31、番と帰城と
翌朝、私はお嬢様との鉢合わせに少し警戒しつつ、エーベルのいる医務室に向かった。
「ヴァーリア様」
「エーベル、調子はどぉ?」
「ヴァーリア様がいて下さるならば、あっという間に治る気が致します!」
エーベルは、自分のベッドの上をしきりに手で叩く。
いや、毛だらけになるから上がらないけどね?宿屋ならまだしも、ここ医務室のベッドだし。
……と考えて、昨日お嬢様に毛についても注意されたことを思い出してしまった。
「……」
「ヴァーリア様?何かお気になさることでもおありですか?」
エーベルの前で尻尾をだらんと下げてしまい、すかさずエーベルが私に声を掛ける。
「いや、何もないよ?」
と言いながら、私は自分の耳がぴこぴこと集音の為に忙しなく動いてしまうことを自覚する。
そんな私をじぃ、とエーベルが観察していた。
そんなに見ないでくれー。
エーベルの前だと、心まで丸裸にされる気しかしない。
少し緊張しながら、私はエーベルのベッド脇にお座りをする。
「そう言えば昨日ね、猛獣隔離室に行ったんだけど」
「はい」
「ペガススが心配してたから、大丈夫って言っておいたよ」
「そうでしたか……わざわざありがとうございます」
エーベルが微笑し、私の胸がどくんと音をたてる。
変態を抜かしたエーベルは、確かにイケメンだなと改めて感じた。
「後ね、エーベルがいないのにやたら静かだったのが不思議だった」
何でだろう、と続ける前にエーベルが答える。
「ああ、ほぼ皆、調教済みですから」
「……はい?」
私はあのだだっ広い猛獣隔離室を思い出した。
ん?五十頭は猛獣いそうだったけど……??
「最近入ってきたシューヴスリの仔と他二頭の猛獣はまだ調教中ですが、手付かずの子はいないので……まぁ、あの状態なら猛獣遣いでも任せられると思います」
「へ、へ~~……」
猛獣の調教って、そんなに早く終わるものだっけ?
それって普通なの??
相変わらず天才的なエーベルの調教能力に舌を巻く。
そしてそんな話で私が気を抜いた瞬間に、「ところで、あの商人の女ですが」とエーベルは意表を突いてきて、私の毛がついブワッと逆立ってしまった。
尻尾までピンと天井を向く。
いやんもう、私がお嬢様警戒してるのバレバレじゃないか!!
エーベルは、私が挙動不審になったのを見てニッコリ笑う。
「親御さんとお話させて頂きまして、損害賠償をして頂く方向で示談致しました」
「そうなんだ、良かった」
私はホッとした。こういうことは、理由が何であれ、しっかりしておかないと。
「治療費は勿論ですが、慰謝料としてあの女の処分を要求致しましたので、もし万が一ヴァーリア様の目の届く範囲に存在しましたら、ご報告下さい」
「へ?」
「あの女には、今後二度とこの国の土を踏ませませんので。ああ、勿論合法的かつ円満に親御さんには提案させて頂きましたよ?」
ひいいいいっっ!!ニコニコしてるけど、何をどう言ったらそうなるんだろう!?
相手は商人だから、エーベルよりも口が上手いと思うんだけど、違うのだろうか?
