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1937年1月28日午後6時14分―翌29日午前4時54分

 「自由主義はいけんとか個人主義は排撃すべしとか流行で公式的にものをいう人もあるが、独立性と活動性はどこから沸いて来るか――根本は自由主義である。自由のないところに発展はない、創意はない。これが自己の発展、ひいては国家社会の発展を促す原動となることは分かり切った話です。資本主義・自由主義にもそれは悪い点もあります。一切万物統制で行こうという主義は小児の公式論である。幸いにして日本国民は昔から外国の長を採り短を捨ててこれをわがものにする知恵をもっている。その知恵で適当に長短を加味して日本的な方式を作るがいいのです。公式にあてはめて万事解決しようというのは数学なら知らぬこと、多岐複雑な社会情勢を処理する政治家のとらざるところと思うのです」


 ――鳩山一郎


 1937年1月28日午後6時14分

 東京府麻布区広尾町 宇垣一成組閣本部


「――ということで、海軍からは米内さんを大臣に出してくれるとのことだ」


 各方々に大臣候補の伝達に赴いていた面々が戻ってきたので、彼等を集めて一度打合せを行うこととした。


 まず手を真っ先に挙げたのは、優諚前までは宮中筋への折衷を中心に行っていた鶴見祐輔君。陛下直々に動くこともあり宮中への探りも入れてはいるものの、これからは大臣の選定に重きを置くことから、鶴見君には別件でお願いしていた貴族院議員で同和会所属の永田秀次郎現拓務大臣に留任をお願いしに行ってもらっていた。


「私が交渉に赴いた永田さんですが、快く引き続き拓務大臣として政務を行うというお言葉を頂けました。また宇垣さんの組閣にもこちらも引き続き協力して頂けるとのことです、何か永田さんにご所望することがございましたら、私にお伝え頂ければ伝言いたします」


 とりあえず、永田さんは確定。元々難航しないだろうという予想であったとはいえ、鶴見君は上々の働きをみせてくれた。


 これに対抗するかのように報告をするのが船田中君。鶴見君が民政党議員なのに対して、船田君は政友会議員だから、そうした二大政党としての対抗意識もあるのだろう。……まあ当の鶴見君は民政党の看板を間借りしているだけっといった様子ではあるが。


「我々、政友会の砂田重政さんにお話を出したところ、鳩山さんの手前あまり内閣の要たる重量級の大臣には就けないが、軽量級のポストであれば喜んでお受けする、と申し出ていました」


 そう申し出るということは、政友会の鳩山さん――鳩山一郎の一派に属するということか。

 しかし、軽量級の大臣ポストか。それこそ無いわけではないが、どこに就けるのが正しいだろうか。


「軽量級となると、どこに付ければ良いだろうか」


 私がそう問えば、伊豆の長岡で組閣の一報が来る前から私の別荘に押し寄せていた西原亀三さんが声を挙げる。


「鳩山さんが犬養さんと斎藤実閣下の内閣において文部大臣を務めておりますので、そこは避けた方が良いかと。

 また、砂田さんは代議士になる以前は弁護士をしていたので司法大臣という線もありますが……」


 その西原さんの声を遮るかのように慌てて、私の政治上のブレーンたる今井田清徳君が口を開く。


「あっ西原さん、すみません。司法大臣は既に、小原さんに話を通して就任の内諾を得ておりますので……」


 司法大臣についてはかつて、料亭『幸楽』で話した構想そのままだ。今井田君が交渉に赴き既に承諾を受けたとのこと。小原君――小原直については、国体明徴声明の折に陸軍に因縁を付けられているが故に、対陸軍を考えたときに非常に都合が良い。


「今井田さん、そうでしたか。

 で、あれば。砂田さんは過去に農林政務次官に就いていた経験がありますから……と言いたいところですが、農林大臣ですと鳩山さんに鞍替えする前の旧主・・たる山本悌二郎さんの領域と競合しますね……」


「で、あれば逓信大臣辺りでどうかね?」


 想像以上に西原さんが思い悩んでいる様子であったので、とりあえず現状構想の無かった大臣職を当て推量で出してみる。

 周囲の様子を伺えば、逓信大臣擁立で動いていた者は、まだ誰も居なかったので反対の声も無い。

 そして船田君が私の提案に乗るようにこう告げる。


「逓信大臣であれば、砂田さんも喜んで受けて下さると思います。

 ……そう、お伝えしてもよろしいでしょうか?」


 この声にも特に異議を唱える者は居なかったことから、船田君には改めて伝達するようお願いしておいた。


「……しかし砂田さんは先に申し上げた通り、政友会でも鳩山派に属する人物です。今は政友会は鈴木総裁が砂上の楼閣を築いておりますが、実は内々に総裁の指導力不足を理由に鈴木総裁を辞任させる方向で決定しております。

