない犯行ではあったが、流石に皇族を侮蔑する行為であったため憲兵が即座に捜査して、帝国新聞の外勤記者が実行犯として逮捕された。
自供では陸軍が宇垣排斥に動き大命拝辞せざるを得ない状況に追い込まれたことについて、三長官会議にて閑院宮が軍の言いなりになっていて抑止できず天皇に弓引くということは死んでいるも同然だ、と自身の気持ちをそのまま筆にしたものだと話している。
本作では、宇垣が大命拝辞せず優諚を用いて組閣を強行したことで史実事件の前提が崩れているので発生要因を異としている。
新聞公開差止め
新聞紙法において新聞の取り締まりを行うのは主に内務大臣であり、「安寧秩序ヲ紊乱シ又ハ風俗ヲ害スル」内容の掲載が認められる新聞について発売頒布を停止する権限を有する。しかしこれは原則的に発行後の事後検閲による処分であり、発売される前の新聞に対して特定の内容の記述を禁止することは司法手続を経なければできない。
一方で、同法で陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣については、軍事・外交事項に限り事前検閲権を有しており、行政権限の省令を利用することで公開差止め処分を下すことができた。
林弥三吉の声明文
史実では1月29日に宇垣が大命拝辞した最中で、林によって独断で記者を集めて声明文を発表している。内容としては軍の反対に遭って宇垣は組閣を断念したこと、その軍のやり方の誠意の無さ、そして軍人の政治関与に対する批判が続いた。
ただし、この史実の林の声明では『優諚』について考えたことすらないと述べているが、一方で宇垣自身は『宇垣一成日記』内にて当時『大権の発動』を考えていたと記述され、両者の主張には若干の食い違いがある。
なお史実の声明発表の直後、陸軍は『内容が穏当に欠く』ことを理由に新聞公開差止め命令を出しているが、林もこの陸軍の行動は予測しており事前に東京毎日新聞の政治部と一計を案じて、声明内容を事前に伝え号外発行することで、軍の検閲に先んじて広範囲に情報を拡散することを画策した。
実際に陸軍がこの号外新聞の差止め命令を出すまでに、東京のみならず地方まで行き渡っていた。(因みにこの林の言動を受けて、史実の中島今朝吾は林の逮捕命令を出しているが実行はなされていない。)
本作では、大命拝辞の前提が崩れているため『死亡通知葉書の怪文書』事件に連動して林が声明発表を行ったが内容に差異がある。
高宮太平
東京朝日新聞記者。大正日日新聞、読売新聞、朝日新聞を渡り歩いた生粋のジャーナリスト。しかし朝日新聞社に入社するまでは政治部がメインで陸軍担当になるのは1930年頃から。
陸軍全般のことは杉山元から師事を受け、その杉山の紹介で砲戦・兵器は植村東彦、軍制を永田鉄山、軍政を小磯国昭、戦争哲学を村上啓作から学ぶ。更には陸軍担当になる以前に国際情勢について廣田弘毅より叩き込まれている。
杉山との関係が、ほぼそのまま陸軍内派閥の取材対象となり宇垣派や統制派軍人への取材証言をもとに記事を書き上げていた。