「商人の娘なのですから、少しは営業の仕方を学ぶべきですよね?何かを売り込みたければ、相手の好きなものをけなすべきではないと学んでないようですが、と隊長と一緒にお話させて頂いただけです。あの女は今日にも今後の為にはるばる帝国まで出発されたことでしょう。そして二度と帰国は致しません」
「そ、そっか」
確かに跡取りの娘ならば親御さんも将来を見据えてその提案に乗るかもしれない。
お嬢様の悪意ある視線や言葉が苦手だった私は、明らかにホッとした。
自分の番の周りに女がうろうろするのは、やはり気分が良くない……本音はそう思って、エーベルに対する認識がやはり自分の中で変化していることに今更ながら気付いた。
──商人であるからこそ、調教された猛獣が沢山必要だということに気付かなかった私は、エーベルの説明でそれが提案だと納得し、脅迫という事実を知ったのはそれからずっとずっと先のことだった。
***
それから一年半程が経過した。
我が国の森はほぼほぼ本来あるべき正しい生態系に戻り、町には完全に活気と平和が戻っている。
私は森の調査と勉強に毎日励み、エーベルはこの町に派遣されてくる猛獣遣いを猛獣調教師に育てる後継者の育成にその能力を発揮し、師匠であるドゥランテを追い越して国一番の猛獣調教師として認知されていた。
国全体の猛獣調教師の数と能力が底上げされ、他国から勉強の為に派遣されてくる者も少なくはない程だった。
そしていよいよ妹の結婚をきっかけに、私達兄妹に帰城命令が下った。
久々の兄妹との再会、我が城、そして我が城下町である。
嬉しくない筈がない。
筈がないのだが、私はびーびー泣きつく子供達に羽交い締めにされてかなり困っていた。
「嫌だぁ、ヴァーリア様!!帰らないで!!」
「あなた達、いい加減にしなさい!ヴァーリア殿下はお仕事でこの町にいらっしゃったのですよ!!」
「この町に住んでよヴァーリア様ぁ……」
「私もヴァーリア殿下に付いてく!」
「バカなこと言わないの!ヴァーリア殿下がお困りでしょう!?」
この人数の子供達は、流石に重い。
そして動けない。
隊長にヘルプの視線を送ると、「はっはっは!ヴァーリア殿下は人気者だなぁ!!誰か私の帰りを惜しむ子はいないのかなぁ?」と笑っている。
助けろよ、オイ。
「子供とは言え、ヴァーリア様はこの国の第一王女殿下ですよ?今直ぐに離れなさい、特に男子」
助けを求めなかったエーベルは冷笑を浮かべてこめかみに青筋を立てていた。
子供達を威嚇するのはやめろエーベル。
結局それぞれの子供達の親御さん達に引き剥がして頂き、私はやっとお座りの状態から腰を上げることが出来た。
「長い滞在中、良くしてくれてありがとう皆」
私は見送りに来てくれた町民や宿屋のスタッフ達に御礼を言う。
「ヴァーリア様!いつでも戻ってきてね!」
「子供達と仲良くして頂き、本当にありがとうございました」
「大人になったら、ヴァーリア様のいるお城まで遊びに行くから!!」
何言ってるの、お城は観光地じゃないのよ!と怒られる子供に私は笑い掛けた。
「また遊びに来るよ」
「絶対だよ!?」
「約束だからね!!」
子供達が泣き出すので、私も別れが辛くなる。
横を見ると、エーベルが育てた猛獣調教師達が師匠であるエーベルに敬礼していた。
エーベルよりも年長の人達も多く、またその数も多くて改めて驚かされた。
「では、出発するぞ!」
隊長の号令で、軍は歩み始めた。
付いてこようとする子供達を親が引き留めながら、皆がずっとこちらを見ながら手を振り続けてくれる。
私は何度も振り返りながら、最後は遠吠えだけお届けし、後は未練を断ち切るように駆け出した。
「ヴァーリア様、良い町でしたね」
「うん」
エーベルは、私が駆け出すのを予期していたかのようにペガススに跨がって隣を駆けている。
十六歳でこの町に来て、たった二年程しか過ごさなかったけれども、私にとって第二の故郷のようなものだと感じていた。
物凄く豊かな訳ではないけれども、人柄の良い若者が多く、活気に溢れている上、一年を通してとても過ごしやすい。
この町は父が治める国のごくごく一部ではあるが、絶えず子供達の元気な声が賑やかに聞こえるこの素敵な町を守っていきたいと改めて思った。
昔から、政略結婚が嫌でこの身体能力を活かした仕事に就ければ良いと思っていた。
城の夜警を密かに狙っていたが、何も城に限定することはなかったのだ。
城を守ることは、父の跡を継ぐ長兄のディルクがいくらでも出来る。私はその一駒になるのではなく、国防という視点で首都から離れて猛獣や他国から国民を守る仕事の方が、狼型のままでも働けることもあって良いかもしれない。
──とは言え、勝手には決められないな。
私はチラリとエーベルを見た。
エーベルは、今やこの国、いや国外からも注目される猛獣調教師となっている。
帰城したエーベルがもしまだ上司に当たるドゥランテから他の地へ行けと命令を受けたなら、番である私も当然一緒に行かなければならない。
そう、私は十六歳でエーベルと恋人となってからというものその関係性は以前と全く変わりないのに、エーベルの立場は「番」であるという認識へと変化していた。