 ただ、現状政友会の各派を束ねることのできる人物が居りませんので、砂田さんの大臣の選出は、見方によっては宇垣さんが鳩山派に傾いている……と捉えられかねないかと」


 確か、鳩山さんは筋金入りの自由主義者であったか。それ以上に機会主義者であり、自身の権力伸張に必要とあらば主義主張を使い分けることのできる緩急剛柔の人であるが。

 そこに来て、対外的には英米派として見られている私は鳩山さんと政治的信条の相性が良いと見えるというのは道理である。


「ふむ……。つまり……どうする? 船田君?」


「中島派の要人も誰か入閣させてみるのではどうでしょうか?」


 政友会の中島と言うと……、中島飛行機の中島知久平さんのことであろう。

 幸い大臣枠については残ってはいるが。


 一先ず、意見を求めるとまず国策研究同志会の大蔵公望君が発言する。


「中島派の政友会代議士を入れるのは、別に構いませんが……。

 であればバランスを取るためにも民政党からも2名入閣させた方が良いのではないでしょうか」


 この意見に対して、一旦整理するかのように西原さんが発言する。


「ええと、まだ候補者が決まっていないのは外務・大蔵・内務・文部・農林・商工・鉄道の7職ですか……。

 外務、大蔵、内務は官僚から入閣させた方が良いかと思います」


「となると、4つのポストの内、1つを政友会中島派、2つを民政党から入れる……ということですかね?」


「ええ、鶴見さん。その通りです」


 西原さんと鶴見君の話を聞いていたら、意外と大臣枠に余裕が無いことが分かってきた。


「……ああ、そうだ。

 第三党である昭和会に所属する、実業家の内田君――内田信也なのだがね。

 政友会から除名されたが故に鳩山さんとも中島さんとも等しく離れている。そして何より、私の友人であり内大臣府秘書官長の木戸侯爵とも繋がりがある。

 ――商工大臣あたりに推挙しようと思っていたのだが、良いかね?」


 大戦時には船成金とも揶揄された内田君だが、岡田さんの内閣期には鉄道大臣として入閣して、政友会の党執行部の逆鱗に触れ除名されていたりする。

 大臣経験があり二大政党外で第三者目線で議会を俯瞰できる立場で、私の知人ともなれば多少金銭に執着する癖があるとはいえ得難い人物であることは疑いようもない。


「……となると、本格的に残った大臣で政党用の枠を確保せねばなりませぬな」


 私の組閣なので、そこに大臣をお友達枠で1人捻じ込むことに異論は出なかった。内田君は大臣経験者である、ということも大きいのであろう。


 そして鶴見君の呟きに対して西原さんが答える。


「政友会の中島派から1人……ということですが、いっその事、派閥の誰某ではなく中島さん本人を入れてみるというのはどうですかね?」


「いや、それでは民政党からも大物格を入れねばなりませぬが……」


 そこに横から大蔵君が割り込んで新たな案を出す。


「鶴見君。……例えば永井柳太郎幹事長などはどうでしょう。彼も大臣経験者ですし、民政党の古参だ。

 それでいて政党政治家としては軍部の受けも良い。大きく反発を受けずに民政党の影響力を閣内に確保できるとなれば、まさに一挙両得ではないでしょうか」


 その大蔵君の提案はおそらく今井田君と示し合わせたものであったはずだ。だからこそ事前に根回しでもされていたのだろうか、これも大きく反対されずにここの面々に受け入れられる。

 だが民政党からもう1人の候補者を出すことについては、話がまとまらない。

 濱口内閣で司法政務次官をこなし、民政党きっての宇垣派である川崎克君の名が出たかと思えば、岡田内閣で商工政務次官を務めた元大蔵官僚の勝正憲君、果てには今この場に居る鶴見君も民政党に籍を入れていることから名前が挙がるなど、各々誰某と候補者を連ねるものの、その意見が一本に集約される気配は無かった。

 埒が明かないということで一時保留を提言すれば、皆賛同した。



 そして、まだ話していないことがあるか尋ねたら、鶴見君がこう紡いだ。


「直接大臣人事とは関係ありませんが……。

 永田さんの下で大臣任命の件以外についても多少お話をしたのですが、法制局長官はぜひ池田宏さんが良いとご希望を述べておりました」


「……まあ永田拓務大臣ならそう言うでしょうな。池田さんのことなら私も知っておりますよ。永田大臣との係わりは『大風呂敷』と渾名された亡き後藤新平さんが東京市長であった時代に助役に据えたのがその2人です。

 ……私も池田さんであれば法制局長官は賛成です」


 鶴見君の提言に即座に賛同の意を返したのは大蔵君だが、大蔵君がここまで手放しで賞賛するのであれば然りとした人事であるのだろう。


「では、大蔵君か鶴見君。2人で相談して法制局長官の件はそのまま進めなさい。

 あとは……外務、大蔵、内務か。今井田君どう思うか」


「宇垣さんに大命が降りる前までは、外務大臣は宇垣さんに兼任して頂き、大蔵大臣には結城豊太郎日本商工会議所会頭を充てる積もりでしたが……宇垣さんが廣田内閣での予算案をそっくりそのまま通すとなると別の方のが良いやもしれません。

 後は、兒玉秀雄伯爵が元大蔵官僚ですが……大蔵大臣に囚われずにどこか良いポストがあれば入れたいと考えておりました」


 確か兒玉さんは今井田君の先任の朝鮮総督府政務総監であったはずだ。成程、確かに先達を大臣に入閣させたいという献身は叶えた方が良いやもしれぬ。

 そして、この大臣案を今井田君とともに考えた大蔵君も続ける。


「今の情勢は、先に今井田さんと決めた頃合いの想定と大きく異なっております。

 一部の大臣については、閣下が海軍大臣を決定したことと同じように、自ら動いて決定なされた方が確実かもしれません。

 閣下がその場で判断する方が、周囲の者も納得することでしょう」


「――そうか。

 であれば、本日名が挙がった者は、民政党の第2候補を除けばそのまま交渉を進めよう。

 兒玉さんについても今井田君が話を進めてくれ……そうだな、政務次官と参与官を確かな人物を付ければ内務大臣でもやれるとは思う。

 そして、外務大臣と大蔵大臣の2職については、一旦私に預からせてくれ」


「はっ」


 こうして大臣候補の選定の会議は終幕を迎えた。

 時計の針は既に午後7時を大きく超えていた。


 流石に白熱した議論を一日の最後にすると疲れた。

 ……今日はこのまま家に帰り、最低限の身支度をしてから寝るとするか。




 1月29日午前4時52分

 東京府四谷区内藤町 宇垣一成本邸


「――旦那様。起きて下さい」


 この日私は、使用人から叩き起こされた。


「まだ、寝かせてくれないか。外も陽光がまだ見えぬではないか。

 なにゆえこのような時分に起こされねばならぬのだ。客人なら断れ」


 私が、そう言っても使用人は顔を困惑させるのみで私を寝かせようとせず言葉を続ける。


「……そう申されましても。

 憲兵さんの中島今朝吾様から火急の言伝があるということで、夜着姿でも寝所でも構わぬから直ちに旦那様に会わせて欲しいとのことですよ」


「――通せ」


 このような時間に今朝吾君が家に来るとは尋常なことではない。

 家人の言に頭を無理やり覚醒させて、即座に指示を出すと慌てて玄関へと走って戻っていく。

 そしてそれから瞬刻、昨日紹介した憲兵佐官2人を引き連れて私の寝床へと立ち入る。……完全武装であった。


「報告の前にお渡しいたします」


 今朝吾君は部屋に入るや否や、私に拳銃を渡す。


「良いのかね、これ(・・)を憲兵以外の者に手渡すというのは明らかに職務から逸脱した行為ではないのかね」


「緊急事態につき已むを得ません。事ここに至っては多少の規律違反よりも閣下が非武装であることの方が問題です」


「――何があった」


 何やら私が寝ている間に事態が急転降下したようだ。

 神経を集中させ、今朝吾君の話を聞く。


「――正確な時刻は不明ですが。

 麻布の組閣本部に怪文書が投げ込まれているのを、本部内にお手洗いを借りに来た新聞記者が偶然発見いたしました。

 現在、組閣本部は閉鎖して爆発物等が無いかどうか、麻布警察署の方々に緊急出動して頂き安井誠一郎拓務局長が警察と協力して、現場と周囲の記者のテント村の状況を精査しております」


※用語解説


今井田清徳の宇垣内閣構想(1936年12月)

 当初、今井田の閣僚構想は、

・外務大臣:宇垣一成(首相兼任)

・大蔵大臣:結城豊太郎

・内務大臣:松本烝治

・司法大臣:林頼三郎

・文部大臣:永田秀次郎

・農林大臣兼拓務大臣:町田忠治

・商工大臣:津田信吾

・逓信大臣兼鉄道大臣:前田米蔵

としている。林・永田・前田は廣田内閣からの留任・転任である。着目すべき点は町田(民政党総裁)と前田(政友会)を兼任大臣とすることで政党出身者比率を下げている点であり、この時点の今井田案では軍部との関係を重視していることが窺い知れる。

 その後12月23日の今井田と矢次一夫の会談を経て、同月24日に今井田と大蔵公望との間で合意が交わされた閣僚最終案においては、

・外務大臣:宇垣一成(首相兼任)

・大蔵大臣:結城豊太郎

・司法大臣:松本烝治

・農林大臣:中島知久平

・逓信大臣:永井柳太郎

・(ポスト不詳)兒玉秀雄

 という顔ぶれのみの決定へと変更され、自由主義傾向の強い町田・前田が更に外されて、代わりに軍との協調が可能な政党政治家として亜細亜主義者かつ反帝国主義者である永井(民政党)と軍用機生産を行う中島飛行機の創業者たる中島(政友会)となっている。言うまでもなく、軍部との協調路線をより強化した陣容で挑む予定であったと考えられる。


立憲政友会の分裂

 政友会の総裁は五・一五事件で凶弾に倒れるまで犬養毅が棚上げ人事として務め上げていたが、これは犬養の名声を利用した政友会内部の各派閥の思惑が重なった結果であった。1929年に犬養が総裁の座に就いた時に鳩山一郎が対案として提示した『犬養の次の総裁は鈴木喜三郎を付けることを確約するなら犬養総裁案を支持する』という裏工作があったため、犬養の次は鈴木が総裁となった。(鈴木喜三郎と鳩山一郎は義理の兄弟関係にあたる。)

 この犬養総裁期の他総裁候補は鈴木を除くと、床次竹次郎・中橋徳五郎・久原房之助が居るが、中橋は1934年、床次は1935年に死去しており、久原に至っては青年将校に資金援助を行った疑いから二・二六事件に連座。

 また一方で、1936年2月に行われた第19回衆議院議員総選挙では総裁である鈴木が落選する大敗を喫したことで決定的に鈴木の求心力が低下。結局鳩山が宮中工作を行い鈴木を貴族院議員に勅選させることで総裁居座りを実現するが、これによりさらに鈴木の人気は低下した。

 あくまで軍部とは距離を置き、独自の路線を貫く鳩山には支持者が多かったため、暫定総裁として鈴木の後継に就こうと画策するが、しかし同時に鳩山には味方も多いが党内に敵も多かった。

 その中でも中島飛行機の創業者として豊富な資金力を有していて、軍部とも繋がりの強い中島知久平は党内の反鳩山派らを迎合し、中島派とも呼ぶべき小勢力の連合派閥を形成していた。


法制局長官

 法制局は内閣に直属する機関。主業務は法律案・勅令案・条約案・閣令案の審査、さらには法律規則の解釈や各省官制の審査を常務としている。(法制局自ら法律案や勅令案を起草上申も可能で、閣議提出後であっても法制的に異常があれば調整する権限も付与されている。)

 そして法制局長官は1913年の文官任用令改正で自由任用になったことで民間人や現職衆議院議員が任命されることもあり、内閣総理大臣と進退を同一とすることから内閣の円滑な運営には必要不可欠な存在であった。


廣田内閣の予算案

 前話で簡単に説明したが、大軍拡計画を盛り込んだ野心的な予算案であった。これは、世界恐慌時のデフレを時局匡救じきょくきょうきゅう事業(1932-1934)で救った高橋是清は悪性インフレを防ぐために公債漸減主義を掲げ軍事費を縮小しようとしたところ二・二六事件で凶弾に遭い殺害されたこともあり、その後に成立した廣田内閣では国防充実と地方振興を両立させるために増税と公債増発を行うことを声明で発表していたからである。

 結城豊太郎は新卒として日本銀行に入行した際の副総裁が高橋是清。高橋の助力もあり結城は現在の地位まで上り詰めたこともあり、廣田内閣予算案には反対の立場を取っている。

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